ライダーさんの平凡な一日 第6話「健康には気をつけましょう」


 俺は自分の体を失った。
 あの聖杯戦争で、自らの限界を超えて戦いつづけた代償はそれだった。
 しかし運良くその代替品となる身体を手に入れた。
 それが今使っているこの身体なんだけど、なんでも高名な人形遣いの作ったものらしい。
 その人形遣い−無論、こんな非常識なモノを作れるのは魔術師に違いないと思うが−は現在行方不明で、どこにいるかもわからないと言う。
 でも俺は、できることならその人形遣いに会ってみたい。
 この、非常識なまでに『人間の身体』を再現した人形を作った人に。
 切れば血は出る、時間がたてば髪は伸びるし爪も伸びる。
 食事も取れるし排泄もする。およそ人間のできることでこの身体のできないことはない。
 だからと言ってそれにも限度があるだろう。
「風邪ひく人形ってどうよ……」
 俺は、熱でぼーっとした頭でそんなことを呟いた。



「三十八度五分か……」
 さっきまで脇の下にはさんでいた電子体温計は、結構高めの値を弾き出していた。
 まあ、原因はわかっている。
 昨日の夜、いつものように土蔵で魔術の鍛錬を行った後、ちょっと一休みのつもりが、ついそのまま眠ってしまったからだ。
 しかも、鍛錬で汗かいたんで上着を脱ぎ、窓開けて上はTシャツ1枚の状態で。
 そんな俺は今朝起こしに来た桜に発見され、藤ねえと桜がひとしきり大騒ぎした後に自室に寝せられた。
 んでもって藤村組の主治医の人が来て診察され、薬出されて今の状態なわけだが。
 ちなみに藤ねえと桜は学校に行った。
 桜は「看病します」と言ってくれたけど、俺も子供じゃないんだしさすがに申し訳ないので断らせてもらった。
 それでもまだ桜は行きづらそうにしていたけれど、藤ねえに『部活は出なくてもいいから授業はちゃんと出なさい』と言われて学校に行った。

 そんなわけで俺は自室で一人寝ている。
「あー、もう水なくなったか……」
 枕もとに置いておいたミネラルウォーターのペットボトルが空になっている。
 冷蔵庫に取りに行かないと……
「士郎、水です」
 俺が立ち上がろうと気力を振り絞っていると、目の前にペットボトルが差し出された。
「ああ、ライダーか……」
「他に何か必要なものがありませんか?」
 そう言って心配そうに眉をひそめるライダーに、俺はただ『申し訳ないな』と思ってしまった。
「士郎。私はタイガに貴方の看病を依頼されました。遠慮しないで言ってください」
「あー、今はいいよ……」
 水を飲んで一心地つき、そういうとまたライダーは眉をひそめる。
「士郎は病人なのです。病人は健康な人間に自分の世話を要求する権利があります」
「いや、それはちょっと違う気も……」
 俺がそう言ってもライダーは納得しないようで、枕もとに正座したまま何だかうずうずしている。まあそれが好意から発生したものだとわかった俺は少し嬉しくなってライダーに声をかける。
「じゃあ、少し寝るからお客さん来たらお願いできるかな。あとは何か用事が出来たらお願いするよ」
「はい、わかりました。もし何かあったら呼んでください」
 そう言ってライダーは、一礼して部屋を出ていった。
 そしてしばらくすると少しずつ眠気が襲ってくる。
 人が少ないせいか、いつになく静かな衛宮家で俺はゆっくりと眠りに落ちて行った。



 しばらくして、目を覚ました。
 時間は……十二時前か。
 まだちょっとボーっとしているが大分楽になった気もする。
「あー、これなら一日寝てれば何とかなるかな……」
 なんとなくそんなことを呟く。
 そのままボーっとしていると段々意識が覚醒してくる。
「……気持ち悪ぃ」
 寝汗かきまくって俺のパジャマはもうぐしょぐしょだった。
 まあ確かに熱出た時は汗かくのがいいんだけど、これはさすがに着替えないと悪化するだろう。
「着替え着替え……」
 もぞもぞと起き上がり、着替えが入っているタンスの方に、
 向かおうとしたら突風が吹いて目の前に着替えが差し出されていた。
「おわっ!?」
「士郎、用事が出来たのなら呼んでくれないと困ります」
 そう言えばライダーに『用事があったら呼ぶ』って言った気がする。
 自分の仕事を奪われたからか、拗ねたような顔をしている顔をしているライダーがかわいく見えて、素直に謝ることにした。
「ごめんごめん。それじゃあ、体拭きたいからタオル持ってきてくれるかな」
「了解しました」
 ごっ、と。また突風が吹いて行ったと思ったらすぐ戻ってきた手にはタオルを数枚持っている。
 ああ、さっきの突風はライダーの全力疾走だったんだ。っていうかそれでも全然壊れない我が家はすごいと思う。さすがだぜオヤジ。
「ありがとう。それじゃタオルを−」
くれないかな、とか言いつつ手を差し出してみてもライダーは動こうとしない。
「ライダー?」
「士郎の手を煩わせる必要はありません。私が拭きます」
「いやいやいやいやいや!」
 何だかトンデモナイことをおっしゃった目の前の美女に対して全身全霊を持って丁重にお断りさせていただく。
「何を恥かしがるのですかシロウ。今の私は貴方の看護をするために存在します。風邪を引いた人間は体力を使わず回復に備えるものです。貴方はただ寝ていてくれれば問題ありません」
 そこまで真剣な顔で言ってくるならお任せしてもいいかなーとか思ったけど、
「いやいや! それよりほら! なんかお腹が減ったから軽く食べたいなあ、とか!!」
 タオルを持ってにじり寄るライダーに必死になってそう言ってみる。
「了解しました。少々お待ちください」
 俺に頼まれて納得がいったのか、またライダーが猛ダッシュで部屋を出たところを見計らって急いで身体を拭く。
 いや、俺もそんなに無理に断るのはどうかと思う。まあ確かに多少恥かしいけど体拭いてもらうぐらいなら。
 でもライダーの後ろに、なんかいびつなかたちの空の瓶があるとなると話は別だ。
「今のうちだ」
 そう呟いて俺は大急ぎで汗を拭き、そのまま猛ダッシュでトイレに向かう。
 いったい何やってるんだろう、とか思ってしまう自分の思考を無視しつつ。





 トイレから戻ってきて、少しするとライダーが戻ってきた。
 その手にはガラス製のボウルを持っている。
「士郎、お待たせしました」
「それは?」
「桃缶です。風邪を引いた時はミカンの缶詰か桃缶と書物に書いてありましたので」
 ライダーの読んでる本を一度確認してみたい気はしたが、それはそれとして桃缶は美味しそうだ。
「ありがとう。それじゃあ貰おうかな」
 そう言って手を伸ばしてみるが、例によって手渡そうとはしてくれない。
「えーと、ライダーさんひょっとすると」
 問われたライダーは、俺の横に座って
「あーん」
 なんて言ってくださいました。
「いや、あのちょっとそれは」
「書物には看病する時はこうするものだと」
 ライダーの本を確認するのが急務な気がします。
 とりあえず風邪が治ったら真っ先に調べよう。
 そんなことを考えつつ、何とか桃缶の中身が入ったボウルとフォークを取ろうとしているとライダーは、
「士郎、貴方は私に看病されるのが嫌なのですか?」
 なんて言ってきた。
 しかも何だかすごく悔しそうに。
「いやでもほら、だれかに見られると」
「サクラもタイガも学校です。衛宮家に客が来るとしても玄関に来るでしょうから、この姿が見られる心配はありません」
「でもほら、やっぱり」
「……やはり、私は邪魔なのですか?」
 そう言ったライダーの顔は悲しそうで、俺はまあどうしたかと言うと。
「あーん」
 顔を真っ赤にして口をあけた。
 そしてライダーは嬉しそうに俺の口に桃缶を運んでくれる。
 まあひどく恥かしいが、嫌か嫌じゃないかと聞かれたら嫌じゃないわけで。
「どうぞ、まだありますから」
 と言われて差し出されるフォークに対して「あーん」を続けた。
 そんな、天国なんだか地獄なんだか、幸せなんだか拷問だかわからんような時間もやがて終わりが来る。
「ごちそうさまでした」
 朝にお粥を食べたっきりだったので腹も空いてたので、ボウルの中身は綺麗になくなっていた。
「このシロップは飲まないのですか?」
「ああ、それじゃあ頂くよ」
 不思議そうに聞いてくるライダーにそう答え、さすがに今度はボウルを渡してもらって少しずつ飲む。
 そう言えば昔、風邪引いて藤ねえから桃缶貰った時は缶から直接飲んで唇を切ったっけ。
 そんな懐かしい思い出にちょっぴり浸りつつ甘いシロップを飲んでいると、
「えいっ」
 ライダーが俺にぶつかってきて、ボウルを落としてしまった。
 シロップが俺のパジャマにかかってびしょ濡れになる。
「おわあっ!」
「すいません士郎、うっかり転んでしまいました」
「いや今『えいっ』って言わなかったか?」
「気のせいです。それより士郎、パジャマを脱いで身体を拭かないと」
 そう言ってライダーがタオルを出してくれたので、被害にあったパジャマのうえを脱ぎ捨てて胸元をぬぐう。タオルは蒸してあったらしくシロップはすぐに拭き落せた。
「えーと、とりあえず着替えを」
「着替えはもう無いはずです。とりあえず士郎は風邪を悪化させないように布団にしっかり包まっていて下さい」
「あ、うん」
 そういやそうだ。さっき着替えたばかりだし、選択は明日の休みにやるつもりだったのでパジャマはない。
 まあそれでも探せば替わりになる服はありそうだけど、確かにこんな格好でタンスをごそごそ漁っていたら、せっかく良くなってきた風邪が悪化してしまう。
「すみません士郎。私のミスで」
「うん、いいよ。布団かぶってれば大丈夫」
 自分のミスが許せないのか、うなだれるライダーにそう声をかける。
 俺はライダーに看病してもらっているわけだし、こんな些細なことで落ち込んで欲しくない。
「寒くはないですか?」
「あー、まあさっきよりはちょっとね」
 気になるほどではなかったけど、パジャマの上を脱いで上半身裸になってしまったのでそんな気もする。
『でも気になるほどじゃないよ』と続けようと思ったんだけど、ライダーはそれを聞いてすっくと立ち上がると、
「それじゃあ、何とかします」
と言ってくれた。なんか決意したみたいな表情で。
「? まあお願い」
 なんだかよくわからないけどそう答えると、ライダーははい、とか返事しながら隣の部屋に入ってふすまを閉めた。
 中からごそごそする音が聞こえる。
 あの部屋の押入れには毛布とか入れてあるはずだから、その辺のものを持ってきてくれるんだろう。
 そんなことを思っているとやがてライダーは戻ってきた。
「お待たせしました」
「あー、うん。それじゃあお願い」
「はい」
 ライダーはそう返事をすると、

「!?」

 なんか布団の中に入ってらっしゃいましたよ!?
 あまりのことに驚いてというか驚愕してというかサプライズというか全部同じような意味だけど硬直していると、ライダーは俺の背中にぴったりと抱きついてきたっていうかこの感触は素肌ですよ!?
「らららライダーなにをっ!?」
「冷えた身体を温めるには裸で抱き合うのがいいと書物で」
「ちょちょちょちょっと!」
 ライダーの書物を調べる必要があるとか無いとかそんなことじゃなく、っていうかこの状況はちょっとまずいような気がするんだけどいやまずいだろ!
 背中にそっと身を寄せているライダーの感触を必死に遮断して説得を試みる。
「いやライダー、たかが風邪の看病でここまですることは無いっていうかまずいって!」
「風邪は万病のもとと聞きました。士郎は自分の体をもっと案じるべきです」
 いや、確かにそれはそうかもしれないがこの状態もまずいと思うぞ。別な意味で。
 特に、振り返ったりするといろいろまずいと思う。いや本当に何がまずいって聞かれると困るんだけどいろいろとまずい。
 そんな感じで今までになくすごい勢いでパニくっていたけど、
「それとも士郎は……私のような者には触れて欲しくはありませんか?」
背中の方から聞こえた、そんな心細そうな声を聞いて一瞬で我に帰った。
「何を馬鹿なこと言ってるんだ!」
「士郎?」
「どうしてそんなこと言い出すんだ! ライダーは綺麗だし魅力的だし、俺の大切な家族なんだからそんなこと思うわけ無いだろっ!」
 なんだか心なしピンク色な空気に後押しされるようにそう言って、ライダーのほうに振り返る。
「ライダーが昔どうだったかは知らないし、知ろうとも思わない。今ライダーは俺の家族なんだから」
「……士郎っ!」
 そう言って俺に抱きついてくるライダー。
 俺もそれに応えるようにその背に手を回してそっと抱きしめる。



 ……なんか、勢い余って振り返ったけど気づいてみるとすごい状態になってる気がする。
 背丈も俺と大差ないライダーの顔は俺の顔のすぐそばにあってライダーの息遣いを克明に俺の耳に伝える。
 そしてライダーの背中に回した手は滑らかな肌の感触を伝え、押し付けられた胸からはライダーの鼓動を感じる。
 いや、これはまずい。
 もうすっかりピンク色な空気の中、そう思って何とか離れようと思っているとライダーが またきゅっと抱きついてきた。
 そして俺の耳もとに囁くように声をかける。
「士郎……」
 今まで聞いたことの無いような、艶やかなライダーの声を聞いて俺は我慢できずにライダーを強く抱きしめ−

 バキン

ようとした瞬間、何かが砕けるような音が響いてピンク色だった空気が吹き散らされ、俺の部屋の前まで誰かが走ってくる。
「ライダー、何やってるのかしら?」
 そして、俺の部屋の扉を開けた桜はにっこりと微笑みながらライダーにそう問いかけた。
 その顔はまるで夫の浮気現場を見つけた奥さんのようっていうかそれは比喩じゃない気がするぞわーい。
「士郎の看病です。士郎の健康のためですので桜は気にせず晩ご飯の支度でもしていて下さい。精をつけるためにスッポン料理とかいいですね」
「ふざけるんじゃありませんっていうか先輩も早く離れてくださいっ!」
 いや確かに桜の言いたいこともわかるしとても怖いんだけど、離れろって言われても上半身裸だしパジャマの生地は薄めだからいろいろ大変なことになってるのがわかっちゃうしっていうかいつの間にか全裸ですよ俺!?
 はっと気づいて周りをみると、いつの間にか部屋の隅には丸められたパジャマのズボンと俺のトランクスが。
 ライダーさん、すごいテクニック。
「ライダー、ここのところ『ひょっとしたら』とは思ってたんだけど。あなた、先輩を奪うつもりね?」
「サクラ、貴方は自分のサーヴァントの話をしっかりと聞くべきです。私は士郎の看病をしていただけだと」
「じゃあ、さっきまで張り巡らせてあった結界は何かしら?」
「私の宝具の一つ、他者封印・鮮血神殿(ブラッドフォート・アンドロメダ)ですが」
「何でそんなものを張っていたのかしら?」
「病人は静かなところにいるべきです。そこで、士郎と私とタイガー以外のものを対象にして結界を展開しました」
「私や藤村先生のことは考えていなかったのかしら?」
「……ああ、こいつはうっかりしていましたごめんなさい」
 うわ、すっげー棒読み。
 それを聞いた桜は一度深呼吸すると、満面の笑みを浮かべてひとこと言った。
「死んじゃえ☆」
 瞬間庭じゅうに真っ黒い何かが広がりっていうかなんだか服も黒っぽく見えますよ桜さん?
 ライダーはそれすら予測していたのか、タオルケットをローブのように羽織って戦闘体制に入る。
「嘆かわしい。サクラは自分のサーヴァントを信用できないのですか」
「マスターの言うことを聞かないサーヴァントにはお仕置きが必要よね?」
 そして闘いが始まった。





 で、俺の風邪の具合だが。
 とりあえず、魔術師とサーヴァントの死闘のとなりというのは病人が寝るのに適した環境ではなかったと言うことを言っておきたいと思う。
「ああ士郎。今日も私がつきっきりで看護を手取り足取り」
「先輩!今日は学校も休みですから安心してまかせてください!」
 頼むから眠らせてくれ。静かに。





後書きとおぼしきもの

 つわけで、微妙に進み始めたライダーSSです。
 とりあえず「士郎ちんを看病するライダーさん」で描き始めたらこんな感じに。
 ちなみに、文中の「空気がピンク色〜」のくだりは比喩ではなく桜がブラッドフォート・アンドロメダに侵入しようとして、それに耐えるために結界が活性化したからです。ほら、本編でも発動中は画面赤っぽくなってたし。
 で、例によって細かい設定は気にしないで書きましたので「ブラッドフォート・アンドロメダは侵入者を阻害できません」とか、「内部にいても外の音とかは聞こえるはず」とか言う突っ込みは黙殺しますのでひとつよろしく(ぉぃ

 つかまあ、そんな感じ掲示板で要望あったとおりライダーさんも本格的に活動し始めたわけで。この話のあとに凛が帰ってきて桜True→前に書いたライダーはだワイSSって感じですすむのかなー、とか。
 次回作に凛が登場するかどうかは超未定ですが、まあ気長にお待ちください。

2004.03.02  右近