黒い流星。
それはそう呼ばれた。
冬木市郊外にある山王峠に突然現れた黒いバイクとその乗り手は、一夜にして伝説となった。
その黒いバイクはバイクと呼ぶにはあまりに凶悪なフォルムであったが、それは紛れもなくバイクだった。
そしてそのバイクは非常識な速度で疾走し、信じられない速度でカーブを曲がる。
それまで峠の王者として君臨していたものは一夜にして地に落とされ、黒い流星は一夜にして王−いや、神になった。
王は民衆が力を結集すれば追い落とすことができる。
しかし神は、人がいくらあがいて見ても届くことの無い高みに居つづける。
人が己の力を過信し神に挑む時、それはその人間の破滅を意味する。バベルの塔は、決して天に届きはしないのだ。
「『黒い流星』? なんだお嬢ちゃん、あいつに用があるのか?」
「やめときな、あいつに関わってちゃ命がいくらあっても足りないぜ」
「正体は誰も知らねぇんだ。バイクから降りたところを見たやつが女だったって言ってたけど、それも本当かどうか」
「まあ確かに勝てないのは悔しいけどな。俺たちにとって見りゃある意味ヒーローだよ。あそこまで圧倒的だと、勝負しようって言うより憧れる気持ちの方が強いね」
「ああ。今日も来るんじゃねえのか? 峠のふもとにいれば来ると思うぜ。誰にも追いつかれることなく、ただ一人でな」
教えてくれた男たちに礼をいい、言われた通りに峠のふもとに行く。
峠のふもとには大きめの駐車場があり、様々なバイクや車が停められている。
それらの横を通り過ぎ、道を歩いて登っていく。
ガォオオン……
峠の上のほうからは聞いたことも無いような凶悪な排気音が聞こえてくる。
恐らくあれが『黒い流星』なのだろう。
道端に立ち、目を閉じて深呼吸していると排気音が段々近づいてくる。
目を開けなくてもわかる。あれはわたしが望んだ存在だ。
精神集中が成り、わたしが眼を開いた時。
向こうの方に見えるカーブから、黒いバイクがすごい速度で飛び出してきた。
そしてそのままわたし方に猛スピードで走ってくるバイクに併せて、影の巨人のラリアットをお見舞いしてやった。
かぽーん
いい音がして運転手が弾き飛ばされ、バイクはそのまますっ飛んでいった。
そして高々と弾き飛ばされた人物は空中で体制を整えるとこともなげに着地し、わたしの前に立つとフルフェイスのヘルメットを外した。
「運転中の人物に攻撃を加えるのはマナー違反だと思います」
「あ な た は こ こ で な に を し て い る の か し ら ?」
「ギブ、ギブ。アイアンクローはやめてください」
そしてわたしはライダーをぎりぎりと締め上げた。
まあ、事の発端は数日前なのだが。
姉さんも帰ってきて、ドタバタとしていた生活もそれなりに落ち着いてきたころ、夜になるとライダーが外に出かけるのに気がついた。
とは言っても外出するところを見たわけではなく、夜中にふと眼がさめるとライダーが遠くに行っていることがわかっただけなのだが。
最初は特に気にしなかったけど、それが連日連夜といえば気にもなる。
わたしに秘密でこっそりと出かけているから、また何かろくでもないことをしてるんじゃないかと思ってきてみればこの通りだった。
「サクラ、すいません。そろそろ放していただけると助かるのですが」
「……事情は説明してもらえるんでしょうね」
「はい、わかりました」
返事を確認して解放する。
ライダーはしばらく顔をすりすりとなでていたが、やがてぽつぽつと喋り始めた。
「これには深いわけがありまして」
「どんなわけよ」
「ええ、実はこれです」
そういうとライダーは着ている黒いレザースーツのジッパーを下ろし、胸元から一冊の雑誌を取り出した。
「何てとこにもの入れてるんですかっ!」
「この前読んだ書物では、バイクに乗る場合小物はここにしまうものだと」
先輩も言っていたけど、ライダーの蔵書は一度チェックしておいた方がいいのかもしれない。
しかも見た感じレザースーツの下に何も着てないんじゃないだろうか。
「……で、その本は?」
「はい。藤村組の人に貰ったものですが、なんでもバイクに乗る人間が好んで読む雑誌のようです」
手渡された雑誌をぱらぱらとめくると、そんな感じだ。
わたしにはよくわからないけど、バイクとかその部品とか、あとはチューンナップがどうとか走り屋がどうとか色々書いてある。なんだか先輩が好きそうな雑誌だ。
「で、このページです」
ライダーに示されたページを見てみると、なんだかインタビュー記事みたいだ。
「えーと、『山王峠の王者、矢上進』?」
どうもこの男性が有名なバイク乗りで、この雑誌の人が色々インタビューしているらしい。
「そしてここです」
ライダーの指差したところは、そのインタビュー記事の最後の部分。
『読者に何かメッセージをお願いします』
『山王峠じゃ負ける気はしない。自信があるならいつでも挑戦を受けてやるよ』
その横には、不敵に笑う男の写真まで掲載されている。
「この挑戦、騎乗兵として受けないわけには」
最後まで聞くことなくロシアンフック。
死角から襲い来る強烈な右。
「痛いですサクラ。人の話は最後まで聞くものだと思うのですが」
「うるさいっ! っていうかなに考えてるんですかあなたはっ!」
「まあさておき、その人物は完膚なきまでに抜き去って今現在わたしがこの峠最速の座を手に入れたわけです」
「……ライダー、人の話聞かなくなったわね」
「『都合が悪くなったら聞いてないふりをしろ』とタイガに」
たぐい稀なる学習能力でいらないことばかり覚えているっぽい自分のサーヴァントにそこはかとなく眩暈を感じていると、ふとしたことに気がついた。
「ライダー、免許は?」
「わたしはサーヴァントですので、人間の道路交通法は適用されません」
「……」
「……」
「……」
「……」
「そんなわけないでしょつ!!」
「サクラ、チョーク。チョークですっ!!」
ライダーにチョークスリーパーを決めつつさっきすっ飛んでいったバイクの方を見てみると、カーブのところでコンクリートブロックにめり込んで止まっていた。爆発炎上しないあたりすごいバイク……
「ナンバーは?」
「わたしはサーヴァントですので、人間の道路交通法は適用されません」
「……」
「……」
「……」
「……」
「だから、そんなわけないに決まってるでしょうっ!!」
「サクラ、だからチョークにっ!!」
ひとしきりチョークスリーパーを敢行した後に解放してあげる。
「全く。そんなバイクで、しかも無免許で。ここに来る前に警察の人に見つかったらどうするつもりだったの」
「いえ、麓まではライガのトレーラーで送ってもらえますから」
「え?」
なんだか今、聞き逃せない言葉を聞いた気がする。
「ライガさんっていうと……藤村先生の」
「はい。タイガの祖父であるライガです。雑誌を見せて説明したら『ワシの取って置きをくれてやろう』と」
……あのお爺さんは。
ヤクザの親分さんのわりに好人物だったりするんだけど、ライダーにすごく甘いのは何とかして欲しい……なんだか、ちょっと前に似たようなシチュエーションがあった気がする。
「ライダー、もうひとつ聞いてもいいかしら?」
「ええ、なんでしょうか」
「そのバイク、整備したのは……」
「もちろん士郎です。『こいつはやりがいがある』と嬉々とした顔でチューンナップを」
そう聞いて麓の駐車場の方に目を向けると、一台のトレーラーが猛スピードで走り去るところだった。
「ライダー、マスターとして貴方に命じます。あのトレーラーを追撃しなさい」
「お言葉ですが、サクラ。私には恩義がある人々を裏切るなんて」
「明日の晩ご飯ビーフシチュー。おかわり自由です」
「了解しました。目標を追尾します」
「今日は大サービス。魔力のことは一際気にせずフルパワーでお願いね」
「イエス、マスター」
「先輩、今夜はゆっくりお話しましょうね」
そしてライダーはバイクを引きずり出し、わたしが後ろに乗ったことを確認してからエンジンをかける。
「行きます。GSX−“Desmodus”」
ライダーの声に応えるように、黒い凶器はエンジンの雄叫びを上げた。
「爺さん!ライダーと桜、追っかけてくるぞっ!」
「むう。やはり桜の嬢ちゃんには逆らえなかったか」
「言ってるばあいかっ! どうすんだ、向こうはすごいスピードだぞ!?」
「はっはっは。まさか一生の間に二度もあのバイクと戦うことになるとは思わなかったわい」
「何言ってるんだ爺さんって言うかそれは?」
「M47ドラゴン。アレを止めるにはこれぐらい必要じゃ」
「なに考えてるんだ爺ぃ、そんなもん撃ったら!」
「はっはっはっはっは。こんな昂ぶりは久しぶりじゃ」
「人の話を聞けえっ!!」
その日、冬木の土地は紅蓮に染まったと言う。
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