「じゃあ、今日は……桜、部活あるんだっけ?」
「はい。その予定ですけど」
「それじゃ俺も備品の修理とかしてくるかな」
「はい、わかりました」
朝、学校に出かけるサクラと士郎を見送る。
一応サーヴァントである私としては霊体になってついていきたいところだが、サクラと士郎が嫌がるのでやめた。
いや、『嫌がる』という表現は正しくないのかもしれない。士郎に言わせると、『聖杯戦争も終わってそうそう危険ってことも無いんだし、ライダーもゆっくりしてなよ』とのことだったが。
とは言っても私はサーヴァントでありサクラの剣となり楯となるために呼び出された存在なので、そんなことを言われても困ってしまう。
「いつも通り昼ご飯はラップかけて置いといたから、適当に食べといて」
まあ、人の好意を受けないというのも失礼な話なので残ることにしよう。
「もし何かあったら呼んでください。私とサクラのリンクは健在ですので、学校程度の距離ならば呼びかけを聞き逃すことはありません」
念のためそう言うと、サクラは「ありがとう」といいながら微笑んでくれた。
聖杯戦争が終わって以来沈みがちだったサクラも最近少しずつ笑うようになってきた。いいことだと思う。
やはりサクラには笑顔が一番よく似合う。
「それじゃ、行ってきます」
「行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
そう言って私は二人を見送る。にっこりと微笑みながら。
サクラと士郎がいなくなると、とたんにこの家は静かになる。
タイガは二人よりも先に学校に行っているし、この家には正真正銘私一人になる。
その話をすると士郎は『暇じゃないのか?』とか聞いてくるが、そんなことはない。
この世界は信じられないほど様々なものに満ち溢れ、戦いから離れてあたりを見回せば、新たな発見でいっぱいである。
とりわけ最近では、テレビがとても興味深い。
ちょっとボタンを操作するだけで様々な情報が表示される。
「さて」
そう言ってお気に入りの座布団の上に座り、急須にお茶を入れたあとにリモコンを操作してテレビをつける。
うん。流れるようにうまくいった。お茶もいい味だ。
テレビの操作は簡単だったのだが、お茶を入れるのは意外と大変だった。
サクラや士郎はこともなげに入れているのに、わたしが入れると渋かったり薄かったりと、今ひとつうまくいかなかった。
飲めないほど渋いお茶を入れて「最初からうまく入れられる人なんかいないんだから」とサクラに言われたときはそんなものかと思ったが、士郎に「ライダーって結構ドジなんだな」とか言われた時は無性に腹がたった。
悔しいので練習した。
その甲斐あって今ではこの通り、士郎やサクラに負けない味のお茶を入れられるようになった。サーヴァントを甘く見てもらっては困る。
そもそも人間とは知力・体力ともに比べ物にはならないのだ。ちょっと修練さえ積めば美味しいお茶を入れることなど簡単である。
まあ、そのために衛宮家のお茶っ葉の筒が五本ぐらい空になったのはこの際気にしないでおこう。修練には犠牲がつきものである。
空の筒は新都のゴミ捨て場まで行って捨ててきたから、気づかれてもいないはずだし。
「今夜あたり、士郎にお茶を入れてみましょうか」
晩ご飯の後片付けを済ませて居間に座る士郎にお茶を出すことを想像してみる。
きっと美味しいお茶にびっくりするだろう。
「くすっ」
そんなことを考えると、愉快な気持ちになる。
「私を『ドジ』と呼んだことを後悔させてあげます」
なんとなくそう宣言してお茶を飲み干す。
万全を期すためには修練あるのみである。
と、いうわけで二杯目のお茶を入れることにした。
ぽっぽー、ぽっぽー、ぽっぽー……
「もうこんな時間ですか」
壁にかかっている鳩時計が十二回鳴った。
そう言えば衛宮家のインテリアもずいぶん変わった。
今言った鳩時計もそうだし、調度品も結構変わっている。
聖杯戦争の折に色々壊れて、買い換えたからなのだが。
買い換えるとき、サクラは酷く恐縮していたけれど、士郎は「気分転換にちょうどいいよ」と言いながら色んな店を回って色んな物を買った。
最初は恐縮していたサクラもやがて楽しそうに調度品を選んだ。ちなみに鳩時計はサクラと私が選んだものである。
あの時も楽しかった。サクラも楽しめたようだし、とてもよかったと思う。
確かに調度品が壊れた原因はアンリ・マユに呑まれたサクラがこの家を襲ったことだったのだけれど、わたしが見ていたところ主に壊していたのは応戦していたリンだったし。
まあさておき、昼ご飯を食べないと。
さっき台所を通る時にチラッと見てみたけど、今日のメニューは魚のフライだった。作ったのは朝なので当然冷めきっているが、それも大丈夫。
電子レンジの使い方はすぐ覚えられた。
とは言っても料理を入れた皿を中に入れて蓋を閉めてボタンを押すだけ。
しばらくすると音が鳴ってできあがり。冷め切った料理も美味しくなる。
ちょっとうきうきしながら台所に入ったわたしが見たものは、
テーブルの上に並べられた昼ご飯と、
ラップをひっぺがしてかぶりついている一匹の猫だった。
次の瞬間、猫は勝手口から逃げ出した。
見ると勝手口は半開きになっていたようである。猫は恐らくここから侵入して、そして今同じ場所から撤退した。
被害状況確認。
ご飯、無事。タイマーがセットしてあった電子ジャーは保温状態に入っている。
味噌汁、無事。コンロの上にある鍋の蓋は動いていない。内容物確認は後回し。
おかず……被害あり。サラダは無事だけれども、魚のフライが無い。
勝手口に目をやる。
ドアの隙間から猫が見える。
猫が振り返った。その口にはフライが咥えられている。
士郎が、私のために、朝のうちに作っておいてくれた魚のフライを、その猫は咥えていた。
そして目の錯覚だろうか、振り返った猫は私の顔を見ると顔をゆがめた。
まるで勝ち誇って笑みを浮かべたように。
それを見た瞬間、私の体内にあるスイッチが入った。
サクラを通じて聖杯の魔力を吸収。
体内に循環する魔力を加速。
日常生活で必要とされる最低限の魔力ではなく、追撃戦を行うための高純度の魔力を循環させる。
この間0.5秒。
追撃開始。
勝手口から外に……しまった、今は裸足だ。
勝手口に戻る。サンダルを発見。
靴は無い。玄関までいけば私の靴も置いてあるはずだが、タイムロスが大きくなると判断。
サンダルを突っかけて追撃することを選択。
追撃再開。当初の追撃開始より1.3秒の遅れが出たが、敵はまだ視認できる距離にいる。
敵は侮っている。まさかヒューマノイドが自分に追いつくとは思っていない。
それが命取りだ。
久しぶりの戦いの予感に体が昂ぶる。
私は体を一度ゆっくりと沈める。
ガッ
木製のサンダルの底が地を蹴る音を残し、走り出した。
次の瞬間、目標を至近距離に捕捉。目標は驚愕しているように見える。
侮るな。この身体が人体に酷似しているとはいえ、人体と同じではない。
血液のかわりに魔力を巡らせるこの身体は、全サーヴァント中最高の移動速度を発揮する強力な魔術の結晶−!!
至近に捕らえた敵の処理方法を検討。
攻撃は不可。攻撃した際の衝撃で魚のフライが落とされる可能性がある。
魔眼の使用も不可。魚のフライまで石化する可能性がある。
捕獲に決定。私は目標に両手を伸ばして−
逃げられた。
見ると、横の家のブロック塀には小さな穴が開いていた。
その大きさは20cm足らず。
確かめるまでもなく私はそこをくぐれない。
跳躍する。塀の上に着地して周囲を確認すると、目標は侮ることを愚かと悟ったのか、全力で逃走していた。
「逃がしはしません」
そう呟き、私はまた追跡を開始する。
一度目の接触で敵の運動能力は把握できた。
次は捕獲できる。
敵は一度振り向き、驚愕して逃亡する。
しかしもう逃しはしない。
数歩走れば容易く追いつき、捕獲することができる。
敵が入り組んだ路地を出て、通りへと差し掛かった。
再度加速し、敵を至近距離に把握する。
敵の跳躍力を想定し、捕獲−
パパァーッ!パーァーッ!!!
「っ!?」
その手に猫を掴んだ瞬間、酷い騒音が聞こえた。。
見ると自動車が街中だというのに、信じられないほどのスピードで走りこんでくる。
速度を殺さず、前方に再加速。このままでは壁にぶつかるがかまわない。
ドカッ
衝撃に備えて回転し、背中から壁にぶつかる。
「ばっきゃろー気をつけろっ!!!!」
暴走車は私に罵声を浴びせて走り抜ける。
その直後、起き上がろうとしていると激しいブレーキ音が響いて目の前に一台の車が止まった。
「大丈夫ですか?」
車から若い男性が降りてきた。
「申し訳ありません。実は銀行強盗の車を追跡中で……」
男性は、本当に申し訳無さそうに説明をしてくれた。
銀行強盗……ああ、聞いたことがある。
そう言えばこの前見た刑事もののドラマで似たような状況があった気がする。
そうするとさっきの暴走車は銀行強盗犯ということか。
「それで、お怪我は……」
ああ、そう言えば答えてなかった。
「大丈夫ですか?」
抱きかかえたままになっていた猫に聞いてみる。
「にゃあ」
「怪我は無いみたいです」
「あ、いえ。猫じゃなくてあなたのほうが……」
「はい。私のほうも何ら問題ありません」
「いや、そんなことは……」
そう言って男性−いや、銀行強盗を追っているのだから刑事なんだろう。若い刑事は、わたしがさっきぶつかった塀を指差してなんだか震えている。
見てみると、わたしがぶつかった部分が崩れて穴が開いていた。
しまった。むやみに町の中で全力疾走して塀を壊したなどと知れたらサクラに怒られる。怒られた上に晩ご飯のおかずが減らされるかもしれない。とても困る。
「刑事さん」
「はい」
「この壁を壊したことは内緒と言うことでお願いしたいのですが」
「……はい?」
「ですから、塀を壊したことは内密に」
「い、いやだから、それより身体の方は」
「大丈夫だと言ったはずですが?」
「いいえ、あんな勢いでぶつかったんですから、一応病院で検査をしないと」
言われてみればそうだ。どこか変なところをぶつけていて、後で大変なことにならないとも限らない。
「でも、犯人追跡はよろしいのですか?」
「仲間に連絡はしましたし、一般市民の方々に怪我をさせて放って置くわけにはいきません」
刑事は力強くそう言いきった。
別に変な思惑はなく、ただ純粋にこちらの心配をしているようだ。
確かに検査はした方がいいのだろうし、お言葉に甘えることにしよう。
「そうですね。それではお願いします」
「はい、わかりました。それじゃあ後ろの席に」
「わかりました」
刑事が運転席の扉を開けて中に入り、私は後部座席の扉を開ける。
ああ、その前に言っておくことがあった。
「あの家は私が留守を任されていますので、勝手に忍び込まれては困ります」
「にゃあ」
「まあ、今はもうそれどころではないのでいいことにします。次からは気をつけてください」
「なう……」
反省してくれたようだ。
まあこれ以上追求する必要はないでしょう。さっきも言った通り非常時だし。
「それではお願いします」
「わかりました」
刑事がそう答えるのを確認して、後部座席の扉を閉める。
そしてエンジン音を響かせて車は走り出した。
「猫さん、ご無事で」
後部座席に猫をのせて。
「さて、私は……と」
猫はあの刑事に任せれば大丈夫だろうし……
そうだ。士郎のフライ。
ちょっとの間に色んなことが起こりすぎて忘れていたが、そもそもの目的は士郎が作った魚のフライだった。
あの猫が咥えて逃げていたが、さっき車に乗せたときはもう咥えていなかった。
と、いうことはその辺に……
あった。
確かに予想通り、地面に落ちていた。
そしてその白身魚のフライは、
衛宮士郎が自分のために作っておいてくれた白身魚のフライは、
さっきの暴走車のタイヤに見事に踏みにじられていた。
次の瞬間、駆け出した。
掛け値無しの全力疾走。
履いていたサンダルの底の木は、
一歩目で削れ、
二歩目でひびが入り、
三歩目で砕け散った。
四歩目には既に裸足。
しかし速度を緩める気は全くない。
道端に転がる石など、今身体中を駆け巡っている魔力に触れただけで砕け散る。
そして数分かからずさっきの車に追いついた。
「――――――っ!」
車の中では男が何か騒いでいる。
五月蝿い。
速度を落さず、そのまま殴りつける。車はコントロールを失い、電柱に突っ込んだ。
まだ動き出しそうな車に近づき、ボンネット部分にダガーを突き立てる。
一回。
二回。
三回。
四回。
五回目を刺した所で自動車は完全に沈黙した。
「な、なんなんだよ一体っ!」
ひしゃげたドアからはいずり出てきた男が、顔を青くしながら叫んでいる。
こいつが。
こいつが白身魚のフライを踏みにじった。
おそらく溢れ出しているであろう殺気を隠そうとも思わず、憎い男を睨みつける。
「な、なんだよっ!」
男は慌てふためいている。
「か、金かっ!? か、金なら分けてやるから、とりあえず落ち着いてくれよっ!」
ああ、なんだ。
この男は、私の怒りを金で解決できると思っているわけか。
それなら遠慮はいらない。
神話に伝わるメデューサの恐ろしさ、その身にしっかり刻み込んであげよう――――――
「はい、おまちどうー」
夜、そう言って士郎が食卓に夕食を運んでくる。
ちなみにメニューはフライ盛り合わせ。
昼に用意された分を猫に奪われたという話をしたら、士郎もサクラもひとしきり笑った後に夕食の献立に入れてくれた。
その話を聞いて士郎はまた「ライダーはほんとどじだなあ」とか言っていたことに対しては反論したいが、とりあえず今日のところは不問とする。エビフライも追加してくれたことだし。
「で、ライダー。今日は他には何もなかった?」
「はい。いつも通り平和な一日でした」
「そう、よかった」
そう言ってサクラはまたにっこりと笑う。
ああ、明日もこんな平和な一日でありますように――――――
『本日昼過ぎに深山市の銀行に押し入った銀行強盗犯は路上で事故を起こしたところを逮捕され−』
「サクラ、そろそろ歌番組が始まるのでチャンネルを変えてください」
「はいはい」
平和な一日でありますように――――――
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