ポッポー、ポッポー、ポッポー。
「三時だ三時―。ほら士郎、おやつの時間ですよー」
居間で雄叫びを上げるタイガー。
「ああはいはい。わかったから叫ぶな、藤ねえ」
わが姉貴分の言葉にちょっと苦笑しつつも、冷蔵庫からどら焼きを取り出す俺。
「士郎、お茶の用意は私が」
そう言って手際よくお茶を淹れるライダー。
衛宮家は、一年前の聖杯戦争なんてなんのその。
今日も今日とて平和だった。
「あれ、桜ちゃんと遠坂さんはー?」
「ああ、なんか遠坂の家ですることがあるって朝っぱらからでかけてったけど」
「『夕食までには戻ってくる』とのことでしたが」
テレビをボーっと見ながらそんな世間話に花を咲かせる。
そう。なんだか最近遠坂と桜はいっしょにいることが多い。
まあ、この世にたった二人残された姉妹なわけだし、実は二人とも一流の魔術師なんだから一緒に何かしていても不思議なことは無い。
……その一流の魔術師のサーヴァントであるライダーは最近ずっと一人で行動しているのだが。
でもまあ、それは喜ばしいことでもある。俺も桜も、そして多分遠坂もライダーのことをサーヴァントだと意識したりはしていない。できることならこのまま、一人の人間として生きていてくれれば、とも思う。
そしてそのライダーは今、3時から始まるワイドショーを夢中になって見たりしている。
ライダーによれば『情報収集にはとてもいい』ということだけど、なんか最近偏った知識ばかり身につけてるみたいなのが気になる。
このまま情報収集を続け、近所のおばさんたちと井戸端会議するようになりそうでちょっと嫌だ。
「……士郎?」
「ああ、ごめん。何?」
「この『暴力団』というのはなんですか?」
聞かれてテレビの画面を見ると、女性レポーターがなんだか緊迫した面持ちでしゃべっている。右下のテロップには『白昼の住宅街で発砲事件!』とか荒々しく書きなぐられている。
「あー、龍神会のやつでしょ?」
「『暴力団』の名前が『リュウジンカイ』なのですか?」
「うん。『暴力団』って種類の団体があって、その一つが『龍神会』なのよ。そのニュースでやってるのは多分そこのはずだけど」
「……テレビでは名前まで報道してないみたいだぞ?」
「こないだ返り討ちにしたから」
「早っ!っていうかもう過去形かよ!」
「なんか若いのが絡まれたらしくって。お爺様は無視するように伝えてたらしいんだけど、商店街の人に迷惑かかりそうだったからぶちのめしてやったんだって」
「はあ、なるほど」
さらっと言う藤ねえに、なんとかそう答える。
つくづく忘れてしまうが、藤ねえの実家であるところの藤村組は暴力団である。
んでもって、普段はアットホームでうちに醤油借りに来たり、近所のおばさんから煮物のおすそ分けとか貰ってる人たちなんだけど、実はすごい武闘派。
まさに『一騎当千』という言葉がふさわしいらしい。
「まあしばらくは手出しして来ない思うけど、士郎も気をつけるんだよー」
そう言ってひらひらと手を振る藤ねえにわかった、とか返事を返すと満足したのか、またワイドショーに意識を戻した。
今はもうどこぞの俳優が熱愛発覚とかそんな感じのありがちなニュースを流している。
ライダーももう興味を失ったのかタイガー(猫のほう)の喉をなでたりして遊んでいる。
そして俺もお茶をもう一杯淹れ、奇跡的に残っていたまだどら焼きを食べることにした。
そう、このときはまだ平和だったのだ。
目覚めると、わたしは薄暗い部屋の中にいた。
なんだかボーっとしている頭を覚醒させて何があったのかを思い出す。
今日はわたしの家に桜を呼んで朝から魔術の実験をしていた。
まあそれも日が暮れる前に蹴りがつき、桜と二人で衛宮家に戻ることにした。
わたしの家から衛宮家に『戻る』ってのも変な話だけど、なんだか最近あっちのうちの方が落ち着いてしまうのだからしょうがない。
──脱線した。
さておき、実験を終えて桜は夕食の材料を買いに行くと言って商店街に向かい、わたしは一足先に衛宮家に戻ることにした。
桜がなんだかもの言いたそうだったが気づいていないことにした。今日の夕食は桜の当番なので、冷蔵庫の中身が足りなかったら買いに行くのは桜の役目である。
昨日の当番の人間が気合を入れて材料使い切ったのは不幸な事故だ。使い切ったわたしが言うのだから間違いない。
──また脱線した。
えーとまあとりあえずそういうことで、多少早足で坂を降り、衛宮家に向かった。
それで、近道のつもりで裏通りを通って……
そこで記憶がなくなっている。
っていうか気絶してたんだな。きっと。
「って何よそれ」
段々と頭がはっきりしてきた。
そうそう、家に帰ったら士郎をどんな風にからかってやろうかと思いながら裏路地を歩いている時にビリッときて意識を失った。
あれは……多分電撃。
するとわたしはスタンガンか何かで気絶させられてここに捕まってるわけか。
くっ。この遠坂凛ともあろう者がこんな不覚を取るなんて。
そう思って歯噛みしていると、錆びついた蝶番が嫌な音をたてて扉が開いた。
「がはははは。おお、お目覚めかねお嬢ちゃん」
……今までにない最悪な目覚めだ。
朝弱いので爽やかな目覚めってことはほとんどないけど、目覚めて最初にみるのがこの趣味悪いおっさんと言うのは最悪である。
趣味の悪いスーツとエナメル靴、ジャラジャラゴテゴテとした成金趣味のアクセサリー。
どれぐらい趣味が悪いって、描写するのも嫌になるぐらい。
「災難だとは思うが、お嬢ちゃんには藤村組の奴らとの交渉材料になってもらうからな。まあ大人しくしててくれや」
そう言ってぷかぷかと葉巻を吹かす。
ああ、だめ。趣味が悪いとかそういう問題じゃない。もし体が自由に動かせたら思いっきり蹴り飛ばすだろう。手で触るの嫌だから。
「そうそう、大人しくしてれば痛い目に会わんですむんやから大人しくしとき」
げはははは、と男はまた耳障りな笑い声を上げる。
しかし、そんなことを身にしてる場合ではない。
まず、自分の体の状態を確認。
骨折、脱臼……なし。
手足は自由に……動かなかった。両手が後ろに回されていて何かで親指を縛られている。
体をよじって見ると、なんだかプラスチックか何か……インシュロックとかいうやつだったっけ。どっかの外国の警察で使われてるとか言う話を聞いたことがある気がする。
わたしも体術にちょっとは覚えがあるけど、さすがにこの状態でヤクザの集団から逃げおおせるとは思えない。
次は周囲の確認。
扉……今は半開きになっている。たいして分厚い扉でもないみたいだが、外には見張りらしい男が二人ほどいる。
しかも銃を持っている。普段ならいざ知らず、今の状況で銃を持った人間を相手にするのはちょっときつい。
そんなことを考えていると、目の前の男がいつの間にか黙っていることに気がついた。
男はさっきと違っていやらしい目でわたしの……
「っ!?」
慌てて後ろにずり下がる。
男はわたしの脚をいやらしい目で舐めまわすように見ていた。
今日は短めのスカートはいてたので、そこから出てる脚のあたりをじろじろと。
うわ、気持ち悪い。全身をナメクジが這い周ったような悪寒が走った。
「まあ嬢ちゃん、そんな嫌がるなや。大人しくしとけばすぐ終わるから……」
「そ、それ以上寄ってきたら蹴り飛ばすわよ」
威嚇して見ても、効果はまるで無い。
それどころか男はより一層興奮してこっちににじり寄ってくる。
「く、来るなって言ってるでしょ!」
「いくら騒いでも無駄や。このビルは丸ごとうちが買い取ったからな……」
そして男がその脂ぎった手をわたしの方に伸ばして……
ズゴゴォォン……
「な、なんや?」
「藤村組のやつらか!?」
すんでのところで助かった。
なんだか下のほうから凄い音が聞こえて、ビルがぐらぐら揺れた。
「ええい、何しとんのや! とっとと痛い目見せてやれ!」
男たちは騒ぎながら、慌しく部屋を出ていった。
「……ふう」
ほっとした。
一人になって本当にほっとして、自然とため息が漏れた。
男たちが出ていくときに扉はしっかり鍵をかけられたみたいだし、下の騒音はやまないし振動も続いているけどとりあえず身の危険は去った。
ズゴゴゴゴゴォン……
まず、状況把握だ。
部屋の鍵は閉められたけど、幸いなことに見張りもどこかに行ってしまった。
そしてわたしは意識を集中し、呼びかける。
『桜、聞こえる……?』
『姉さん、無事ですか?』
やっぱりだ。
下の方で魔術が行使されてるのが感じ取れ、チャンネルを併せて呼びかけてみたら間もなく返事があった。
『まあ、間一髪だったけどね。で、そっちは誰がいるの? 魔力の大きさから見て、ライダーは来ているみたいだけど』
『とりあえず、わたしとライダーだけです。先輩は藤村組の人たちと準備していたみたいですけど、居ても立ってもいられなくって……』
『あんたたち、二人だけで来たの!?』
『ええ、ライダーが居てくれたし……』
『ばかっ! そりゃライダーは英霊だから魔力のこもってない攻撃で傷つくことは無いかもしれないけど、あんたは魔術師って言っても身体はただの人間なのよ!? 銃で撃たれでもしたらどうする気!』
あまりに無謀な桜の言葉にそう怒鳴りつけると、桜は静かに、でもはっきりと答えてきた。
『姉さんは命をかけてわたしを助けてくれたじゃないですか。だから今度はわたしが頑張る番です』
その言葉を聞いた時、念話なんだから相手の表情なんかわかるはず無いのにわたしは桜の笑顔を見たような気がした。
『……ばか』
『はい。わたし、姉さんと違って馬鹿な子ですから』
あ、駄目だ。なんだか涙があふれてきそう。
駄目だ駄目だ駄目だ。
なんとか意識を冷静に保ち、涙かこぼれるのを押さえようとする。
桜にはもう気づかれてるかもしれないけど、姉としてしっかりしたところを見せなければ。
ズズズズゥゥゥゥン……
『桜、助けに来てくれて嬉しいんだけど、もう少し控えめにしてくれないとビルが崩れて埋まっちゃいそう』
下のほうから響く轟音を聞きながら、そんな軽口を叩いてみる。
『……』
『……』
『……』
『桜?』
『ライダー、一刻を争います。ベルレフォーンで一気に突っ切りましょう』
『ちょっと待ちなさい!』
『姉さん、わたしたちの力が一歩及ばず申し訳ありません。後のことはわたしに任せてください。主に先輩のこととか』
『桜!アンタどさくさにまぎれてわたしのこと始末しようととしてるでしょ!』
『ああ、念話にノイズが入ってよく聞こえない』
『これ以上ないってぐらいクリアに聞こえるわよっ!!!』
『さあライダー、何も気にせず全力でベルレフォーンを……きゃあっ!?』
桜のそんな念話を最後に、ビルは見事に崩れ去った。
俺が目的のビルにたどり着いた時、全ては終わってしまっていた。
『姉さんを助けに行きます』と言って桜とライダーが飛び出していったのが三十分前。
二人を探して町中駆けずり回っていた時、地面から空へと駆け上る白い流星を見て、俺 はその場所に駆けつけた。
そこに存在したのは崩れ落ちたビルと、呆然と立ち尽くすライダーだけだった。
「ライダー」
「士郎……」
振り返ったライダーの表情には深い後悔が刻み込まれていた。
「サクラは『わたしのことは気にせずベルレフォーンを使え』と……」
そう言って涙を流すライダー。
何があったかはわからない。でも、それは今聞くべきじゃない。
「ライダーは無事か?」
「ええ、わたしは無事です。でも……」
「いいんだ。とりあえず、ライダーだけでも無事で居てくれた」
そう言って笑顔を浮かべる。
ここで泣き言を言うわけにはいかない。
あの時、飛び出す二人を止められなかった俺が、飛び出した二人を探し出せなかった俺が、遠坂が攫われ、桜とライダーが戦っている間、何もできなかった俺には何も言う資格が無い。
何が『俺は桜の味方になる』だ。自分の信念を捨てて桜を守ることを決めたと言うのに、その桜さえ守りきれない俺はただの役立たずだ――――
「士郎?」
「ん?」
「士郎、泣いているのですか?」
「え?」
言われて気づいた。視界がぼやけて、両目からは涙が流れている。
慌てて両手でこするが、涙は止まろうとしてくれない。
するとライダーはそっと俺の手を抑え、ちゅ、と涙の流れる頬に口づけた。
「士郎。辛いことは、一人で抱え込むものではありませんよ」
そんな笑顔で泣かないで下さい、そう言ったライダーもまた笑顔を浮かべ、涙を流していた。
「サクラの代わり、などとは言いません。でも、あなたの悲しみを分かち合うことはできると思います」
そう言ったライダーはもう一度微笑み、その唇が俺の唇に
どごしゃあっ!!!
触れる5cm前のところで何かに吹き飛ばされ、すごい勢いですっ飛んでいった。
「えーと」
足元に落ちているのは、ビルの瓦礫の一部っぽい巨大なブロック。
「痛いです、サクラ」
「『痛いです』じゃなくて! 何やってるんですかあなたはっ!」
その声を聞いて振り返ると、瓦礫の山から桜が這い出してきていた。全身かなりぼろぼろだけど。
「サクラとリンを失った悲しみを癒すために身体をはって士郎を慰めようかと」
「だめですっ!」
「えー」
「第一、マスターを振り落として宝具発動するなんてどういうつもりですかっ!」
「『何も気にせず全力でベルレフォーンを』と言われましたので、命令通りサクラのことを気にせずベルレフォーンを。いやそれでビルが崩れるとはよそうがいでしたしんじてください」
「信じられませんっ!」
「そうよねえ。人間って自分がやったこと他人にされると信じられないもんねえ」
地獄の底から響いて来るような声を出しながら瓦礫の山から這い上がってきたのは赤いあくま、遠坂凛。
いやなんか今日はあくま度150%増しって感じだけど。
「ああ姉さん、生きているって信じてました」
「3秒前の自分の発言を思いだせっ!!」
そう言って遠坂は桜に向かって容赦のないガンドを放っていた。
まあ、なんだ。
とりあえずはみんな無事だということだ。
桜、ライダー、それに遠坂。
今日は色々あったけれど、明日からはまた平凡な日常が待っているんだと思う。
事情は知らないけど、今日一日は姉妹喧嘩とかしたっていいじゃないか。
巻き添えくらって空を飛びながら俺はそんなことを思った。
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