ライダーさんの平凡な一日 温泉編


 車内は喧騒に満ち溢れていた。
 そりゃあもう修学旅行生の乗った新幹線の車両のごとく。
 いや、車両自体は特急ではあるものの新幹線では無く、騒ぎのもととなっている人物の数は十人に満たないのだが。
「だから、あなたたちはここに座ってていいわよ。わたしが向こうに移るから」
「そんな、姉さん。抜け駆けは卑怯です!」
「リンもサクラも落ち着いて下さい。まずは話し合いをですね――」
「まったく、二人ともレディの自覚がないわね」
 俺の座る席と通路をはさんで反対側、四人がけのボックス席の中で言い争う遠坂と桜、それを仲裁しようと懸命になっているセイバー、そして我関せずと言った感じで冷凍みかんを味わうイリヤ。
 そしてこちら側のボックス席には俺一人。
 車窓から見えるのどかな風景を見ながら、思い返す。
 なんで今こんなことになっているのかと言うと――




 秋も深まるある日、俺は雷画爺さんから呼び出された。
 衛宮邸とは比べものにならないほど重厚な門をくぐったところで若頭の井村さんに案内される。
 そして通された奥の部屋には藤ねえの祖父であり、藤村組組長であるところの藤村雷画その人がででんと座って待っていた。
「おお。すまなかったな、シロ坊。突然呼びたてたりして」
「いや、いいけど。珍しいな、雷画爺さんが呼び出すなんて」
 藤ねえをはじめとする藤村家(含:藤村組)とは仲良くしているし、セイバーやライダー、それにイリヤなんかは暇になるとよく遊びに行ったりしているが、雷画爺さんが俺を呼び出すというのは珍しい。
「まあ、勿体つけるのもなんだ。そら」
 そう言って手渡されたのは厚めの封筒だった。
 思わず封筒の裏表と確認してみたけど、無地。
「開けてみな」
「ん、ああ」
 促されて封筒を開け、中を確認すると――
「旅館のパンフレット?」
「おう、ウチと懇意にしている旅館でな。シロ坊の名前で部屋も押さえてある」
 さらに封筒の中身をがさがさ出すと数枚の旅券。
「雷画爺さん?」
「俺はな、後悔してることがあるんだ」
「え?」
 思わずそう聞き返すと、雷画爺さんは席を立つ。
 そして庭の方を見て、どこか遠い目をしながら口を開いた。
「俺はアイツと旅行に行ったことがなかったんだ――」
 昔を懐かしむような、そんな雷画爺さんの表情を見ればわかる。『アイツ』っていうのは藤ねえのお婆さん――雷画爺さんの奥さんのことだろう。
 俺がなんと答えを返せばいいのかわからずにいると、雷画爺さんはこっちを見てにかりと笑って明るい声で言葉を続けた。
「アイツと一緒になったころは戦後のドサクサでそれどころじゃなかったし、落ち着いたころに気がついてみると組がでかくなっててそんな暇はなかなかな。井村なんかは行くように勧めてくれたんだが、アイツに聞いても『無理はなさらないで下さい』とかなんとか言って笑いやがるもんだからよう」
 そういう雷画爺さんの表情はとても楽しそうで幸せそうで、夫婦仲が本当に良かったことを伺わせる。しかし、俺は知っている。そう――
「そんなこんなで行きそびれているうちに、アイツは逝っちまった」
 そう、藤ねえのお婆さんは初孫を抱くことなく病気で死んだと聞いたことがある。
「今となって思えば、近くでもいいからどっか連れてってやれば良かったんだ」
 その目は在りし日を思い出しているのか、あくまで優しく、どこか幸せそうである。
「爺さん……」
 なんと声をかけたらいいのか。魔術師だの聖杯戦争だのと非日常を生きてそれなりに人生経験を積んだつもりになっていたが、そんな思い込みは戦後の混乱期を生き抜いた侠客、藤村雷画に比べてみれば、なんの足しにもならなかった。口から言葉が出てこない。
 雷画爺さんはそんな俺を見て、まるで自分の孫を――いや、爺さんの孫と言ったら藤ねえだから違うか。とにかく、雷画爺さんは優しい目でこっちを見つめてその口を開いた。
「だからシロ坊、新婚旅行は行けるときに行くべきなんだ」
 そしてそんなことをほざきくさりやがった。
「いや、ちょ、おま……っ!」
 優しい顔で何言い出すんだこの爺さんは。今までのしんみりムードから急展開なこの展開についていけず俺がうろたえていると、雷画爺さんは豪快に笑いつつ言葉を続ける。
「お前には嫁があれだけいるじゃねえか」
「いや、嫁とかそう言うんじゃ無く」
 ここで言う『嫁』というのが誰なのか――そんなことがわからないほど俺はバカでもないし鈍感でもないつもりだ。遠坂にはよくバカだの鈍感だのと言われている気もするけど、それはこの際関係ないので置いておく。
「シロ坊、男を見せてやれ」
 そういって雷画爺さんはその力強く大きい手で俺の肩を叩く。
 確かにここしばらく旅行なんかしておらず、出かけるといってもせいぜいが新都までな生活を送っていたので、みんなで旅行と言うのは悪くない。特にセイバーとライダー、それにイリヤにしてみれば初めての旅行になるんだろうし。いや、それはいいんだけど新婚旅行とか言われるとそれは別であって。
 何と反論しようかと思っている間も雷画爺さんは言葉を続ける。
「たしかにあれだけ嫁がいたら式をあげるというわけにはいくめぇ」
「いやだからそれはですね」
「だがな――っ!」
 そして俺の意見は聞いてくれないらしい。俺の周りにはこんな人ばかりな気がするんだけど気のせいか。
「旅行ぐらい連れてってやんな。それが男の甲斐性ってヤツだ」
 そう言って雷画爺さんは満足したようにうんうんとうなずく。
 その後しばらく討論を続けたが、やがて俺には反論材料がなくなり――まあ旅行と言う申し出自体はありがたいものだったし、せっかく用意してくれた旅券その他を無駄にするのも悪い気がしたので、六人分の旅券――一泊二日の温泉旅行、雷画爺さん曰く新婚旅行のチケットをありがたく頂戴することにした。




 そして今に至るわけである。
 向こうのボックス席の争いは収まる気配を見せず、って言うか加速する一方なのでそろそろ止めないとダメかなあ、などと思い始めたところにライダーが戻って来た。
「ライダー、大丈夫か?」
「すみません士郎。電車に乗るのは初めてだったもので……」
 そういうライダーの顔は青白い。
 ライダーもちょっと前まで向こうのボックス席での争いに参加してたんだけど、電車が出発してから数分後――ちょうど十分ぐらい前だろうか。顔色を悪くして席を離れたのだった。席を離れてどこに行ったのかと言うと後部車両であり、そっちにはトイレがあるのでまあそういうことだと思ったので深く追求はしなかったというかそこで深く追求するような根性は俺にはなかったわけだが。
 まあともかくライダーは無事戻ってきて、そしてまだ多少苦しいのか、口を押さえたまま俺に声をかける。
「士郎、その席よろしいでしょうか」
「ああ、うん」
 そう俺が答えを返すと、ライダーは「ありがとうございます」と礼を言って俺の隣の席に座った。
「「「あー!」」」
 そして向こうから絶叫が上がった。
「みんな、もう少し静かに――」
「ライダー、いないと思ったらいつの間に!」
「抜け駆けなど、卑怯ではありませんか!」
「士郎もなにそこで『うん』とか言ってるのよ!」
 そして俺の常識的な指摘なんぞ誰も聞くことなく絶叫が続く。
「しょうがないだろ、ライダー乗り物酔いしたみたいだし」
「おかしいでしょ! なんで騎乗兵の英霊が乗り物酔いするのよ!」
 そんな遠坂の叫びが頭に響いたのか、ライダーはこめかみを押さえると「うーん」とうなって俺の方に倒れこんで来る。そしてその頭はこてんと俺のひざの上に。つまりあれだ。この状態は俗に言う膝枕ってヤツだ。
「「「「あー!」」」」
 そして絶叫再び。
 今回の絶叫には今まで争いにノータッチでいたイリヤも参加して三十三パーセント増し(当社比)となっております。
「ライダー、そこをどきなさい!」
「そうです! 気持ち悪いならわたしが介抱しますから!」
「士郎もなにそんなでれでれしてるのよ!」
「お兄ちゃん、わたしもーっ!!」
「「「イリヤスフィール!」」」
 そんな騒ぎをよそに列車は進む。
 とにもかくにも、衛宮家総勢六人による温泉旅行は始まった。
 はじめから何かを予測させる旅行ではあるが、とにもかくにも始まったのである。




 ブロロロロー。
 後ろではエンジン音を残してバスが走り去り、俺たち一行は無事旅館に到着した。
「ここからは歩きですか」
「そうみたいね。『徒歩五分』って書いてあるから近くだと思うんだけど」
「わたし、日本のリョカンって泊まるの初めてー」
「そうですね、実に興味深くあります」
「……あの、先輩。大丈夫ですか?」
「ああ、うん。なんとか」
 心配そうに声をかけてきた桜にそう答える。
 うん、桜は気遣いの出来るいい子だよ……。
 電車からバスに乗り継いで十五分。旅館からの送迎バスは出ていないらしいので路線バスを使ったのだが、バスの車内はそこそこ混んでいたため座ることができず、途中で席を譲ってもらったイリヤ以外は全員立ちっぱなしだったので電車の中のような騒動には発展しなかったのだが……いや確かに騒動にはならなかったのだが、バスの乗客全員にこれでもかと言わんばかりにじろじろ見られた。
 そりゃそうだろう。女性が五名、加えて過半数が外国人な上に全員が美女、または美少女と呼ばれても問題のない外見を持つものばかりである。そしてそんな中に男が一人。
 冬木でもこれでもかと言わんばかりに目立つのに、田舎にきたら何をいわんや、である。
 まあそんなわけで、我が家のタフな女性陣と違って精神修行の出来ていない俺は周囲から降り注ぐ視線のレーザービームにさらされてヘロヘロなわけである。
「あ、あれじゃないの? 『ゆかり旅館』って看板が出てるわ」
「ほう、これはなかなか」
「ええ、シロウの家とはまた違った趣がありますね」
「へー、日本のリョカンってなんだか家みたいなのね」
 そうこう考えている間に旅館についたらしい。先に行った面々の、幾分はしゃいだ声が聞こえてくる。
 声に従ってそちらの方を見て見ると、結構古くて雰囲気はあるけど、ボロいとか言うわけでは無く確かに趣のある造りをしている。
「よし、そんじゃ行くか」
 いつまでもへこたれているわけにはいかない。理由はさておき雷画爺さんが好意で用意してくれた旅行である。しっかり楽しまないと罰が当たるというものだ。
 門から入って庭園を横切り建物にたどり着く。
 そして扉を開けると、和服の女性に迎えられた。
「ようこそいらっしゃいませ」
「あ、いえ。こちらこそどうも」
 何が『どうも』なのかはわからないけど、ついそう返して頭を下げ返してしまう。
 そんな俺を見て和服の女性はくすりと笑うと、口を開いた。
「遠いところからわざわざ、ようこそいらっしゃいました。私、この旅館の女将をしております滝沢と申します」
「どうもよろしくお願いします。俺たちは――」
「伺っております。衛宮様ですね?」
「はい、そうです」
「藤村様から伺っております。どうぞ履物はお脱ぎになってお上がり下さい」
 そう言って女将さんはまたにこりと微笑んだ。なんだろう。何と言うか、普段見ることのない日本人女性っぽい微笑みで、なんだかとっても癒される。旅館の女将さんってみんなこんな感じなのかなあ。疲れを癒すために旅行に来るお客を相手にするんだから、こういう人でなければいけないんだろう。実に癒され――「先輩?」
 癒されつつ玄関に上がったところで桜さんに声をかけられました。気のせいか、空気が重くなってきた気がします。桜さんの陰からなんかひらひらした物が見えるのは気のせいでしょうか。
「はい。なんでしょうか、桜さん」
 首は錆付いたかのように動かないので、振り向くことなくそう返事をする。
「旅行、楽しみましょうね?」
「はい、そうですね」
 五体満足に済むととっても素敵だと思います。
「まあまあサクラ。士郎も普段とは違う土地に来て舞い上がっているのです。多少のオイタは大目に見ましょう」
 そしてなんだか聞き捨てならないことを言い出すライダーと、
「ほんと、シロウは節操なしよねー」
 いわれのない非難を浴びせてくるイリヤと、
「何を言うのですか! シロウはそのような人ではありません!」
 必死に俺を弁護してくれるセイバーと、
「衛宮君も大変ねー」
 そして、心底楽しそうに微笑むあかいあくま。
 ああ、旅行に来たって言うのにあっという間にいつもの雰囲気になっている気がする。
 と言うか。
「えーと、あのですね?」
 さっきからずっと俺たちの方を見ている女将さんにどう説明したものかと――いや、そもそも考えて見れば男一人に女五人での温泉旅行ってどうよと思えて、そうするとどう説明すればいいのかさっぱりわからなくなり、軽くパニックに陥っていたら女将さんはまたにっこりと優しく微笑んで口を開いた。
「いいんですよ」
「え?」
 思わぬ反応に間抜けな反応を返してしまったが、女将さんは笑顔のまま言葉を続ける。
「お客様の詮索をしないことは私どもにとって当然のことです。ましてや藤村様より紹介していただいたお客様。どうぞ衛宮様たちはご自分の家と思っておくつろぎ下さい」
 そう言ってまたぺこりと頭を下げる。
 そしてその雰囲気につられたのか、俺はもちろん他の面々も頭を下げる。
 さすが、こう言う老舗っぽいしっかりした宿は一味違う。マウント深山商店街でこんな姿見せようものなら周囲から冷やかしと歓声と激励の声が上がって色々差し入れされてしまう。
 いや、食料品とかを分けてくれるのは非常に助かるんだけどそれ以外の差し入れも非常に多く、『精泉マカビンビンX』とか書かれた怪しげな瓶を渡されても非常に困ると言うか何と言うか。
 まあいい。ここは冬木市ではないのでマウント深山商店街の人たちもいない。遠く離れた温泉宿である。雷画爺さんの思惑はさておき、旅行でしっかり骨休めさせてもらおう。
「こちらの部屋になります」
「あ、ありがとうございます」
 促されて入った部屋は、庭園に面した大きな部屋だった。うちも武家屋敷なんでそれなりに部屋は広いが、この部屋はそれ以上である。
 造りも見るからにしっかりしているし調度品も嫌味でない程度に飾られていて、とても落ち着く部屋だった。
「それでは、何かあったらお呼び下さい」
「あ、どうもありがとうございます」
 そして女将さんは一礼し、部屋を後にしようと――
「ちょっと待って下さい!」
「はい?」
 あわてて声をかけたら振り向いてくれた。よかった。このまま行かれたら大変なことになるところだった。
「部屋って……俺の部屋は?」
「ですからこちらですが」
 そう言ってさっきの部屋――みんなが早くも荷物を置き始めた部屋を示す。
「狭かったでしょうか?」
「いや、広さは問題ないんですが……」
 うん、広さは問題ない。六人どころか十人いても大丈夫なんじゃないかと思えるほど広い部屋で、正直こんな部屋を用意してくれた雷画爺さんには感謝したい。したいのだが。
「やっぱまずいですよ同じ部屋ってのは」
 うん、まずい。色々まずい。
 何がまずいってそれを描写することすらまずいって言うぐらいまずい。
「他に部屋はないんですか?」
「ええ、ございますが――」
「じゃあ、俺の部屋は別でお願いします。料金は追加でお支払いしますから」
「いえ、結構です。藤村様には十分な代金をいただいておりますので」
 そしてまた女将さんは深々と頭を下げた。
「――チッ、根性無しが」
「え?」
 なんか今女将さんらしからぬ声が聞こえたような気がする。
「いえ、それではもう一部屋御用意させていただきます」
「いや、今『チッ』とか言いませんでしたか」
「お部屋はいらないと?」
「いえ、お願いします」
「それでは」
 そう言って女将さんはまた深々とお辞儀をすると去っていく。
 なんだろう。この旅行、何か仕組まれまくってそうな気がしてきた。
 でもそれはきっと気のせい。気のせいと信じたい。
『――士郎、婚前交渉って言うのもいいものだよ』
 とりあえず、青空をバックにサムズアップしている切嗣には、全力で石を投げつけてやることにした。




 女将さんに案内された部屋は、さっきの部屋と負けず劣らずいい部屋だった。さすがにさっきの部屋より狭いけれど、それでも一人で使うにはもったいないぐらいだ。
「布団は二組ご用意してありますので――」
「なんでさ!?」
「いえ、こちらの部屋は本来二人部屋だからですが……それが何か?」
「あ、いや。なんでもないです。はい」
 いけないいけない、どうも疑心暗鬼に陥っている。
 女将さんは俺の無理な要求にこたえてこの部屋を用意してくれたんだ。それなのに疑うなんてどうかしている。
「冷蔵庫の中の飲み物はサービスとなっておりますので、どうぞご利用下さい」
「はい、ありがとうございます」
 にっこりと微笑む女将さんにそう答える。
「それでは何か御用があれば内線でお呼び下さい」
「はい、わかりました」
 俺がそう答えると、女将さんは「それでは」と言ってから礼儀正しく頭を下げて部屋を出ていった。
「――ふぅ」
 やっと一息つけた。
 女将さんはまあ多分悪い人じゃないし、こちらを客として気遣ってくれてるんだろうけど、人に気遣われるというのにはどうも慣れない。そんなことを言ったら遠坂あたりにバカにされるんだろうけど、性分なんだからしょうがない。
 窓際に置かれた椅子に座ると窓から気持ちのいい風が当たる。
「……あ、そうそう。冷蔵庫の中に飲み物があるんだっけ」
 普通こういうところだったらお茶を入れるのが定番だと思うのだが、サービスしてくれると言うのだから飲まないと損と言うものだろう。
 そんな主婦的発想の下冷蔵庫の扉を開けて中を見て即閉めた。
「……やっぱり何か仕組んでるだろう」
 冷蔵庫の中には確かに説明されたとおり飲み物が入れられていた。しかも、一本や二本じゃなくぎっしりと。『精泉マカビンビンX』が。
 なにか。この栄養ドリンクは流行りなのか。全国的に。
「しょうがない、お茶でも入れよう……」
 別に取り立てて喉が渇いたと言うわけでも無かったはずなんだけど、一度何か飲もうと思った喉は明確に何か飲み物を要求している。
 そんなわけで俺は湯飲みにティーパックを入れ、ポットのお湯を注いでお茶を作る。
「ふぅ……」
 一口飲んだらだいぶ気分も落ち着いた。
 正直自分の家で入れるお茶と比べると味は劣るが、こういうところで飲むお茶は味わい深い。海の家で食べるラーメンみたいなものだな。
 そんなことを思っていると部屋のふすまがノックされた。
「はい?」
「士郎、わたしたちとりあえずお風呂に行ってくるから」
「ああ、それじゃ俺も行こうかな」
「……混浴じゃないわよ?」
「ばっ、おまっ、何をっ……!」
 言葉にならない。ふすま越しだというのに、遠坂が笑みを浮かべている姿が易々と想像できる。くそ、あくまめ!
「急いで来ればみんなの浴衣姿見れるわよ?」
 そして追い討ち。くそ、あかいあくまの名前は伊達じゃない!
 そんなことを思いつつ俺は――
「じゃあすぐ行く」と素直に答えを返していた。
 俺だって健康な男なんです。しょうがないんです。




「もー。シロウ、おっそーい!」
 俺を出迎えたのはイリヤの声だった。
「ごめんごめん、ちょっと手間取っちゃって」
 というかお茶を飲み干した後の湯飲みをそのまま放置するのはどうも落ち着かなくて、軽く濯いだりしてから来たのでちょっと遅れてしまったのだが。
 もうみんな中に入っているのかと思っていたが、どうやら脱衣場に入る前に待ってくれていたらしい。
「さあ士郎、どうかしら?」
 そう言って遠坂はみんなの方を指差す。
 きっちりと着込んだセイバー。子供らしいイリヤ。浴衣の縦縞のせいかその胸の部分が強調されてしまっている桜。そしてもちろん、普段のイメージからは想像できなかったけれど、それでもしっかりと着こなしている遠坂。
 そんなみんなを見せられて「どうかしら?」などと聞かれても気の利いた言葉が出てくるわけはなく。
「いや、うん。みんな似合ってる」
 そんな言葉が精一杯だった。
「まあ、衛宮くんならその辺が限界でしょうね」
「うるさいやい」
 そんなこと言っている遠坂も笑顔だし、桜は小さくガッツポーズしているし、セイバーだって頬を赤らめているしイリヤなんかこっちに突撃して来てるんだから――
「やったー! シロウー!」
「うわ、危なっ――!」
 なんの躊躇も遠慮もない、抱擁と言う名の突撃を何とか受け止める。
 そしてイリヤはまるで猫のように俺の胸元にほお擦りをし――
「イリヤさん!」
「イリヤスフィール!」
 桜とセイバーに即引き剥がされた。イリヤは不満らしくぶーぶー言ってるが、少なくとも二人に二度目の突撃を許す気はないらしい。正直助かった。あのまま、お互い浴衣と言う薄い布一枚だけと言う状態でほお擦りを続けられるとちょっとその――
「衛宮くん、顔赤いわよ?」
「うるさい。それより――」
 相変わらずのな遠坂にそう返して周囲を見回すが、やはりいない。
「ライダーは?」
「ん? なんか着替えに手間取っているみたいで『先に行って下さい』って言われたから先に来たんだけど」
「着替え、手伝ってやったほうが良かったんじゃないのか?」
「わたしもそう思ったんですけど、ライダーが『大丈夫です』っていうものですから」
 ふむ。桜の好意を拒否するっていうのも珍しい気はするが、浴衣の着方なんか悩むほどのものでもないしな。そんなにかからずにライダーも来るだろう。
「あ、ライダー」
 噂をすればと言うやつなのか、イリヤの声にしたがって廊下の方に目をやるとライダーが――
「すみません。お待たせしてしまったようですね」
 ライダーが――
「おや。どうしたのですか、皆さん。早く浴場へ――」
「じゃなくて!」
 真っ先に復活したのは桜だった。
「その格好はなんですか!」
『異議あり!』とばかりにライダーの方を指差す。なんなら『リアリー!』でも可。
「『その格好』と言われましても……」
 指差されたライダーは自分の着ている服を見下ろして、もう一度顔を上げる。
「裸Yシャツですが何か?」
「『何か?』じゃありません! すぐ着替えてきなさい!」
「えー」
「『えー』じゃありません!」
 そして続けられる主従の舌戦。ああ、なんだろう。いつもの衛宮家の空気が流れ始めた気がする。
 というかさすがにこれ以上騒ぐのはまずいだろう。さっきから一人も出会わないけど、他にお客さんもいるんだろうし。
「まあまあ、桜。そう頭ごなしに言うのもなんだ。ライダーにだって何か理由があるのかもしれないだろう?」
 俺にも理由はさっぱり想像つかないが。
「先輩はライダーに甘すぎます!」
「まあまあ。それでライダー、その格好をしている理由を聞いてもいいかな?」
 頬を膨らませて抗議の声を上げる桜をなだめつつライダーに問いかける。
「ありがとうございます、士郎。それでは、私がYシャツ一枚と言う扇情的な服装でここにいる理由ですが」
「いや、詳しい描写は要らないから」
「下着は、下だけは着用させていただいています」
「いやだから」
「ああ、すみません。理由でしたね。理由ですが――」
 そこまで言ってライダーはひとつ大きく息をつく。
 果たしてどんな理由があるのか。いやそんな深刻な理由じゃないだろうと想像がついてはいるんだけど、それでも思わずごくりとつばを飲んで次の言葉を待つ。
「サークル名が『裸Yシャツ友の会』なのに本文内に裸Yシャツなシーンが一切ないのはどうかと思いまして」
「……はい?」
 意味がわからなかった。
「挿絵がないのはこの際しょうがないとしても、本文中に一回もなければ『詐欺だ!』と騒ぐお客さんがいないとも限りません」
 さっぱり意味がわかりません。
「理解できませんか?」
「うん」
 うなずいて周囲を見回すと、桜も遠坂も、それにセイバーも俺と同じくきょとんとした顔をしていた。
「ライダー、メタ的発言がくやおちを繰り返せば世界が揺らぐわ。守護者が出現する前に、ほどほどのところでやめておきなさい」
「わかりました」
 そんな中イリヤは冷静にそんな指摘をしていたりした。
 えーと。話の意味はよくわからんけど、せっかくの温泉旅行に守護者アーチャーなんかが来ると言う状況は、できれば避けていただきたい。
「……で、ライダー。もう一度説明してもらっていいかな」
「わかりました」
 俺の言葉にライダーはうなずき、その魔眼殺しをついとあげると答えを口にした。
「みんなと違う格好をして士郎を欲情させよおばっ!」
 その言葉を最後まで言わせること無く襲い掛かる桜の延髄斬り。
 と言うか桜さん、浴衣でそんな大技出されると色々と見えちゃいけないものが見えてしまってその。
「痛いですサクラ」
「『痛いです』じゃありません! 今すぐ着替えてらっしゃい!」
「えー」
「『えー』じゃありません! 来なさい!」
「痛い、痛いよ姉さん!」
「誰が姉さんですか!」
 そういいながら桜はライダーの耳をつまみ、ずるずると引っ張っていった。
「えーと……先に入っちゃいましょうか」
「……そうだな。なんか長引きそうだし」
 まだ少し唖然とした表情のままでいる遠坂の提案にそう応え、脱衣場に向かう。
「あ、そうだ。士郎の分の夕食もわたしたちの部屋に運ぶよう頼んでおいたから。お風呂出たら一緒に食事しましょう」
「ああ、そうだな」
 そういえば全く考えていなかったが、確かにあの部屋で一人食事を取るというのは寂しいものがある。ここは遠坂のせっかくの心遣いをうけることにしよう。
「それじゃまたあとで」
「おう。それじゃあな」
「……覗くんじゃないわよ?」
「覗かんわ!」
 思わず顔を真っ赤にしてそう答えたころには遠坂は脱衣場に入っていた。くそ、あのあくまめ。俺をからかうことを生きがいにしているに違いない。
「全く、リンにも困ったものね」
「ほんとだよな」
「もう少し淑女としてのたしなみと言うものを身につけるべきだと思うわ」
「まあ、淑女になった遠坂っていうのも想像できないけどな」
「あら、リンはそれなりの場所に出れば化けると思うわよ?」
「まあ確かに……ってイリヤ!?」
「ええシロウ。って言うか気づくの遅いわよ?」
「いやその、なんだ。イリヤ、どうしてここに」
 うん、この質問は間違っていないはず。ここは脱衣場だし、入り口の磨りガラスの向こうには『男』って書かれた暖簾が確認できるし、俺が間違って女性用脱衣場に入ってしまったということはない。と言うか俺がもしそんなことをしたら遠坂のフィンのガトリングで蜂の巣になると思う。
 そして当然なはずの俺の問いに対するイリヤの答えはというと。
「お兄ちゃん、一緒にお風呂はいろ?」
 などと言う、核爆発級の問題発言だった。
「いやあの、イリヤさん?」
「なんか今日は他のお客さんもいないみたいだしー。日本では兄妹でお風呂に入るのは普通なんでしょ?」
「そんなわけあるかっ! そんなこと誰に――」
「ライダーの部屋にあった漫画に書いてあったよ?」
「そんな漫画読むんじゃありません!」
 本当に一度ライダーの蔵書は徹底調査しなきゃいけない気がしてきた。徹底的に。
 そしてそんなことを言っている間にイリヤは浴衣の帯を――
「帯をほどくんじゃない!」
「えー、なんでよー」
 ぶー、と膨れるイリヤ。
 普段はお姉さんぶっているイリヤだけど、やっぱり年相応にこういう反応を見せたときはかわいい――ではなく。
「とにかく、ダメなものはダメなの! 日本でも年頃の兄弟は一緒にお風呂入ったりしないの!」
 ぜえぜえと息を荒くしながら何とかそれだけ言い放つ。
 まずい。とにかくまずい。とりあえず、俺とイリヤが一緒にお風呂なんてそんなやばすぎるシチュエーションは何としなくても阻止しなくては――
「――ぐすん」
「え?」
 イリヤが泣いていた。
 意味がわからなかった。
 ただとにかく、気がついてみるとイリヤが目の前で涙ぐみ、その手の甲で一生懸命に涙をぬぐっていた。
「イリヤ、どうしたんだ? ちょっと言い方がきつかったか?」
 そう、良く考えて見ればイリヤは生まれこそ特殊だけど、子供なんだ。俺はそれを怒鳴りつけたわけで――
「シロウ……」
「ん?」
 しゃがみこみ、イリヤと目線をあわせて聞いてみる。
 そう、こういうときは同じ目線で話を聞くことが大事。託児所のバイトで鍛えたスキルを今こそ見せるとき!
 なんて盛り上がっている場合ではない。とりあえずイリヤの話を聞かないと。
「わたし、家族で一緒にお風呂に入ったことないの」
「えっ……」
「わたしは所詮、アインツベルンのために造られたホムンクルスだから。メイドたちに連れられて調整槽に入ることはあってもお風呂になんか入ったことないし……冬木のお城に住んでいたころだって、お風呂に入るのは一人だったから……」
 涙を拭き、鼻を鳴らしながら途切れ途切れでそう続ける。
「だから一度でいいから『家族で楽しくお風呂』って言うのを味わってみたくって……、でもあれだよね。お兄ちゃんは迷惑なんだよね」
「いや、そんな迷惑とか」
「ううん、いいの。お兄ちゃんの迷惑になることはしたくないから――」
「イリヤ!」
 言い残して走り去ろうとするイリヤに手を延ばし、その手を掴もうと――
「はい、そこまでです」
 掴もうとしたところで冷静なツッコミを入れられた。
「なによぅ、ライダー。もう少しだったのに」
「えーと、え?」
 そう、そこにいたのはライダーだった。ちゃんと部屋に戻って着替えてきたらしく、浴衣着用の。
「士郎の人柄に付けこんでお涙頂戴の三文芝居を演じ、自分の思いのままに動かそうという作戦の有効性については私も認めますが、私が来たからにはそうはさせません」
 え? 何? どういうこと?
「なんならライダーも一緒でいいわよ?」
「それは非常に魅力的な提案ですが、今はあなたを女湯に連れて行くと言う使命を受けております。というかぶっちゃけ連れて行かないとサクラ怒りのチョークスラムが炸裂します。あれは半端なく痛いので、今回は大人しく従っていただきたい」
「むー、わかったわよ。それじゃあね、シロウ」
「では失礼します」
 そう言って二人は脱衣場を出ていった。
「え? 何? え?」
 いまだに状況を理解しきれていない俺だけを残して。


 その後の風呂のことはあんまり良く覚えていない。
 広い露天風呂には他に客もなく貸し切り状態だったことは覚えているのだが、竹で作られた塀の向こう側から
「うわ、イリヤ。やっぱり肌白―い」とか
「何よ桜その胸は。作りものじゃないのちょっと触らせなさい!」とか
「姉さんやめてください! それに胸のサイズならライダーの方が!」とか
「何を言うのですサクラ。私のように背が高いばかりの女性を触ってもリンは楽しくないでしょう。それならばバランスの取れたセイバーの方が――」とか
「な、何を言うのですライダー! 私のように男みたいな肉体を触っても意味がありません。バランスが取れていると言うのなら凛に一日の長があります!」とか
「わかりました。つまり私がリンを触ればいいと言うことですね」とか
「ちょ、何言ってるのよアンタたち。って言うか放しなさい桜!」とか
「ふふふ……姉さん、観念してください」とか
 その後水音とか凛の悲鳴とかイリヤのはしゃぎ声とかセイバーの悲鳴とかいろんな物が聞こえた気がしたけど覚えていない。
 覚えていないったらいないのである。





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