〜ある夜のできごと〜




「ふぃ〜」

ざぶん、と湯につかり、一息つく。夏の終わりといっても、十二時を過ぎれば、やっぱり少し寒くなる。
つま先や指先が、かじかんでいるところに熱いお湯を触れさせると、痺れるような鈍い痛みの後に、気持ちよさが浸透する。
うん、やっぱり風呂は良いよなぁ………これで風呂上りに一杯やれれば最高なんだけど。
まぁ、いちおう未成年だし…それ以前に冷蔵庫の中には、ビールのストックがないのを確認していたのだが。

「スンスンス〜ン、はっ。スンスンス〜ン…ズンススンス〜ン」

のんびりと鼻歌を歌いながら、湯船に肩まで使ってのんびりと手足を伸ばす。
ここ最近は、サザンフィッシュに通い詰めでバイトをしていたから、色々と筋肉が凝ってしょうがない。
特に、腰辺りがなぁ………いや、変な意味じゃなくて、純粋に荷物運びをして、ということだが。

「バンバラバンバンバン、バンバラバンバンバン、バンバラバンバンバンバラバンバンバンバラバンバンバン」

こうしてのんびりと、一人で湯船につかって時間を過ごすのも悪くはない。
いつもならここで、静あたりが風呂場に乱入してくるところだが…来る途中、部屋で寝ていたのを確認していたので――――

カラカラカラ…

「あれ?」

予想に反して、誰かが脱衣所に入ってきた音を聞きとがめた。ついで、服を脱ぐ衣擦れの音…どうやら、一緒に入る気らしい。
まぁ…いつものことだし、別に良いだろ。ただ、素っ裸で入ってこられると、さえちゃんあたりがうるさい事も確かだ。

「入ってくるなら、バスタオル巻いて来いよ〜」
「………」

脱衣所に声をかけるが、返事はない。ただ、一瞬の間…服を脱ぐ音が止まり、また再開されたので、ちゃんと聞こえただろう。
そうして、のんびりと鼻歌を交えながら、しばし待っていると――――脱衣場から、いつもの通り、バスタオルを巻いた静が、

「………おまたせ」
「――――え?」

鼻歌が、止まる。風呂場に入ってきたのは、静ではなく、凛奈だった。バスタオルを身体に巻き、落ちつかなげにしている。
そわそわと、視線を泳がしているあたり、まず間違いなく緊張しているんだろう………いや、緊張しているのは、俺も、か。

「なんで、だ?」
「なんで、って、航が言ったじゃん。入ってくるならバスタオル巻いて来いって」
「いや、それは入浴五つの誓いが――――それより、俺が入ってるの、分かってたんだろ?」
「うん………だけど、バスタオル巻いとけば良いかなって…あは、あはは………」

取り繕うように、苦笑じみた笑みを浮かべる凛奈。とはいえ、それで場の空気が軽くなるわけではなかった。
まぁ、何と言うか、正直驚きすぎて言葉も出ないのが実情なのだが…そんな俺の反応に、沈黙してしまった凛奈は………、

「…やっぱ、入るのやめとく」
「って、待て待て待て待て!」
「なによぉ、さっきイヤそーな顔したじゃん」

と言いつつも、俺の呼びかけに振り向く凛奈。聞く耳持たないのであれば、俺の呼びかけなど無視すればいい。
つまりは、まだ多少は脈があるということだろう――――どの程度なのかは、判別がつけれるものではなかったが。

「別に嫌そうな顔したわけじゃないぞ。というか、大歓迎だが。とうとう凛奈も、静と同じで裸の付き合いを所望………」
「………」
「冗談だから、そんな顔で見るなって!」

怒るんならともかく、真剣に照れられると、こちらとしても立つ瀬がない。
場を取り繕うように、凛奈が入ってきたところで止まった鼻歌メドレーを再開する。そして、しばしの後………

「ちゃらちゃっちゃっちゃっちゃ〜」
「ねぇ、一緒に入っちゃ、駄目かな…?」

おずおずといった風に、凛奈がそんな事を聞いてくる。否定されるのが怖いなら、聞かなきゃ良いと思うんだが。
ただ、面と向かって了承の言葉を告げるのも気恥ずかしいから、俺はわざとぶっきらぼうな言葉を選んだ。

「勝手にすりゃ良いだろ。別に風呂は俺のもんじゃなくて、つぐみ寮の皆のものだしな」
「ぁ…」
「………なんだよ?」
「ううん、なんでもない」

そう言いつつも、どこか嬉しそうに微笑む凛奈。吹っ切れたのか、浴槽に入るため、彼女は片足を上げようとし――――、

「あの………ちょっと向こう向いててもらいたいんだけど」
「何でだよ? 別にバスタオルを巻いてるし、良いじゃんかよ」
「や、だって…あしをあげたりしたら、その、見えちゃうし」
「うむ、だからこそ、こうしてバッチリと網膜に焼きつかせようかと――――あたっ!」

凛奈の投げた木製の桶が、俺の頭部に命中した。とはいえ、バスタオルが解けないように、ほどほどに手加減されてはいたが。
しかし、それでも多少は痛い。凛奈はというと、怒りの表情で次弾を…別の洗面器をつかもうとしていた。

「ああ、もうっ! 分かったよ、向こう向いてりゃ良いんだろっ」
「こっち向いたりしたら、ただじゃおかないからねっ」

釘をさしてから、水かさの増す感触。背中越しに、柔らかいものが張り付いてくるのを感じた。
充分に広い浴槽――――離れて入ることも出来るというのに、凛奈のやつよりにもよって、俺の背中にもたれかかってきた。

「は〜、極楽極楽」
「少しは離れろ、鬱陶しい」
「む、酷いこと言うなぁ。裸の付き合いしてるんだし、もうちょっと素直になりなさいよ」
「………」

からかうような凛奈に、返す言葉もない。正直なところ、かなり落ち着かなくなっているのが自分でも分かった。
これが静なら、何の問題もない。男と女という関係よりも、仲間という意識が強くなるからだ。
ただ、他の皆とはそういうわけには行かない。少なくとも、こうして一緒に風呂に入るのには違和感が生じるくらいに。

「ねぇ」
「ん、なんだよ?」

だから、自然に口数が少なくなってしまう俺。凛奈もそのことを察してか、次々と言葉を投げかけてくる。

「夏休み、楽しかったよね」
「…ああ」
「皆で海に行って、花火やって、ビール掛けやって、補習して」
「最後のは、俺は関係ないけどな」
「話の腰を折らないでよぉ…」

俺の言葉に、拗ねたように甘い声を出す凛奈。最初は肩が触れるくらいだったのに、いつの間にか背中が密着している。
それは、俺が近づいたのか、凛奈から近づいてきたのか分からない。ただ、背中越しに少しずつ、互いの距離が近づいていた。

「秋になったら、どんなことがあるのかな? 文化祭とか、やるんでしょ?」
「ああ、何をするかは、もう少ししたら決めるけど、けっこう大掛かりなものになるぞ」
「そっか、楽しみだなぁ…で、冬が来て、皆でお雑煮食べながら、年を越して――――…」

凛奈の言葉が途切れる。少なくとも、俺達にその先はない。
つぐみ寮での生活は、どうやっても来年まで。そして、皆はこの島を去ることになる。

「正直、今はちょっとつらくなってる。来年になって、皆と離れ離れになる時、今までの思い出だけでも泣ける自信、あるよ」
「…そうか」
「でも、まだまだ足りないね。これから先、もっとたくさんの思い出をつくって、もっと大泣きして別れを悲しみたい」
「その時は、俺も多分、一緒に泣いてると思う」
「…ぅん」

だって、今のこの思い出だけでも、充分に胸の奥に留まるだろうから。
普段なら、馬鹿話にしかならないような、恥ずかしい言葉の羅列…ただ、湯気に中てられたのか、今は素直に思う事が出来た。

「ふぅ、さて、それじゃあ身体を洗わないとっ………航、背中流してくれる?」
「いいのか?」
「うん。終わったら、あたしが背中を流したげるからさ」

そう言って、背中を密着させてくる凛奈。肩から腰にかけて、ぴっとりとくっつかれ、柔らかい感触に、くらくらした。
こいつ、存外に甘えん坊だよなぁ………ま、たまにはいいか。今の時刻、誰かがここに来るとも思え――――、

「…まて、何か聞こえなかったか?」
「え?」

凛奈との話に夢中になっていたため、注意が散漫になっていたらしい。気がつくと、脱衣所に人の気配。
誰だ? 会長や宮は後々怖いし、海己やさえちゃんだったら何て言いつくろえばいいか、いや、それより何より最悪なのは…、

「わたる〜………………ぁ」

最悪………風呂場の五つの誓いなど、やっぱり忘れていた静は、素っ裸のまま浴室に入ってきて、こっちを見て硬直した。
凛奈はというと、俺の背中越しに、静を見咎めて、慌てて俺から身を離して立ち上がった。もう既に遅いが………、

「いや、静、あのな………違うんだよ、これは」
「そ、そうそう。良くわかんないけど、とにかく違うって事で――――だめ?」

口々に、場を取り繕うとする俺と凛奈。しかし、もともと説得なんてされるようなやつじゃない。
静は、しばしの沈黙の後、思いっきり顔に不機嫌な表情をつくり、こっちに向かって、たたた…と駆け寄りながら………って、

「〜〜〜〜〜〜〜〜!」
「うわ、ダイブしてくるなって、危な………うわわっ!?」
「わ、航…! きゃっ、あたしを巻き込むなぁっ!」

俺に飛び掛ってくる静を抱きとめつつ、凛奈も巻き込んで、俺は湯船に転倒した。
しがみついてくる静とか、暴れる凛奈とかで、危うく風呂場で溺れそうになったのは、今後のいい思い出に…なるんだろうか?



「ほーら、お客さん、痒いところはございませんか?」
「…ん」

俺が手で髪を洗うと、満足げにため息を漏らす静。あれから、癇癪を起こす静を何とかなだめ、俺は静と一緒に洗い場に居る。
シャンプーハットを頭に載せた静は、俺の問いに満足げに返事をする。どうやら、機嫌は直ったようだ。
と、湯船の方から、かなり参ったような声が聞こえてきた。

「ね〜、静ぅ…まだ出ちゃ駄目なの? のぼせちゃうよ」
「だめ。しずとわたるが出るまで、でてくるな」

静としての最大限の譲歩で、凛奈は浴槽に入ることを許された。といっても、浴槽から出るのを禁止するあたり、意地が悪い。
これなら、風呂場から叩きだされた方がましだと、俺なら思うんだが…凛奈は喜んで、静の提案に従った。

「あ、ほら、何ならさ…航の代わりに、あたしが背中を流したげるから」
「いい、いらない」
「…そんなぁ」

取り付くしまもない静の様子に、凛奈がむくれる。と、助けを求めるように俺の方を向いて懇願してきた。

「航、航からも…何とか静にとりなしてよぉ」
「や、無理。静はこうなると、言うことを聞かないからな。ほとぼりが冷めるまで、頑張ってくれ」
「ふぅん、結局…航は静の味方をするんだ」
「何でそうなるっ!?」

拗ねたような、いや、実際に拗ねた様子の凛奈に弁明しようと、俺は浴槽に向き直り――――、

「わたる、せなか」
「あ、ああ…いや、先に凛奈のほうを………」
「〜〜〜〜〜〜…」

凛奈をかまえば、静が拗ねるし、静の味方をしたら、凛奈の機嫌が悪化する――――どないしろっちゅーねん。
結局、不毛な状況は、凛奈がのぼせて風呂場に沈むまでつづくことになった。

それからしばらくの間…俺が入っている時は、風呂場の入り口に『りんなきんし』の札が掛けられるようになった。
ちなみに並んで、『静も禁止』という札も掛けられてはいたが、あまり効果がなかったのは、察しの通りである………。




作者コメント

こんにちは。『紗社の都』というサイトを管理している。ルイトと申します。
今回は、こんにゃく祭ということもあり、投稿をさせていただきました。

物語のふいんきを壊さないように書くのは難しいですが、投稿用と言うこともあり、精一杯書かせていただきました。
お暇であれば、当サイトも覗いていっていただきますよう、ご案内いたします。

Written by ルイト