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               目がさめると、カーテンの隙間から日の光が差し込んでいた。 
 カーテンを開ける。日の光がさんさんと降り込み、窓から見える庭では小鳥が戯れている。 
「……朝、ですね」 
 太陽の昇りぐあいから見て、まだ早朝と言っても差し支えの無い時間だろう。 
 本来私に睡眠は必要ないのだが、サクラと士郎に勧められて睡眠をとることにした。 
 本来必要のない睡眠なので、うまく起きられないのはしょうがないことだろう。 
 朝食の準備が終わったころに目覚め、起きたばかりで覚醒しきっていない状態なのでうまく挨拶が出来なかったとしても、それは当然の結果だ。 
 そんな私を見て『ライダーはねぼすけだなあ』とか言う士郎は意地が悪いと思う。 
 サクラもサクラです。自分のサーヴァントがからかわれている時に一緒に笑っていないで欲しい。 
「……ふむ」 
 時計を見ると、早いとは言ってもそこそこの時間みたいだ。 
 サクラと士郎は……今の時間なら朝食の支度をしているころだろうか。 
 たまには手伝って見るのもいいかもしれない。 
『うわ、ライダー。どうしたんだこんなに早く』 
 そんなことを言って驚く士郎の顔を想像したら、愉快な気持ちになってきた。 
 パジャマを脱ぎ、タンスから出した普段着に手早く着替える。 
 魔眼殺しを装着し、鏡で自分の姿を確認。 
「……よし」 
 おかしいところが無いことを確認して部屋を出る。 
 廊下を歩いて台所に。朝の空気はとてもすがすがしい。 
 そしてそのままいい気分で台所へ。 
 気取られることの無いよう、足音を殺して扉の前に。 
 一度深呼吸をしてから扉に手をかける。 
「おはようございます」 
 言いながら一気に扉を開ける。 
 そしてそこには…… 
「……いませんね」 
 誰もいなかった。 
 普段であればサクラか士郎、もしくはその両方が立っているはずの場所には誰もいなかった。 
「……寝坊でしょうか」 
 人に『ねぼすけだなあ』とか言うくせに自分が寝坊するとは、どういうつもりでしょうか。 
 しかも、士郎だけならまだしもサクラまで。 
「まったく、二人ともたるみきっています」 
 全く。しかもテーブルの上には風呂敷包みを置きっぱなしにして。 
「……む?」 
 なんだか見慣れない物体があった。 
 風呂敷の隙間から見えるその中身は……黒塗りの……重箱? 
「……ああ」 
 思いだした。 
 そう言えば、今日は『ハナミ』に行くのだと言っていた。 
『綺麗な花を見ながらみんなでのんびり食事したりするんですよ』 
 サクラはそんな風に説明してくれた。 
 ピクニックみたいなものなのだろうか。 
 聞くと、サクラは士郎と『ハナミ』に行くのをとても楽しみにしていたらしい。 
 マスターであるサクラが喜ぶことは、私も嬉しい。 
 以前のサクラはほとんど笑顔を見せることが無かったのだが、最近ではよく笑うようになった。これも士郎のおかげなのだろう。 
 
 さて、どうしようか。 
 サクラを起こそうかとも思ったのだが、部屋の前に行ってみたところ、中からは心地よさそうな寝息が聞こえてきた。 
 大きな寝息と言うわけではないが、サーヴァントの鋭敏な聴覚をもってすればはっきり聞こえる。 
 時々『うぅん……先輩ぃ……』とか悩ましげに寝言をいうのも実によく聞こえた。 
 起こそうかとも思ったのだが、幸せそうに眠るサクラを思うとと気が引けてしまう。 
 時計を見ても、出発する予定の時間まではまだまだ間がある。 
 桜は聖杯戦争で、そしてその前も含めて厳しい毎日を送っていた。やっと手に入れたこの安らぎは大切にしてあげるべきだと思う。 
 それがサーヴァントとしての使命というものだろう。 
「よし。それでは、サクラが起きるまでにサクラの仕事を一通り終えておきましょう」 
 マスターが起きる前に準備を万全に整えておこう。 
 サクラが起きたら、食事を済ませてすぐに出かけられるように。 
「これが『内助の功』というやつですね」 
 ……違っただろうか。 
 とりあえず、食事の支度…… 
「そういえば、今日の朝食はおにぎりでした」 
 昨日の夜、サクラと士郎がそんなことを言っていた。 
 具材や海苔も用意され、昼の弁当のおにぎりを作るついでに朝食の分も作って食べる予定だった。 
 みんなでおにぎりを握って食べると言っていたので、一人先に用意するわけにもいかないだろう。第一私はおにぎりの握り方を知らない。 
「困りました」 
 やることがない。 
 洗濯物はたまってないし、掃除しなきゃいけないほど家が汚れているわけでもない。 
 第一私は洗濯機の使い方を知らないし、掃除用具がどこにあるのかも知らない。 
「……このままだと、役立たずみたいですね」 
 あ、いけない。自分で言ってちょっと暗い気持ちになってしまった。 
 暗い気持ちになってはいけない。 
 まず、今自分に何ができるのかを考えてみよう。 
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・ 
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 思いつかない。 
 こんなことならサクラと士郎に家の仕事を教えてもらうべきだった。 
 いや、普段何もしてないわけではない。買い出しのときとか、所有スキル『怪力B』を使用してビール瓶三ケースぐらいなら楽々運搬…… 
 いけない、なんだかまた暗い気持ちになってしまった。 
「どうしましょうか……」 
 思い悩んでいると、サクラの部屋の方から寝返りをうつ音が聞こえた。 
 もうそろそろ起きるのだろうか。 
 ここは、慣れない手伝いなんて諦めて素直にサクラを起こしすべきなのだろうか。 
             
 
            
            
  
             
             
             人の気配を感じてうっすらと目を開けると、開けられた窓から日の光が差し込んできていた。 
             ああ、そうだ。 
             昨日も日課の鍛錬をしてて……そのまま寝てしまったらしい。 
            「……もう朝ですよ」 
             誰かが俺を起こす声が聞こえる。 
             誰かって言ってもそんなことしてくれる人は桜しかいないんだけど。 
             そう言えば今日は花見に行くんだっけ。 
            「ほら、はやく起きて下さい……」 
             ゆさゆさ。ゆさゆさ。 
             俺の腕を取って、なんだか控えめに揺さぶってくる。 
             えーと、なんだろう。 
             この感じは…… 
             ああ、そうだ。 
             桜がうちに来はじめたたころ、朝起こしてくれる時はこんな感じだったっけ。 
             今はなんだかんだあって、まああれだ。いわゆる恋人同士なんだけど、昔はこんな感じだった。実に懐かしい。 
             そう、あのころは…… 
            「もうちょっと寝かせてくれー」 
             そう言ってやると、困ったような顔をしてたっけ。 
             一度困った顔をされて以来こんな駄々をこねたことはなかったのだが、なんだか懐かしくなってついついそんなことを言ってしまった. 
            「……困りました」 
             ほら、困っている。 
             まだ冷め切ってない頭で、薄目を開けて声の方を見てみると桜は俺の脇で正座してじっとしている。 
             本当に困ってるみたいだ。 
             なんだか、こういう桜も新鮮でいい。 
             ついつい意地悪したくなってしまう。 
            「……どうすれば起きてくれるのでしょうか」 
             その声を聞いた瞬間、雷光のように一つのことを思いついた。 
             そしてそのまま、ろくに考えずにその考えを口にする。 
            「おはようのキスをしてくれ」 
             あ、桜が固まった。 
             そして何だかそわそわとしている。 
             むう、もう既にすることはしてしまってるのに、桜はこういう不意打ちに弱い…… 
            「わかりました」 
            「え?」 
             思いがけないそんな答えに驚いている、瑞々しく温かい唇が俺の唇に触れた。 
             いやこれはちょっと待て確かに朝からラッキーだけど 
             自分の提案だがまさかしてもらえるとは思えず、少し錯乱していると――― 
            「!!???」 
             俺の唇と歯をこじ開け舌が入ってきて、そのまままるで蛇のように口の中を蹂躙する。 
             舌を絡め、吸い、口内のありとあらゆるところを味わい尽くし、たっぷり一分ぐらいしてからゆっくりと唇が離れた。 
             あまりのことに驚きつつも、何とか呼吸を整えてゆっくり目を開けると――― 
            「ライダー!?」 
             そう、ライダーだった。 
             ライダーはその長い舌でちろりと自分の唇を湿らせると、ゆっくりと俺の上に覆い被さってくる。 
            「……士郎」 
             熱っぽい息をつきながらライダーは完全に俺に身を寄せる。 
             着ている服は普通の服だけど、密着したことでライダーの体の感触が確かに感じられる。 
            「士郎……」 
             その潤んだ目にはしっかり魔眼殺しがかけられてというのに、体は全く動こうとしない。 
             目をそらすことすらできやしない。 
             そしてまたライダーの唇が俺の唇に――― 
             
            「何やってるんですかっ!」 
             触れ合おうとした寸前に、土蔵の入り口のほうから桜の叫ぶ声が聞こえた。 
             ああ、今度は確かに本物の桜だ――― 
            「んむっ!!??」 
             気にせずキスしてきた。 
             さすがにまずいので何とか抜けようかと思ったけど、さっきにも増して凄い舌の動きって言うかごめん力が抜けて全然動けない。 
            「あぁぁぁぁーーーーーっ!!!」 
             叫ぶ桜。 
             でもライダーはその後じっくり二分ぐらいの間キスを続けて、そろそろ息苦しくなってきたころに唇を離してくれた。 
             そしてゆっくりと立ち上がり、桜の方に向き直る。 
            「おはようございます、サクラ。よく眠れましたか?」 
            「ええ、たっぷり……ってそうじゃなくて! ライダー、あなた何を」 
            「サクラが気持ちよさそうに寝ていたもので、かわりに士郎を起こそうと思いまして」 
            「……それがどうしてキスになるのかしら?」 
             あくまで淡々と答えるライダーと、怒りを隠し切れないように問い詰める桜。 
             えーと、ああいう桜どっかで見たことがあった気がする。 
             どこだっけ。 
            「ええ、士郎がおはようのキスをしろと」 
             びしっ。 
             頑丈な土蔵が思いっきり軋んだ。 
             空気に何かが満ち始める。 
            「ふーん。そうなんですか、先輩」 
             そう言って俺のほうを振り返った桜は、 
             何だかくすくす笑ってるわけで。 
             ああ、そうだあれは――― 
            「先輩、お話があります。ライダーはちょっと席を外して」 
            「はい」 
             いつの間にか黒い服に着替えて、白い髪の毛の桜を前に俺は超高速で人生を振り返ってみたりしていた。 
             
             
            
            
  
             
             
             サクラに言われ、土蔵から出ると扉が閉められた。 
             桜の手による静寂の結界が張られたらしく、土蔵の中で何が起きているのかはサーヴァントの聴覚をもってしてもさっぱり判らない。 
             しかし、どうして私はキスをしてしまったのだろうか。 
             一度目は確かに士郎に求められてしたたのだけど、二度目は自分でも良くわからない。 
             気がついてたら体が動いていた。 
            「……よし」 
             悩んでいてもしょうがない。 
            「また、試してみましょうか」 
             崩れ落ちる土蔵の前で、そんなことを決意してみた。 
             
             
             
             
             
            
             
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