「いらっしゃいませー!」
元気なかけ声が響く店内…その中に、あからさまに異質な空気をまとった男がいる。
しかし、そんな異質なものを異質と見せないのが、ファミレスという空間なのかもしれない。店内にいるのは客と従業員のみ、それ以上の分けかたは必要のないものなのだろう。
「で、仕事は?」
その男が声を発する。
まとった空気こそ異質であるが、格好はジーパンにTシャツ、その上にサマージャンパーという特に目をひくものではなく、身長も見上げるほど高いということもない、ちょっと高いという程度のものであった。
それゆえ、まとった空気にかかわらず、誰も彼を異質であるとは認識しなかった。
「…V.G.のことはもう知っているわよね」
彼の前に座っていた女が、カップを片手にそう聞いた。
人目をひくという意味では、男よりもこの女の方がひくかもしれない。シックなデザインのスーツをパリッと身に纏い、知的なメガネで隠されている容姿は、美人というカテゴリーに入れるのに何の問題もなかった。
「”Virgin Goddess”のことか? 沈んだんだって、もったいない。まー、でもあんたらにしたら、そう大した損害でもないんじゃないの」
男はコーヒーを飲み干すと、口の端に笑みをうかべたままそう聞いた。
「コーヒーのおかわりはいかがですか?」
すぐさま対応してくる店員に、ありがとうと答えるさまも気取った様子は見あたらない。
「…違うわ」
店員が去ったのを見計らって、女が短く答える。
「…じゃあ、そこでやってたっていう…”V.G.”…”Venus Games”の方か?」
昨夜のニュースで見たという感じで語られているが、どれも一般人には知られているはずのない話題であり、この二人がアレの関係者であることは間違いなかった。
「…そうよ、それを含めて、すべての事よ」
「素材候補の二人ともに逃げられたっていう話だが、人捜しは俺の専門じゃないぜ」
コリコリと頭をかきながら、男が答える。
「そんな頭と足のいる作業で、あなたに仕事を頼むわけないでしょう。もちろん、この場合該当しないのは前者のことよ」
「…で、それをわかった上でなんだよ」
あからさまにわかる侮蔑の言葉にムッとしながら、男が問い返す。
「あのV.G.での失敗が本社に与えた被害は確かに甚大だったわ、でも、ある程度のリスク覚悟のプロジェクトだったから、はじめから失敗も考慮されていたわ。
今回重要なのは、V.G.の失敗じゃないの」
「…………」
男は静かにコーヒーをすする。
「警備担当に、Lシリーズが借り出されていたのは?」
「…初耳だね」
「…L1,L2,L3、ぜーんぶ負けちゃったわ、素材候補が含まれていたとはいえ、女の子相手にね」
「…で?」
「わからないはずないでしょ、あれらは試作品じゃなく、商品なのよ。それもかなりのヒット作のね。
女の子相手に負けました…では、おしまいなのよ、そこに商品価値はなくなるのよ」
「…それで?」
女はバックから一枚の写真を取り出すと、テーブルの上にのせる。写っているのは一人の少女、どこかのファミレスの衣装だろうか、ミニスカートのかわいらしい衣装を身に纏っている。
「名前は”飛鳥優”、ファミレス”M.Y.Home”のウェイトレス…いえ、店長代理よ。
…そして、V.G.での優勝者」
「…なるほど」
写真を眺めつつ、男が答える。
「…あなたのほうが断然強いということを証明してくれればいいわ、”J”」
「…壊しても良いんだな?」
最後の確認をするようにそう聞いた男に対して…
「でないと、あなたに頼むわけないでしょう」
そう言って、伝票を持って先に席をたった。
「…結構」
写真をポケットにつっこんで、男がニヤリと笑った。
男は店を出ると、表通りを歩き、コンビニで雑誌を立ち読みし、ゲーセンの中を通り抜けて…
「…おい」
人気のない裏通りに出ると、ゆっくりと声を振り絞った。
「えっ、えええぇぇ!!」
ゴミバケツの影で、びっくりですというのをこれ以上なく表した声がした。
「わわわっ、って、きゃあああ!!」
あたふたどたばたという表現を、ゴミバケツを倒して、それを必死に直そうと何度も倒してはゴミを詰め込んで、直ったその影からおそるおそる顔を出すと…
「あの、もしかしてバレバレですか?」
「これ以上なくな」
ヤレヤレと溜息をつきながら、男が答える。
「ううう…」
そううめき声を出しながら現れた少女は、涙目で服に付いたゴミを払い落とす。
「完璧な尾行だと思ったのに」
肩を落として、ボソリとそうつぶやいた。
その言葉に男は右手で顔を押さえると、あきれてものも言えないということを喋れない口の代わりに表現した。
「あのなあ、その大正ロマン溢れる格好は”駅馬車”の店内じゃあ普通だろうが、オフィス街の表通りや、コンビニの店内で目立たないはずがないだろ!」
「あうううぅぅーーー!!」
男の指摘通り、その少女の格好は”駅馬車”のウェイトレスの格好…つまりは袴姿であった。その格好の少女…そしてそんな少女をピッタリと引き連れて歩いていた男の目立っていたことと言えば…
「まったく…」
目立つことを嫌う…嫌わざるをえない素性をしている男にしては、文句の一つや二つは言わずにはおれなかった。
「…で、なんだ?」
「えっ?」
きょとんとした表情で聞き返してくる少女に、頭を片手でかきむしりながら男が声をあげる。
「えっ、じゃない!! なんか用があったから追いかけてきたんだろ!?」
「あああああぁぁぁぁーーーー!!!!!!」
思い出したと言わんばかりに、少女が大声を出す。
「そうです! あなたは一体誰なんですか!?」
「はぁ?」
少女の質問に、男は意味がわからんという表情をする。
「それに、優さんをどうするつもりですか!?」
「ほぅ…」
その質問で、男は合点がいったという表情に切り替える。
「知り合いか?」
「ともだちです!」
男の質問に、間髪いれずに少女が答える。
「なるほど、あんたもV.G.の出場者だったってわけか」
その質問に対しては、少女は答えない。しかし、そのまっすぐな視線がはっきりと答えていた。
「どうするつもりかって聞いたよな」
ニィっと笑うと男は告げる。
「ぶっ壊す!」
「ゆるしません!!」
男に油断がまったくなかったとは言わない。V.G.の出場者と聞いてある程度の警戒はしていた。
しかし、認識がはっきりと甘かった。
「なっ!」
言い終わらないうちに、その小柄な少女の姿は大きくなっていた。否、そう見えてしまうほどのスピードで、男の眼前にその体を滑り込ませていた。
バキィッッ!!!!!
「そーりゅーげきぃ!!」
伸び上がった体と共に放たれた、昇竜のごときアッパーは男をガードごと跳ね上げた。その威力のすごさと共に、なんとかガードを間に合わせた男の反射速度も賞賛に値するだろう。だが、やはりもっとも賞賛に値するのは彼女のスピードであることは間違いなかった。
…あとついでに、他の全然関係ない点において、彼女を良く知る中国の知人はきっとその成長を認め、賞賛するだろう…
「…驚いた…な」
数メートル後方に着地した男が、ガードごしに驚嘆の目を向ける。
「技もさることながら、ここまでのスピードは初めて見たぜ」
口調とまなざしに賞賛の色をこめて、男がそう言った。そして、言葉を続ける…
「俺以外でな」
ギュオゥン!!
異様な音と共に、男の姿がかき消える。いや、少女の驚きに満ちたまなざしは、それでも男の姿をはっきりと捕らえていた。
ングォオオオゥンン!!!
「わわわわわっっ!!」
襲ってきた男のハイキックを、なんとかかわす。
「やる!」
もうもうと砂埃を巻き上げながら、男が笑みを浮かべる。
グォングォングォン……
「なに、なんなの…」
音と共に高速で動く相手に、少女はあまりいい想い出がない。ハッキリ言えば苦手意識すらあった。そして、その少女の印象はそう外れたものでもなかった…
バォォオゥン!!
風を切り裂くのとはまた違った音と共に、男が一瞬にして間合いを詰めてくる。
「くぅっ!」
やばいという直感と少女が生来持つ臆病さが、彼女を大きく避けさせる。
ギャウ! グオン! ガッ、バゥ! ドォォオオゥンン!!
風を斬って襲い来るハイキック! その蹴り足の遠心力を利用しての後ろ回し蹴り! 壁を捕らえたその蹴り足が、それをそのまま足場にしての跳ね上がる蹴り! さらにその跳ね上げた足を急激に引き下ろすネリチャギ!!
異様な音と共に繰り出された連続的なキックを、少女はなんとかすべてかわしきった。その威力の高さは、当たらずとも、触れずともハッキリとわかった。いや、触れていたらとんでもないことになっていただろう。
蹴りが当たり足場としたコンクリートの壁は、亀裂が走っており、ネリチャギの振り下ろされた地面は、破裂したようにかすかなクレーターができていた。
「ひえええぇぇぇ……」
「ひゅー、まじでやるね」
男が口笛を吹きながら、嬉しそうに笑う。
グォングォングォン……
相変わらず、変な音は聞こえてくる。
「はぁはぁはぁ…」
スタミナには自信があったのに、早くも息切れがしてしまっている。運動量からくるものではない、むしろ彼女としてはほとんど動いてないとも言えるくらいの運動量である。つまり、精神的なもの、一撃でもくらうとおしまいという思い…そして…
[もしかして、私より速い?]
…その思いが、少女のスタミナを恐ろしいほどの速度で奪っていたのだ。
少女のキャリアはその実力からすれば、驚くほど少ない。それでも、歴戦の強者との戦いの経験は少なくないと自負している。
そのキャリアの中でも、実力的には自分よりも上だと…少女が思う分は、かなり自分を低く見積もりすぎとも言えるが…思った人物はたくさんいたが、それでも、これだけはハッキリ言えた。
…自分より速かった人はいない…
それは彼女の武器であり、自信であり、支えであった。
「あんた、名前は?」
衝撃から抜けきれていない少女に対し、男が問いかける。
「俺の名前は”J”、”Jet(ジェット)”のJだ」
グォングォングォン……
相変わらず音が響く。
「…そして、”Jack the Breaker(壊し屋ジャック)”だ!!」
ドォォオオゥゥゥムンン!!!!!
”JET”の文字通り、高速で少女との距離を縮めると、”Breaker”の言葉通り、触れるものを破壊していく。
「〜〜〜〜〜!!!!!!」
ダァン! ドォン! ガァン! バキャア! ズガァァン!!
少女が必死でかわす。全力で、自分の持つ速度の限界を超えて、かろうじてかわしていく。
「ははははっはははははははっっっ!!!!!!」
男の哄笑になど耳を貸さず、すべての集中力を、相手の両足へと傾ける。反撃など考えない、考えられない!
当たれば痛いとか、死ぬかも、などとは思えない。間違いなく壊される!!
絶望的な状況と言えるが、彼女だからこそまだ戦えていると言える。
彼女だからこそ、ここまで避けることができている!
彼女だからこそ、まだ壊されていないのだ!!!
人間の限界の速度でかわす少女を、人体の構造上あり得ない速度で追いつめる男…
観客がいないのが惜しまれるほどのハイレベルな戦い、観客がいたところで視認できるとは思えないほどのハイスピードな戦い…
「ハァハァハァハァハァハァ……………」
グォングォングォングォングォングォン……
相変わらず響く音は、その男の体…恐るべき破壊力を秘めた、その両足から聞こえてきている。
”Mシリーズ”の前、”Lシリーズ”の前、そして”Kシリーズ”よりも前に作られたのが、この”J”であった。
”Jシリーズ”ではありえない、なぜなら、彼以外作られていないから。否、作られるという表現もありえない。
彼は人間であったから、少なくとも、上半身に限っては。
「あ〜あ、このジーパンももうダメだな」
男の言葉通り、彼が履いていたジーパンは膝下からはボロボロになっていた。
「あっ!」
そのボロボロのジーパンから覗いている足に、少女が驚きの…いや、ある意味納得の声をあげる。そこに見えるのはメタリックな色をしたものだった。
「くくっ、これかい? いい義足だろ、医療用から発展したとはとても思えないだろ」
グォングォングォン…
さっきから響く音は、その駆動音だったのだ。
これでその人外のスピードも、驚異的な破壊力も説明できる。ジェットエンジンによる無茶苦茶なスピード、超合金製の両足から繰り出される恐るべき破壊力、ただ一つだけ納得できないのは…
「どうして俺があの船に乗ってなかったのかって不思議かい? せっかくの商品をぶっ壊しちゃあ意味ないからな」
そして、他のJが作られなかった理由、Jシリーズとならなかった理由…
「他にはいないかって? こんなじゃじゃ馬、俺以外あつかえれるわけないだろ」
男…Jが楽しそうに語る。実際楽しいのだ、これほどまで壊すのに時間がかかった相手は初めてだったから。
「それでも、俺がLシリーズの2世代前なのは事実だからな。俺がV.G.の優勝者を壊したら、それで面目は保てるってわけだ。俺の方がLシリーズより強いんだけどな」
Jが至福の表情で語る。それは、いよいよ迎える絶頂への期待の現れ。
「残念だ、実に残念だよ。もっともっと、戦いたいんだけどねえ」
男が悼むように、切ない表情で、少女を見つめる。
「行くぜ…」
ぺろりと唇をなめるJに…
「…ゆみ…です…」
「ん?」
「…私の名前。…岡本歩美です」
少女…歩美がそう告げて、男…Jへと視線をまっすぐに向ける。
「い〜い貌だ」
歩美の表情には、覚悟があった。覚悟を決めたまなざしがあった。
「逝くぜ」
駆動音を置き去りにしたスピードで、まっすぐにその凶悪な蹴りが歩美へ向かって放たれる。
そこには何の小細工もない、確実に破壊するためだけの一撃!
[ああ、逝く!!!]
己の凶器が少女を破壊するのを確信して、恍惚の表情を浮かべ…
「クィンビーストライク!!!!」
…刹那もないタイミングで放たれたカウンターが、勝負を決していた…
「…なんだ、そりゃ…」
路地裏で大の字になった男…Jがつぶやいた。
「はぁはぁはぁはぁ…」
少女…歩美は膝を折って、息を整えている。
「…俺の蹴り足を巻き込んでの、カウンターだと?」
理論上はわかる。そして、それが机上の空論でしかありえないということもわかる。それなのに…
「嬢ちゃん、ホントに人間かよ…」
「あ、あたりまえです」
肩で息をしながらも、その不穏当な言葉に反応する。
「とにかく、優さんに手を出したらゆるしませんから」
ガクガクと今になって震える両膝に力を入れて、歩美が宣言する。
「ふっ」
すっかりとわすれていたことに、思わず知らず苦笑する。
「わかってるし、もう無理だ」
「えっ?」
Jの意外な返答に、歩美が聞き返す。
「大事なところが壊されちまった。壊し屋廃業だ」
歩美の放ったクィンビーストライクをくらった腹部、その衝撃で脳から下半身へ情報を伝達する部位が完全に破壊されていた。
非常にあやういバランスでコントロールしていた両足だ、完全に修復することは不可能だろう。
「壊し屋を壊しちまうなんて、とんでもない壊し屋だな、あんた」
そう冗談っぽく言った言葉に対して…
「こっ、壊してませんよ! …さ、最近は…」
ごにょごにょと歩美が反論した。
でも本日、Jを追いかけようと店を飛び出したとき、手に持っていたペペロンチーノ、どこへ置いただろう? 背後から聞こえたガチャンという音は違うよね…などと内心で激しい葛藤があったりする。
「あんたでも優勝じゃなかったんだって?」
「えっ?」
「なんつー、大会だよ、ったく」
Jは初めて、船に乗らなかったことを後悔していた。
ちなみに、大破したペペロンチーノと、無断外出について、彼女が後日こっぴどくしかられたことを追記しておこう。
ちゃんちゃん
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