ホシノいないウミ

 年中暑い島にも、ここが日本である限り、当然四季があるわけで、長い夏は終わり、短い冬が始り出していた。
 また数ヶ月もすれば、春というには暑い日々が続くわけだが、とりあえず今は寒い。
 といわけで、最初は普段着のままで行こうと思ったものの、気紛れな寒さに負けて寮内に舞い戻った。
 そんなこんなで、今季初、ジャケットを羽織って、玄関を開ける。
 そして、いつの間にか強張っていた表情を、笑顔に変えて半身で振り返る。「んじゃ、行って来る」
 そこにはあいつがいるから、弱気をそう簡単には見せられない。
 だから、いつだって側にいるそいつに、努めて明るく声をかけたつもりだった。
 だと言うのに、声を掛けられた少女は、
「………………う、うん、早く、帰ってきてね?」
「…………」
 冬の青空は涼しげに透き通っているのに、海己の顔は悲しげに目の中いっぱいに涙が溜まっていた。
 無理矢理引き上げたやる気がすごい勢いで消え失せていった。





「はぁ……航ぅ」
 今日の航の外出は前々から決まっていたことだ。
 航は今日、単身星野の実家に帰る。それも、わたしたちが自ら望んだことでもある。わたしのために航が誓ってくれたことのために――



 まずは、寮のみんなに認めてもらおう。
 この小さな、かけがえのない世界で…『ふたり』と『みんな』を両立してみせる。
 誰もが、俺たちのことを、呆れて、指差して笑って、けど、笑いながらも、優しく見守ってくれて…そんなコミュニティを、作ろう。
 もしも世界が、7人の小さな寮だったら…そのうち2人は、仲の良い恋人同士でいよう。
 2人は愛し合っているけど…みんなで笑って、みんなで喧嘩して、みんなで仲直りして…楽しく暮らそう。
 そして…もしも世界が、2000人の小さな島だったら。
 1998人を敵に回しても…なんて言わない。でも、1998人に認めてもらうまで、絶対に諦めないから。
 誰も傷つかない。誰もいやな思いなんかさせない。そんな世界に、してみせるから。
 だからお前は、俺の女になれ。俺にとって、都合のいい女になってくれよ!



 情けないけど、わたしにはこれがないと、前に進めない。
 不器用で、泣き虫なわたしが前に進むには『ふたり』だけじゃ足りない。つぐみ寮の、南栄生島の、わたしたちを知る『みんな』が必要なんだから。
 そんな守りの堅い幼なじみを航は選んでくれた、望んでくれた。
 夢の中じゃない羽山海己を、現実で歩き出した羽山海己を。
 きっぱりと拒んでくれた、跳ね除けてくれた。
 夢に辿り着かない現実を、現実の逃げ場でしかない夢を。

そんな―――わたしには勿体ない、自慢の……恋人。

「な〜に、誰もいない玄関見つめてにやついてんのよ」
「な、奈緒子さん!?」
「おーおー、海己にしては大きなリアクションね。んで……何考えてた?」
 冬休みに突入して、寮生以外に遭う機会の減った奈緒子さんは普段にも増して……普段通り、楽しそうだ。
 目を細めて、心なしか近寄りながらも、顔には薄笑いが浮かんでいる。
「べ、別に、航のことなんて考えてないよぉ」
 できる限り、何を考えていたのかを、誤魔化した。
 バレると、航も怒る……というかすこし沈んじゃうし、『ごちそうさま』とか言われるとわたしも恥ずかしいし……。
「………………」
 奈緒子さんはおかしな顔で固まって、一言も喋らない。
 奈緒子さんにこういうのが通用した例がないけど……もしかしたら上手く煙に巻けたのかしれない。

「あんまりにもベタすぎて、『ごちそうさま』とすら言えない……というところでしょうか」
「海己……うそつくの、得意じゃない」

「み、宮ちゃん!? 静ちゃん!?」
 奈緒子さんより、さらに後ろ、この一年足らずで やっぱり、バレちゃってるのぉ? 今までよりは上手く嘘つけたと思ったのに……。
 なんて言えばいいのか、航に聞いたこともあるけど、航は『そんな反応してる時点、何言っても無駄だ』としか言ってくれなった。
 こ、恋人同士になっても、航は冷たいとき冷たい。わかってはいるんだけど、少しだけちくりとする。
「あーもー、あんたたちは相方がいなくても惚気っぱなしなのかぁ〜!
 お味噌汁、火かけっ放しだから泡吹いてるよぉ〜!」
「うーみー……お腹すいたよぉ〜」
「あ! あ、ぁ、ぁ。ご、ごめんなさ〜い」
 そう言えば、航は朝ごはんも食べずに出かけようとして、それに焦って、朝ごはんの支度をしたまま送りに行ってしまったんだった。
 あぁ〜……ちゃんと覚えてれば、お弁当くらい渡せたのに……。
「概ね同意だけど……それくらい、さえちゃん自分でやりなさいよ」
「あんた……この空気においても機会逃さないのね」

 その後は、いつも通りに朝ごはんは進んだ。
 奈緒子さんと沙依里先生は相変わらず何度も言い争っていたし、宮ちゃんはそれに踏み込んで、その度奈緒子さんに追い掛け回されて、すぐ捕まっていたし、静ちゃんは黙々と美味しそうに食べてくれて、凛奈ちゃんは何度もおかわりしてくれた。
 いつもより静かで、お米が余ってしまったけど。

 そういえば、航を送りに玄関に出たときもわたしはエプロンを付けたままだった。
 それに関係があるのかもしれない。航が二人きりになったときによくする表情を浮かべて、
『違う! そこはだな。
 はい、鞄。いってらっしゃいませ、あ・な・た。 ん……? あら、ネクタイが曲がってますよ。ふふふ、えぇ、それじゃあ改めていってらっしゃいませ♪
 とか言わないとダメだろうがっ! 加えてお出かけのチューをねだればなお良し!』
 こんなことを言ってたのは。
 よくわからなかったから、そんなことしなかったけど、航は鞄も持ってなかったし、ネクタイもしてなかったから、わたしの考えたことに悪いところはなかったはず。
 それなのに、航は妙に悔しそうな顔で石段を降りていったけど……なんだったんだろう?



………
……




「あぁっ!? 卵の殻があんなことやこんなことにっ!」
「…………(こんこん、ぱかっ)」
「な、なんで静ちゃんはそんなに上手にできるんですかぁ……?」
「宮、手がふるえてる」
 台所から聞こえる声に、その……少し不安になる。
 親子丼を作ると言ってたけど、お料理の練習中ならもう少し簡単なものから始めれば良かったのに……。
「ほらほら、海己はわたしが見てるから自分のことをやりなさい」
 リビングで同じように宮ちゃんと静ちゃんの様子を見ていた沙依里先生が、急に私の方へと向き直る。
「……え? あ、は、はい」
 言われて気付いた、わたしがいるのは寮の外で、畑に水をやってる最中だった。
 台所からの宮ちゃんたちの声に引き寄せられて、窓からちょっと覗くだけのつもりが、畑とは見当違いの場所に大きな水溜りが出来てしまっていた。
「だっから、より不安になるんじゃない。ねぇ〜海己ぃ?」
「どういう意味よ、浅倉ぁ〜」
 どこから現れたのか、さっきまで自分の部屋にいたはずの奈緒子さんが颯爽とすぐ近くに立っていた。
「どういう意味もそのままの意味ですが?」
「くぅ〜っ、アンタだって料理に関しては素人のクセにぃ〜!」
「学生と社会人を、同レベルで比べられても……ねぇ?」
 そうやって、にやりと奈緒子さんが笑うと沙依里先生は黙って、そっぽを向いてしまった。
 沙依里先生は凄く悔しそうに机に突っ伏してしまっているけど、奈緒子さんは嬉しいというより楽しそうな笑顔を上げて控えめな笑い声を上げている。
「ほら、海己、わたしも見てるから、あんたはさっさと畑仕事を終わらしちゃいなさい」
 奈緒子さんの表情が、ただ楽しそうな笑顔から、悟ったような笑顔に少しだけ切り替わる。
 わたしの心の中を見透かしたような、そんな表情で。もしかしたら、奈緒子さんは茫然と大きな水溜りを作ってるわたしが見えたのかもしれない。二階の奈緒子さんの部屋から、ここは丸見えだから。
「ご、ごめんなさい。ありがとうございます」
 わたしは、すこしだけ安心して畑に向かった。やらなきゃいけないことがあるのは素晴らしいことだと思った。



「忙しい子だね、あの子は……」
 謝罪にお礼に……あの癖ばっかりは航が側にやって来ても、そう簡単に治りきるようなものじゃないらしい。
 もしかたら、今日が例外なのかもしれないけど。
「なによ、浅倉。あの子が忙しいのはいつものことじゃない。
 それよりも、朝倉が来たら畑に戻るなんて、わたしって海己にも信用されてないのかなぁ?」
 痛いところを突かれてふて腐れてても、やっぱりさえちゃんはしっかり内容を聞いていた。
 海己はさえちゃんのことを信用はともかく、信頼しているから、あれだけ茫然としたり、本人は気付いてなかったみたいけど朝食がちぐはぐな味付けになってたのは、それとは関係なく……
「いつも、憎まれ口叩いてるやつがいないからね……」
「……そうね。星野のいない海己って想像し難し……」
 ということはあいつ、今日まる一日あの調子なのかしら……?
 そう考えると、昼食を静に、、任せたのは正解だったかもしれない。足手まといがいる分、不安には変わりないけれど。
「あの〜、奈緒子先輩と沙依里先生。そんなことよりも、暇ならいい加減、手伝ってもらえませんか?」



「ねーねー、海己ぃ」
「凛奈ちゃん? どうかしたの?」
 畑仕事もいつもより時間がかかったけど、何とか終わって使った道具を片付けている最中、普段畑にやって来ることなんてほとんどない凛奈ちゃんがわたしを呼んだ。
 凛奈ちゃんはまだジャージ姿で、“ろーどわーく”から帰ってきてすぐだというのがわかる。
 だと言うのに、息を軽く切らしているだけ凛奈ちゃんはとっても凄いと思う。少なくとも一時間以上は走っていたのに。
「お昼が終わったら、サザンフィッシュに行かない?」
「サザンフィッシュ? そんな、なんで?」
 航や凛奈ちゃんはよく行くみたいだけど、わたしはあまり行かない。
 わたしがあそこで食事してしまうと、つぐみ寮で料理する人がいなくなってしまう、というのが一つの理由になる。
 それ二つ目の大きな理由が、
「わたしがサザンフィッシュに行こうとすると日が暮れちゃうよぉ」
「そんなこと言わないでよ〜。日が暮れてったって、大丈夫だって。それにいくらなんで大袈裟に言いすぎでしょ」
 そんな言い方すると断りづらい、けどもう少し粘ってみる。
 一つ目の理由もわたしにはあるし、「そ、それに、奈緒子さんたちの晩ごはんがあるし……」
「それだって問題ないよ。いざとなったら静がいるし」
 ……可哀想に、宮ちゃん。名前も出してもらってない。
 でも、これで行かない理由はなくなってしまった。それに、別に行きたくないわけじゃないし……。
「うん、わかった。一緒に行こっ」
「やったー! ありがとー、海己ぃ〜」
「ちょ、ちょっと、凛奈ちゃんっ!?」
 凛奈ちゃんはわたしに抱きついて、喜んでくれた。喜んでくれるのは嬉しいんだけど、わたしがサザンフィッシュに行くことの何がそんなに嬉しいんだろう?
 考えても答えは出てきそうにない。首をかしげていると、寮から『みんな』のわたしを呼ぶ声が聞こえた。

 そんななんでもない、食事に遅れている『ひとり』を『みんな』が呼ぶ声に、畑仕事で冷たくなった体が暖かくなった気がした。もちろん、心も。
 航。航の言う最初の一歩はこれ以上ないくらい実現しています。



………
……




「隆史さん、頼むよ……。ここは、どうか一つ!」
「ダメだ、ダメだ。客でもないお前らに部屋を貸せるわけがないだろう」
 昼飯時も過ぎて、人々と太陽がこれでもかと言うほど活性化する頃。凛奈と海己の向かうサザンフィッシュでは、常連の雅文と店主の隆史が口論をしていた。
 頭を下げ、手の平を何度も合わせる雅文に対して、隆史は店主の威厳を振りかざし悠然と懇願を跳ね除けている。
「久っ々に島に帰ってくる奴がいるんだよ。だから、そいつのために一部屋借りて騒ぎたいな、と」
「騒ぎたいなら店の中でやればいいだろう。見え透いた嘘なんかで俺を騙せると思うな」
「い、いやぁ、そんなことないって! 俺は単純に再開を祝ってやりたいだけでさっ!」
「仮にそうだとしても貸さないものは貸さん。シーズンじゃないからとか、以前は貸してくれたことが、とかは関係ない」
「隆史さん、いくら茜が朝出てから帰ってきてないからって、八つ当たりしなくても……」
「何か、言ったか?」
「―――、――――――!」
「―――――ー」
「――――――――――――――――……!」
「――――!?」
「――!」
「――!」
 こんな争いが既に三十分以上繰り広げられている。
 二人の折れない意志(焦りと欲望)と意志(ハつ当たり)は一向にどちらも折れる気配がない。そしてどちらかが相手を打ち負かす気配もない、何か負い目のようなものを感じてる二人は徹底的には強く出れていないからだ。

 そんな惨めな争いのせいか、店の中は閑散としていて、二人の大声も寂しく響き渡っている。
 それを終わらしたのは、仕方ないと諦めることでも、大人気ないと気付くことでもなく、ドアが開かれる音だった。
「こんにちわー」
「こんにちわ」
「こんにちわ……って、雅文何やってんの?」
 サザンフィッシュにやってきたのはつぐみ寮の二年二人組だけではなく、一人同じ二年生が増えていた。主に雅文を驚かせる人選で。
「おぉ、凛奈ちゃんに海己ちゃん」
「の、のののの紀子ぉぉ〜!?」
 一瞬前まで意地の張り合い全開だった隆史が気さくに対応するのは、商売人の誇りか。そのせいで、横でカウンターの椅子から転げ落ちた雅文がやけに目立って三人の目には映った。
 その様子に先ほどまで和気藹々と三人で喋りながらここまでやって来た紀子は今までの経験と直感で事態を正確に覚った。
 雅文も目が細められて見る見るうちに黒いオーラが噴出してくる様子に覚悟を決め、悟りきった顔になっていた。
「雅文、あんた……また?」
「いや紀子、そうじゃ、なくてだな……」
「彼女がいるのに、他の女の子に手を出そうとするなんて……」
「ち、違う! それは……違うんだ、紀子!」
 表情に大きな変化はなくとも、雰囲気が並々ならぬものになっていく紀子に、海己はもちろん凛奈も、更には隆史までもが一歩退いてしまっている。
 隆史が青ざめた。
 凛奈が目を瞑った。
 海己が店から出て行った。
 怒声と悲鳴が聞こえた。



 数分後のサザンフィッシュ。紀子ちゃんは普段の調子を取り戻していて、まるで何も無かったかのようになっていた。その反面、雅文くんは泣きながら店内を掃除していた。よくわからないけど、話しかけちゃいけないような気がした。
 凛奈ちゃんは結局何がどうなったか、すごく気になっているみたいだけど。
 わたしは苦笑いしかできそうもない。……気にならないと言えば嘘にもなるし。航も、女の子にもてるし……その、浮気なんてされたら、わたしなんか絶対に勝てないだろうし……。
「それで、隆史さん。茜はどうしたの?」
「朝飯食って、レオパルドン連れて出て行ったきり帰ってきてないな」
 さっきまでの怯えていたのを、おくびも出さないのがすごいと思う。それだけ茜ちゃんのことが心配なのかもしれない。
「それじゃあわたしと紀子が会ったのは、店を出たばっかってことになるのかな」
「どういうこと?」
 凛奈ちゃんが走っている間に会うのはわかるけど、そこに紀子ちゃんがいるのはわからなかった。
「あーまだ、海己には説明してなかったね」
「最初はわたしと凛奈がばったり会って、少しだけ立ち話してたのよ。そしたら、」

「呼ばれて飛びでてジャジャジャジャ〜ン! くしゃみもあくびも必要ない代わりに茜ちゃんには願い事叶える力なんてないけどね〜! 『なんだいこうちゃん、願い事を言うでおじゃる〜』みたいな感じで、今度航くんに言ってみようかな〜? ねぇどうだろ、どうだろ、どうだろ〜?」

「……こんな感じでやってきたわけよ」
「な、なるほどぉ……」
 なんだか出来すぎたタイミングだったけど、茜ちゃんならそれもわかるような気もするのはなんでだろう。
 とにかく、午前中この三人が偶然会って、わたしも含めてサザンフィッシュで遊ぼうってことになったみたい。
「おうぅ! お帰りっ、茜っ!」
「イェーイ! ただいまっ、お兄ちゃんっ!」
 すごく、楽しそうだ。茜ちゃんはわかるけど、隆史さんってこういう人だったんだ……航に聞いたことはあったけど、ここまでとは思わなかった。
 だって、茜ちゃんに対しては人が変わったようなんだもの。

「あ〜、海己ちゃん久しぶり〜、そんでもって紀子ちゃんと凛奈ちゃんは数時間ぶり〜。ごめんね、ちょっと乗りに乗って、レオパルドンと一緒につい遠くまで散歩しちゃったよ〜!」
 ……あまりのテンポの早さに、わたしたちはイマイチ歯切れの悪い返事しか出来なかった。
 別にいいよ、とか、久しぶり、とか少しも流暢じゃない喋り方で。
「それで話通り、海己ちゃんも連れてきてくれたんだね〜。あ〜り〜がとう、あ〜り〜がとう、感謝して〜、と。そんなわけでお兄ちゃん、みんなで使うから一部屋借りていい?」
「おし、わかったっ! どうせ空いてるんだ一番良い部屋使っていいぞ」
「なにその茜に対する聞き分けの良さはっ! 俺が頼んだとき、は…………なんでもありません(プシュー、ふきふき)」
 さっきまで泣いてた雅文くんが元気になったと思ったら、紀子ちゃんが振り向くとまた窓拭きに戻ってしまった。
 ……いざとなったら、あれくらいやらなきゃダメなのかなぁ……?
 航を怯えさせるなんて、わたしにはできそうもないよ。もしそうなったら、わたしはどうすればいいんだろう。


「そんなことより待って。航のこと、こうちゃんって……わたしなんだかそれ聞き覚えがあるんだけど!?」



………
……




「茜ちゃんは寂しくて悲しくて堪らないんだけど、零時には魔法が解けてしまうから〜。それじゃあ、またいつか会う日を願って! 縁が《合ったら》、また会おう。縁がなくても、また会いましょう。みたいな感じで〜!」

「それじゃあ、わたしここでいいです。隆史さんありがとうございました。海己、凛奈じゃあね〜」

 遅いといっても零時には程遠いけど、歩いて帰るとなると遅い時間なので隆史さんに車で送ってもらうことになった。
 みんなに色々聞いたり聞かれたりしてたら、気付いたら隆史さんに晩ごはんご馳走になったりしまった。友達料金だと言われて、お金を出そうとしても受け取ってもらえなかった。今度改めて出しに行こうかと思う。
 茜ちゃんと紀子ちゃんともお別れして、車はついにつぐみ寮の石段の前までやって来た。

「ここでいいかな、二人とも」
「はい、ありがとうございます。わざわざ送っていただいて」
「マスター、ありがとうございます」
「女の子を送るのは男の義務だ、気にしなくていいよ」
 こう言うことをさらりと言ってのけちゃうところで、航の師匠っていわれてることがよくわかった。
 普通はこんなこと恥ずかしくて言えないもんね。わたしには滅多に見せない真面目なときの航と隆史さんが一瞬だけ重なって見えた。
 少しドキリとして、慌てて車から降りると、車の脇に並んだわたしたちに運転席から隆さんが身を乗り出してきた。
「そういえばさ、今日航の奴どうしたんだ?」
「………………え?」
 思っていたことを覗いたかのような質問。航の幻影を見た瞬間、寂しい、と感じたわたしの思いを。
 わたしが固まっていると、凛奈ちゃんが代わりに答えてくれた。
「えっと、実家の方に用事があって朝から出たっきりですよ。ね、海己?」
「え、あ……う、うん」
 律儀にわたしに確認してくれる凛奈ちゃん、そこにわたしと航に対する気遣いがあるような気がした。
「それがどうかしたんですか?」
 同じことをわたしも考えた。そのせいで前のめりになって答えを聞こうとしていた。
 隆史さんは、決まりが悪そうに頭を掻く。
「大したことじゃないんだけどな。航のいない海己ちゃんが珍しいな、ってちょろっと思っただよ」
 大したことじゃない、本当になんでもない言葉だったけど、強く頭の中に響いた。

「“ちょろっと”ね……」
 凛奈ちゃんの呟きも聞こえない振りをして、二人で黙って石段を登った。



 時計を見ると、零時になろうとしていた。
 とっくに寝ている時間のはずなのに、寝れない。眠くないわけじゃない、それでも寝れない。何度も寝返りを打って、暑くもないのに布団の冷たいところを求めてごろごろと数分おきに動き回る。
 そんなことをしても、どうしても、寝れない。
 理由なんかとっくにわかっている。

「寂しいよ……航ぅ」
 たった半日顔を合わせないだけでもこれだけわたしはダメになってしまう。
 畑仕事にはいつも以上の時間をかけてしまって、みんなとお喋りしていてもどこか楽しみ切れなかったりしてしまう。
 これから先、逃れようもない別離がある。
 その時、今のわたしは多分耐えられない……うぅん、間違いなく。航にたくさん涙で滲んだ手紙を出して、こんな眠れない日が続くのだろう。
 それも避けられない出来事。悲しみの先に苦しみが用意されている救いのない道行き。

 それを耐え切れるとしたら、それは今のわたしじゃない。
 帰る場所を、悲しみと苦しみの先の喜びを胸に宿したわたしだ。身勝手な望みを叶えたわたし、航という掛け替えのない人の隣にいる。
『わたしに、帰る場所を、ください』
 学園祭で口に出てきた言葉。それが全てなんだ。本当に、それだけ、なんだ。それが今になってよくわかる。すがるモノがないとダメなわたし。すがるモノがいてくれないとダメなわたし。
 それでも、それがあれば頑張れるわたし。
 そんな羽山海己にはまだ今は遠くて、貴方がいないとわたしは数ヵ月後を思って、泣いてしまいそうです。


 涙が流れてくる前に、わたしは部屋を出た。
 明日になるまで航は帰ってこないだろう。なら……こんなことをして、悲しみを誤魔化してもバレずに許されるかもしれない。

 枕を持って、音を立てないように気をつけながら隣の部屋の前に移動する。
 一応、ノック。航がいてくれたら、とも思ったけどやっぱり反応はない。眠れずに起きていたのだから、誰かが帰ってくればわかるし、わかっていたことだけど、寂しさがさらに募った。
 ドアノブを回す。航に鍵をかける習慣がないことは知っているから、すんなりノブが回りきったのにも、驚きはしなかった。
「失礼、しま〜す」
 小声で呟きながら、静かにドアを開けて、同じようにドアを閉める。
 そうして細心の注意を振り絞ったあと、わたしがいるのは航の部屋。航の机、航のタンス、航の鞄、航の服、航の布団。どれにも染み付いている航のにおい、それがわたしを落ち着かせてくれる。
 安心から、どさっと航の布団に倒れこむ。さっきまで音を立てないように気をつけて意味がないような気もしたけれど。

 航のにおいに、ほぅ、と息を吐く。
 うん、これなら、ここならわたしは眠れる。まだ未熟なわたしは航を感じていないと眠ることすらできませんが、どうか許してください。
 嘘みたいに不安が消えていく。
 夢みたいに安心が満ちていく。
 こぼれかけていた涙は、いつの間にか自然とほころぶ口元にかき消されていた。静かな笑顔に、安らかな眠りが訪れる。
 少しだけ、強いわたしの欠片。今日は航の温もりの残りだけで我慢をしよう。
 慣れ親しんだ枕に頭を乗せて、寝苦しくなんかない寝返りを一つ。そのまま、わたしは、眠りの中に……。
「〜〜〜っ!? い、いたぁぁい!」
 寝返りを打った反動で、何かが顔の上に落ちてきた。それほど痛くないものと、本当に痛いものが入り混じったアクシデント。
 気を抜いていたせいで、すごく痛い……眠気も何だかどこかへ飛んでいってしまった。
 せっかく渇いた涙もさっきとは違う意味で目の中に溜まってしまっている。不安はないけど悲しいと言えば悲しい。
 それにしても随分高いところから落ちてきたように感じたけど……何が落ちてきたんだろう。

 黒光りした長方形と紙の束がそこにあった。



………
……




 時間はもう零時を過ぎている。
 本当は星野の実家に泊まるつもりだったが、なんだか無性に寂しくてわざわざ寮に戻ってきてしまった。
 くそ……なんだか完全に海己に依存してしまっている気がする。
 こんなんで、数ヵ月後大丈夫だろうか。
「ただいま、と」
 この時間流石に誰も起きてはいないだろうけど、習慣として口にしてしまう。トーンは居間にも聞こえないほど小さい。
 真っ暗な玄関を今までの経験で暗いまま、壁を手で探し求めながら歩いていく。
 迷惑にならないように静かに、忍び足で自分の部屋へと向かう。
 靴を脱いで、居間を抜け、階段を上り、一番奥の自分の部屋へと……と途中で足が止まった。
 手探りで壁に手を付いていたから、感じてしまった。今俺が立っているのは海己の部屋の前。期待していないと言えば嘘になる……というか全力で期待しつつ。耳をそばだてる。
「…………」
「……………………」
「………………………………」
 異常……なし、か。
 一つだけ、ため息を吐く。俺は海己が寂しくて起きてやしないかと一瞬だけ期待いしてしまった。弱くてか細いあいつを求めてしまった。
 自分がまだ強くなれないからといって。
 たった半日会えないだけで俺はこうなってしまう。欲情とかそういうのとは別に海己が恋しくて仕方なくなる。
 一年以上離れ離れになるときが約束されていると言うのに。
 最低だな、俺。自分の弱さを海己にも求めてる。自分の成長の遅さを海己にも願ってしまっている。
 海己が寂しくなかったってことはないと思う。行き際もあんなだったし、それは自惚れでもない。
 それなのに、海己は寂しさを一人で噛み砕いて、自分で手懐けている。だから、こんな夜も寂しがらずに一人で眠れている。俺は寝る前に海己の顔を一度くらい見なきゃ眠れそうもない。
 だから、多分今日は寝れないだろう。

 気付けばため息を一つ以上吐いていた。
 そんな失望を感じてうな垂れながら、自分の部屋に入る。と……そこは何故か電気がついていた。
 その一瞬いろんな想いが奔った。表面に現れたのは不審とかそういうものだったけど。
 その実、期待が渦巻いていた。
「海己……?」
 自分の位置からではまだ明るい部屋しか見えないけど、そこにいるだろう誰かに向かって声をかける。
 咎めるな口調で、嬉しさを押し殺して。
 そのまま一歩踏み出せば、部屋が見渡せる。ただの電気の消し忘れだったのかもしれない、けれど俺はそんな穏やかな結末を求めてなんかいなくて。一歩を踏み出した。
 そこには―――やっぱり海己がいてくれた。
「っ……ぅ、くぅ……っ、ぅぅう」
 そして、何故か泣いていた……。
 ……予想外の事態に固まる俺、泣きじゃくりっぱなしの海己。その……え? 何が、起きてるのでしょうか……?
「うっく……えっく……っ」
「…………」
 あー……会長の差し金かなんかかな?
「う、ぅぅう……っ」
「…………」
 なわけねぇよな……。
 とりあえず海己は俺に気付いているのか、いないのか。こちらを向く様子は無く、ただ俺の布団の上で泣いている。
「海己」
「……っ! わ、航!?」
 大きな声ではないけど、強くはっきりと呼びかける。
 返ってきたのは、後ずさりして、鋭くはないけど強い視線で睨みつけてくる海己の姿があった。
 パジャマ姿の海己にも、布団の上で泣いている姿にも、目を奪われた。けれど俺の目が一番注視したのは……海己の足元に転がっている、いわゆる十八歳未満お断りの品々。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………とりあえず、場所を移そう」
「……うん」
 夏は過ぎたのに、台風がやってくるみたいです。



 いつもならギターが爪弾かれるベランダ。
 そんな悠長な音が鳴り響くには、時間は遅すぎて、空気が明らかに違った。
 一人の女の子の悲鳴にも似た怒声が一人の男に向けるには不必要に広く響き渡っている。
「なんで、なんで、なんでよっ! なんで、こんなものがあるの?!」
「なんでと言われても……」
 海己と付き合い始める前からずっとあったし……
「航はわたしの恋人なんでしょ?! ならそんなもの必要ないはずだよっ!」
 それはどんな要求にも応えてくれるということなんでしょうか……というかどういう用途でそういう物があるのかは理解してくれているわけか。
 羽山海己という女の子は感激屋の反面、スイッチが入ったら止まらない。それは怒り出したら止まらないという意味でもある。
「わたし、航が……別のところを見てると不安になっちゃうよ……!」
「…………」
 そんなことはない、と言っても、今の海己は信用してくれないだろう。
 落ち着いて考えてれば、俺の失態ではあるけど、これほど怒ることではないと思う。海己が望むなら、罰を受ける覚悟だってあるというのに。
「…………ごめん」
「航ぅ、ごめんじゃなくて、なんとか言ってよ……!」
 こういうときはただただ謝るしかない。隆史さんの受け売りでもあるし、俺と海己の経験則でもある。暴走しているときは黙って側にいるようにしてきた。
 意地になっているときも、何かが気になっているときも、俺は側にいた。側にいるだけだった。
 だから俺は今もそうしようとする。海己が落ち着くのを待つしかない。
 そんな、拙い計算。

「わたしには……航を惹きつける力なんてないよぉ!」
「―――っ!」
 拙い計算、甘い見通し、幼い考え、古い解決法。
 そんな俺と海己が十年間作り上げてきたものが今はっきりと崩れた。そんな言葉だけは我慢できなかったから。
「わ、航……?」
「海己、そんなこと言うなよ」
 子供だったころの俺たちじゃない、恋人同士の俺たちのこんなときの解決法。
 俺は海己を固く抱きしめていた。
 約一日ぶりの温もり、とんでもなく愛しい。一生離したくない、何度思ったかわからないことを今一度思う。
「星野航を羽山海己無しじゃいられなくしちまったお前が、そんなことを、言うなよ……」
「……わ、航」
 通じ合った気がした。俺の不安が、海己の寂しさが、お互い感じあっていた喪失感を。
 もう俺たちの絆は、何があっても千切れてくれそうもない。
「お前のせいだからな」
「航のせいだからね」
 俺たちは抱き合ったまま、自分たちの弱さを口にしあう。
 顔は見えないけれど、多分海己も静かに笑ってくれていると思う。
「俺が今日ずっと不安だったのも」
「わたしが今日ずっと寂しかったのも」
「会いたくて仕方なかったのも」
「恋しくて仕方なかったのも」
「今、海己が愛しくて堪らないのも」
「えへへ……ありがとう、航。わたしも、同じだよ」
 控えめな海己の笑い声が聞こえた。それだけでいろんな強張っていたものが解けて、溶けた。
 それは海己も同じ。一緒に歩いてるうちに、呆れるくらい歩調が揃ちまった俺たちは、同じペースで成長していく。誰からも祝福される、素敵で遠い、夢みたいな俺たちへと。



「……ったく、みんなに怒られちまったよ。『認めてもらいたいなら、なんでお前一人で来るんだ』って」
「そんなことが、あったの?」
 憎まれ口を叩く人もいた、あからさまに蔑んできた人もいた。
 そんな声ばかりだと覚悟していた俺には、辛くはなかった。それより意外だったのは『二人で来い』という声が一番大きかったことだ。面を喰らったのは俺とじいちゃんで、ばあちゃんは当たり前、と言わんばかりに呆れたながら微笑んでいた。
 そんなわけで清々するくらいのリテイクをくらった俺は、星野側でさっさと認めてもらおうという作戦をあえなく失敗させてしまった。
 それでも、心持ちは悪くない。
「それじゃあ、今度はわたしも、一緒に行くの?」
「あぁ、でないと話が始まらない」
 俺たちの希望を託した二歩目が始まらない。一歩目は成功したんだ必ず上手くいく。 何歩目にゴールがあるかはわからないけど、まだまだ先なことは間違いないから手を取り合って進まないと挫けてしまう。
「上手くいくよね、わたしと……航なら」
「あぁ、絶対上手くいく。俺のいない海己なんて考えられないくらい、海己のいない俺なんて信じられないくらい、この島中の奴らを認めさせてやる」
 星のいない海なんかは知らない。
 星野のいない海己には用はない。
 日付も変わった深夜、俺たちは飽きるまで抱きしめ合っていた。





作者コメント

どうも始めまして、滑り込み失礼します。渦巻、という者です。『見聞録』というサイトでFateとかを中心にSSを書いてますが、戯画SSは初だったりします。

7月29日にこの青空に約束を――、終わらしてその日にこの祭りのことを知って急遽執筆という強行メニュー。
そのせいで誤字脱字のチェックも推敲もまともにできてないわりに長めというよくわからないことになってしまいました

内容については、茜と航の“こうちゃん”ネタができたからそれでいいです! つぐみ寮生の知らない方面で航の付き合いがあって、そこで“こうちゃん”と呼ばれていたとしたら、関わりがあるのは茜しかいねぇじゃん! という妄想から域をでないものです。よくわからない方は今すぐゲームを起動して『伝わらない復讐』を見てください。

それでは長々と失礼しました。

Written by 渦巻