裸YシャツSS 〜乾家のお正月の場合〜

 一月二日。
 元旦である一月一日が過ぎたとは言ってもまだ松の内であり、世間はまだ正月ムード真っ只中。
 さらに、初詣などは一日のうちに終わらせてしまったものにとっては暇な、かなりだらけたムードが世間に漂っているころ。
 俺―遠野志貴はとある一軒家の前にいた。
 本来ならば正月ぐらいは家でのんびりしたいのだが、そうはいかない理由があった。

 再現映像スタート。

 「しきー!初詣いこー!」
 「アルクェイド、どうしてお前はいつも窓から」
 「そうです。今は兄妹二人水入らずで過ごしているのです。とっとと出て行きなさい未確認吸血生物」
 「なによ、わたしは最近人間らしい生活送ってるんだよ?それを言うなら、毎晩琥珀の血を吸ってる妹のほうがよっぽど吸血鬼っぽいし」
 「そうです。遠野くんは今からわたしと初詣に行くんですからとっとと帰りなさい。遠慮しないでなんならお城まで」
 「いや、先輩いつの間に」
 「年始めから屋敷を血で汚したくはありませんので、今すぐ帰るのなら不法侵入その他は見逃して差し上げます」
 秋葉の髪、紅く染まる。
 「ふーん、帰らないって言ったら?」
 アルクェイドの目、金色に輝く。
 「この際です、遠野くんの周囲から一切の人外を排除しちゃいましょう」
 シエルの手に黒鍵が現れる。
 いつも通りの阿鼻叫喚。

 再現映像終了。

 そんなわけで逃げてきた。
 そして今は道をとぼとぼと歩いている。
 「正月ぐらいはひとりでのんびり過ごしたいよ」
 とか、独り者の男が聞いたら激昂しそうなことを、ため息を吐きつつ呟いてみたりする。
 いや、贅沢な悩みだと言うことは分かっている。
 俺だって男なので、自分をめぐって複数の女性が争ってくれるのは嫌ってわけでもない。
 嬉しくはないけどまあ、それは男の甲斐性ってやつである。多分。
 しかし、甲斐性で自分の命を危険にさらしたくはない。
 とか言いつつも結局普段は危険の真っ只中にいるので、正月ぐらいは平穏無事に過ごしたい。
 これについて異論のある人間は空想具現化によって引き起こされた天変地異と、そこら中を飛び交う魔剣と、あらゆる物体の熱量を奪い去る髪の結界の真っ只中にいてみろ。
 死ぬって普通。

 まあ、そんなこんなで屋敷の敷地内で争いが起きる中、一人逃げだしてきたのであった。
 ていうか、秋葉たちが起きる前に逃げてきた。
 そして、どこに行こうかと色々考えた末、親友であり悪友である有彦の家に遊びに来たのであった。
 「まあ、もし何かあっても一子さんがなんとかしてくれるだろ」
 全く根拠が無いわりになんとなく納得できることを呟きつつ、志貴は玄関の脇にあるチャイムを鳴らす。
 少し待つと、二階の窓が開いて有彦が顔を出す。
 「おう、遠野か。入れや」
 「うい。そんじゃー」
 有彦の声を聞いて、玄関の扉を開けて中に入る。
 「お邪魔しまーす」
 「お、有間か。あんたも正月から暇だねえ」
 「あ、一子さん。今年もよろしくお願いします」
 「ああ。有彦なら上だよ」
 「はい。それじゃあ」
 一階の居間にいた一子さんに挨拶して階段を上がる。
 有彦の姉である一子さんは、未だに自分のことを「有間」と呼び続ける。
 有間家に預けられている時に自分の複雑な家庭環境やら何やらを説明したのだが、それを聞いた一子さんは「んー、とりあえず今は有間って家の子なんだろ?じゃあ、お前は有間ってことで」とめんどくさそうに宣言して、自分に対する呼び名を決めたのだ。
 遠野家に戻ったことも一応報告したのだが、それでも「いいよ。めんどくさいからお前は有間で」と言っていた。
 ぶっきらぼうな言葉であったが、一子さんは「有間の家にいようと遠野の家にいようと、別につきあい方変わるわけじゃないよ」と言ってくれるようで嬉しかった。
 いや、ひょっとしたら本当にめんどくさいだけなのかもしれないけど。
 「あんまり騒ぐなよ」
 一子さんはそう言残して居間のほうに引っ込んでいく。
 「はーい」
 眠そうな一子さんに返事を返して階段を上がり切ると、有彦の部屋がある。
 「おっす」
 「おう遠野。もう秋葉ちゃんたちから逃げてきたのか?」
 「うるせ。お前が正月から一人寂しく過ごしてるだろうと思って会いに来てやったんだ」
 「ぐあ。お前も最近言うようになったな」
 ノックも無しに部屋の扉を開け、そんなくだらない会話をしながら床にあった座布団にあぐらをかいて座る。
 「なんなら代わってやろうか?」
 「そんな全身から邪心を滲み出させながら言われて、俺が了解すると思うか?」
 「いや、秋葉ちゃんとシエル先輩とあの金髪の美人だろ?いつでも替わってやるって」
 「却下だ」
 嬉しそうに話しかけてくる有彦の提案を即座に却下する。
 さすがにこの年で親友が知人に殺されて塵も残らないと言う状況に直面したくないし。

 そしてしばらくの間、有彦とくだらない話をして過ごした。
 学校の友人の話やら、噂話やら。
 本当にくだらない、意味の無い話ではあるのだが、そう言った話を男の友人と思う存分すると言う機会が最近無かったので、とても楽しかった。
 口に出すと有彦にまた嫌がると思うので言わないが、やっぱり6畳ぐらいでそこそこモノが散らかっている部屋は落ち着く。
 翡翠の手によっていつも奇麗に掃除されている部屋は確かに住みやすいのだが、やはりまだこういう状態のほうがくつろげてしまう。
 まあ、こんな事を口に出してしまったら、秋葉が「兄さんは遠野家の長男としての自覚が足りないです」と怒り、翡翠は「すいません、私が余計なことをしてしまいまして」と涙ぐみ、琥珀さんは「志貴さん、お仕置きですー」と笑うだろう。
 ちなみに琥珀さんは地下室へと通じる落とし穴を作動させながら。
 ……遠野家に言論の自由はないんだろうか。

 「おい、有彦に有間。話し込むのは勝手だが少しは周囲に気を配ってくれ」
 「「おわっ!」」
 なんだかんだと有彦が話し込んでいると突然部屋の入口から声が聞こえ、二人同時に驚いた。
 「あ、姉貴か。客が来る時ぐらいはノックを」
 「した。全くお前ら、仲がいいのはいいことだが、下手するとホモって噂がたつぞ」
 「いや、それは大丈夫。遠野が女好きなのは周知の事実だし」
 「有彦、お前だって人のことは言えないと思うぞ」
 そう、いつのまにか一子さんが二階に上がってきていた。
 有彦と話し込んでいて今まで気づかなかったらしい。
 「で、なんか用か?」
 「ああ、お前あての年賀状だ」
 そう言って一子さんは数枚の年賀はがきを有彦に手渡す。
 「おお、さんきゅ。でも、こんなもん後でも良かっただろうに」
 「ああ、それとお前宛てになんか荷物が来てる。玄関先に置いてあるけど、邪魔なんでとっとと持っていけ」
 そのあと、「あたしは出かけるから」とか言い残して降りていった。
 「しょうがねえな、遠野、ちょっと待っててくれ」
 「かなり大きかったから、一人で運ぶのはきついと思うぞ」
 腰を上げ、荷物を取りに行こうとした有彦に向かって一子さんからの忠告が届く。
 「手伝うよ」
 そう言って腰を上げ、階下に下りていった。


 「で、これか」
 「ああ、たしかにかなりでかいな」
 一子さんが言った通り、玄関先に置いてあった荷物は相当な大きさだった。
 そこにあったものはダンボール箱で、大きさは小さなタンスぐらい。
 「ありゃ。差出人がねぇぞ」
 「え?」
 有彦に言われて見てみると、確かにダンボール箱に貼ってある伝票には宛先欄に有彦の家の住所と名前が書かかれているのだが、差出人欄には「秘密」と書いてあるだけだった。
 ……っていうか、運送会社も怪しめよ。少しは。
 他に手掛かりになりそうなものはと言うと、ダンボールの上投げやりに貼り付けられた熨斗紙。
 「……どうする?」
 「……とりあえず、開けてみるか。生物らしいし」
 有彦に言われて見てみると、確かに箱には「ナマモノ」と赤いマジックで書きなぐってある。
 「一応気をつけろよ。最近色々物騒だし」
 「ああ」
 有彦が静かに荷物の側に立ち、慎重にガムテープを剥がす。
 ピリピリピリピリ……
 大きい箱とは言っても、それでもやりすぎと思えるほどの時間をかけてガムテープを剥がし終わる。
 「じゃあ、開けるぞ」
 有彦がそう宣言した後に蓋の部分に手をかけ、そろそろと開ける。
 そして、わずかに開いた隙間に目をつけるようにして中を覗きこみ……
 そのまま閉めた。
 その上、箱の上に座り込んだ。

 「……有彦?」
 「なんでもない。遠野の興味を引くようなものは何にも入っていない」」
 「いや、中には何が」
 「何でもないって本当に。それより帰らなくていいのか?家で秋葉ちゃんが待ってるんだろ?」
 「ああ、それなら今は怒ってるらしいからほとぼりが冷めるまで泊めてもらおうかと」
 「いかん!仮にも遠野家の長男たるものが年の始めから素行の悪い友人の家に泊まりこんで、不規則な生活をしたりしちゃいかん!」
 「また急に秋葉みたいなことを。じゃあ、とりあえず荷物の中身だけ見せてくれ。一目見せてくれたらすぐ帰るから」
 「いかんっ!!!!!」

 ……どうやら、有彦は頑としてどかないつもりのようだ。
 最初は単なる好奇心からだったのだが、ここまで隠されると、一目見るまでは意地でも帰るわけにはいかない。
 しかし、結構頑丈そうなダンボールの上には有彦が座りこみ、正攻法で開けるのは難しそうだ。
 かといって、有彦相手に力ずくと言うわけにもいかない。
 「……」
 志貴は有彦と視線を交わし、牽制しあいながらもポケットに手を入れる。
 『……いかんいかん』
 緊迫した局面に立った時の習慣で、ついつい七夜の短刀を抜きそうになる。
 いくらなんでもここで刃物を抜くのはまずい。
 そう思ってポケットから手を出そうとした時に、別なものが手に当たった。
 その感触に一つの考えが頭にひらめき、そして志貴は不敵な笑みを浮かべて、眼鏡を外した。
 「ふっふっふ。俺の勝ちだ。有彦」
 「……遠野?」
 有彦は志貴の表情の変化を見て、一瞬呆気に取られるもののすぐに気を取りなおす。
 『こいつがこういう表情をした時は、なにかを隠している時だ』
 長いつきあいの間で喧嘩したりしたこともあったが、なにか策がある時には決まってこんな表情をする。
 有彦も、ダンボール箱に座ったまま真剣な表情で身構える。
 永遠とも思える時間が経ち、志貴はポケットからゆっくりと手を出す。
 その手には……
 プラスチック製の櫛があった。
 100円ショップで売ってそうなやつ。


 「……」
 長い前フリのボケかとも思ったが、表情を見る限り志貴は大真面目だ。
 とりあえず、なんだかわからないけれど有彦は警戒することにした。


 ……有彦は戸惑っているようだ。
 まあ、この緊迫した状態で櫛なんぞ出したところで何をするのかはわかるまい。
 しかし、そこに勝機があった。


 志貴がそのままノーモーションで動き出す。
 櫛を右手に携え、ダンボール箱へと疾る。


 遠野が体勢を低くして突っ込んできた。
 さすがに力比べとなれば勝負にならないので、スピードで勝負に来たか。
 いや、櫛の意味はさっぱり分からんが。
 とりあえず、ダンボールに衝撃が加えられても体勢が崩れないように、有彦はどっかと腰を下ろして重心を低くする。
 その際にダンボールの中から何か聞こえた気もするが、無視。


 体勢を低くしたまま駆け、ダンボールに肉薄する。
 有彦は志貴の予想通り、タックルによる衝撃に耐えようと重心を落している。
 いくらスピードが乗っていても、志貴の力と体重では有彦のバランスを崩し、ダンボールの上からどかすのは難しいだろう。
 だからタックルを行ったりせずに、目を凝らす。
 そして右手に携えた櫛を、「直視の魔眼」が示した「線」にそって滑らせた。
 有彦には何が起きたのかわからないまま櫛に切られて、ダンボール箱は崩壊した。
 ちなみに、新記録二十四分割。


 ドターン!!!


 今まで有彦の全体中を支えていた箱が無くなったため、有彦はそのまま崩れ落ちた。
 「いててててて……。遠野、今何をした?」
 「ん?あれだよ。ほら。えーっと……気?」
 「嘘つけっ!」
 「本当だぞ?古代中国では『弾墓悪留斬り』と言う」
 「そんな民明書房みたいな知識は要らん」
 「いや、っていうか有彦」
 「あん?」
 「それは?」

 そう、ダンボールに梱包されていたのは鮮やかな金の髪と翠の目、そして……蹄を持った少女だった。
 そしてその少女は現在、うつ伏せの状態で有彦に潰されていた。
 「うー、重いですー。死んじゃいますー」
 「……」
 「……」
 「いや、俺には蹄持った知り合いなんぞいないが」
 「ひどいです有彦さん。わたしと有彦さんの仲じゃないですかー」
 「と、主張しているみたいだが」
 「……同姓同名の誰かと勘違いしてるんだろ。きっと」
 「うわ、よくそんなこと言えますね。結構な間、同じ部屋で寝泊まりしてたのに」
 「爆弾発言が飛び出しているようだが」
 「人違いだ。早く送り主のところに送り返さなければ」

 どうやら有彦は、とことんしらばっくれる気らしい。
 有彦をからかうのにもそろそろ飽きてきた。
 「いや、って言うか前にこの娘、お前の部屋でにんじん食べてるの見たし」
 「……」
 有彦は黙秘権を行使した。

 さて、どうやってこの悪友を追いつめるか。
 普段、やれ「女癖が悪い」だの、やれ「女の敵」だのと言いたい放題言われている志貴にとって、やっと巡ってきた反撃のチャンスである。
 この機会は大切にしたい。
 「あの〜」
 「ん?」
 有彦がそっぽを向き、志貴がそれに対する攻撃方法を練っていると、少女から声をかけられた。
 「俺?」
 「はい、そうです。志貴さん……ですよね?」
 「そうだけど……。どこかで会ったっけ」
 「なんだ遠野、おまえななこにまで手を」
 「ほう。名前は「ななこ」ちゃんで、しかもすでに呼び捨てですか。ほー」
 「ぐっ」
 不用意に口を挟んできた有彦に、容赦の無いツッコミを入れる。有彦撃沈。
 「あのー……」
 「あ、ごめん。で、なんだっけ?」
 「あ、いえ。その節はどうも、悪逆非道なマスターの命令とは言っても迷惑をおかけしまして、申し訳ありませんでした。」
 「あ、これはどうも」
 有彦に潰されながらも、そんなことはまるで気にしていないかのように明るく微笑み、器用に−さすがに首だけだったがーお辞儀してきた。
 それにつられて挨拶を返す。
 なんだかほのぼのとした空気。
 「……」
 「……」
 「誰だっけ?」
 少し考えてみたが、全く思い出せない。
 以前、レンの夢の中でちょこっと見かけただけのはずだ。
 「ああ、この姿でご挨拶してませんでしたね。第七聖典の聖霊で、セブンです」
 「……はい?」
 「ああ、私『セブン』って名前はあんまり好きじゃないんで、『ななこ』って呼んでくれると嬉しいです」
 「いや、それはいいんだけど」
 「『セブン』って名前はマスターがつけてくれたんんですけど、なんだか女の子らしくないですよね。こう見えてもわたし、生前はユニコーンにささげられるほど清らかな娘さんだったので、もうちょっとマシな名前が欲しくて」
 「そうじゃなくて」
 「まあ、『ななこ』っていうのもそのまんまでセンスが感じられませんけど、有彦さんが無い頭振り絞って考えてくれた名前だし、無下にするのも可哀相なので使ってやろうかと」
 「黙れバカ馬」

 どごす。

 まるでマシンガンのような勢いで話しつづける少女―ななこの脳天に、復活した有彦の鉄拳が降り注いだ。
 「あうー。痛いですよ有彦さん」
 「お前がくそ生意気なことをほざきやがるからだ」
 「まあ、痴話喧嘩はあとでしてもらうとして」
 「なにがかっ!」
 有彦が抗議の声を上げるが、とりあえず無視する。
 「で、えーと……ななこちゃんだっけ?」
 「はい」
 「さっき、第七聖典がどうとか」
 「はい、第七聖典の聖霊です。いつぞやは、マスターのヒステリーで魂うち滅ぼしそうになっちゃいまして」
 いや、そこで「てへ」って感じで舌出されても。
 死ぬどころか輪廻転生すら不可能になるところだったし。
 「……お前ら、知り合いだったのか?」
 「ええ。以前マスターの命令でこの人をざくーっと」
 「有彦」
 有彦の問いに応えるななこの口をふさぎながら言う。
 「俺は、お前とこの娘の関係は一切聞かないし、調べることもしない」
 「ほう。つまり俺もお前とその『マスター』の関係について聞くな、と」
 「うむ、その通りだ親友」
 「はっはっは。やっぱり他人のプライバシー侵害しちゃいかんよな」
 「はっはっは。ましてやそれを吹聴するなんてもっての外だよな」
 「はっはっは。人として当然だよな」
 「はっはっはっはっは」
 「はっはっはっはっは」
 「うわー、二人とも、馬鹿みたいですねー」

 がごす。

 今度は、志貴と有彦二人のパンチが同時にめり込んだ。
 「はうー。二人ともなにするんですかー」
 「馬鹿に馬鹿言われとうないわっ!」

 抗議の声をあげるななこに対して、有彦が叫ぶ。
 まるで長年連れ添った漫才コンビのようなツッコミ。
 『やっぱり、凄く仲がいいじゃないか』
 そんなことを思いつつ、気になったことを聞いてみる。
 「で、あの、えーと……『本体』って言えばいいのかな?あの第七聖典は?」
 「ああ、それがですねえ」
 聞いてから「しまったか?」とか思って有彦のほうを見るが、有彦も聞きたそうなそぶりを見せている。
 「ん?ああ。あの物騒な鉄の固まりだろ?それぐらいは知ってるから安心しろ」
 こっちの視線に対し、有彦は端的にそう応える。
 さすが親友、以心伝心ってやつだろうか。
 「まず、マスターが『魔術儀式でセブンの物理的な介入能力を増したら攻撃力は飛躍的に上昇するはずですっ!!』とか言って儀式を行ったんです」
 ああ、その姿が容易に想像できる。
 怪しげな魔法陣の前で邪悪な笑いを浮かべながら黒魔術の儀式を行う先輩。
 怖いぐらい似合っている。
 仮にも教会の人間のはずなのに、いいんだろうか。
 「で、まず山羊の頭とイモリの」
 「あ、儀式の描写は要らないから」
 「ちっ」
 なんだかとってもグロテスクな描写を始めそうになったななこを止めると、舌打ちで返された。
 「で、儀式の結果、わたしは物理的に介入できるようになったんです」
 「……はあ」
 「それで、俺がこうやってお前をおさえることができるわけか」
 「そうです。有彦さんが男の力に物を言わせてわたしを押さえつけていても、抗うことすらできない体になっちゃったんです」
 「人聞きの悪いことを言うなっ!!」
 また夫婦漫才を始める二人。
 面白いんだが、話が進まないのでななこに問い掛ける。
 「……で、どうしてななこちゃんはここに?」
 「はい。計算通りわたしの物理的な介入能力は増したんですけど、マスターってお尻と魔力だけは大きい人なんですよ」
 「……で?」
 「で、大きいくせにコントロールするのが苦手な人なんで、たまに魔力が暴走気味になっっちゃうことがあるんです」
 ……なんとなくオチが読めた。
 「あ、志貴さん『わかったっ!』って顔をしてますね?多分その通りです。マスターが儀式に魔力を注ぎすぎて、想定以上にわたしが物理的な介入力が増しちゃったんです」
 「つまり、お前はその『マスター』の予想以上に実体化してしまった、と」
 「うわ、有彦さん今の話理解できたんですか。驚くべきことですねー」

 ぐしゃ

 またなんだか鈍い音がしたけど、気にせず話を進める。
 「大体予想はついたんだけど、要するに」
 「はい。実体化しすぎちゃって、第七聖典本体に戻れなくなっちゃったんです」
 「……」
 「……」
 ある程度予想していたとはいえ、実際に聞かされて反応に困る志貴と有彦。
 「じゃあ、もう第七聖典は使えなくなったわけ?」
 「いいえ、一応使えるっぽいですよ?マスターは「幸い霊力のリンクは途絶えていないようです」とか言ってましたけど」
 いや、いっそ使えなくなってくれたほうが助かる気もするんだが。
 特に志貴の命。
 「で、結局その儀式とやらに失敗したマスターに、『もうお前に用はない』とか言われてうちに送られてきたのか?」
 「まさかー、いくらマスターの性格がねじくれ曲がっていても、そこまでひどくはないですよー」
 続けて有彦の問いに、手(?)をぱたぱたと振りながら応えるななこ。
 「実体化して始めて知ったんですけど、生きてるとお腹って減るんですよ」
 「まあ当然だわな」
 「で、お腹が減るとご飯が食べたくなるんですよ」
 そこまで聞くと、有彦は無言で立ちあがって家の奥に向かう。
 やっと有彦から解放され、ななこが関節をコキコキ言わせながら「あー、重たかったですー」とか言っていると、奥のほうで何やらゴソゴソやったあとに戻ってきた。
 その手にダンボール箱とガムテープを携えて。
 「有彦さん、何を持ってるんですかっ!!!」
 「やかましいっ!今すぐ梱包しなおして送り返してやるわあっ!!!」
 「まだ事情を聞いてもいないじゃないですかー!」
 「聞かんでもわかるわっ!!!」
 志貴の前でそんな争いが繰り広げられる。
 「えーと。俺には話が見えないんだけど」
 「あ、ごめんなさい」

 カポォン!!

 なんだか、すっごい景気のいい音を立てて有彦が吹っ飛んで、壁に激突するとそのまま動かなくなった。
 ななこの蹄キックをもろに食らったらしい。
 「……大丈夫か?あれ」
 「ああ。前も何回か喰らっているから、慣れてるはずですよ?」
 そういう問題じゃ無い気もするけれど、とりあえず納得しておくことにする。
 さっきから全然話進んでないし。
 「それじゃ、話の続きを」
 「あ、はい。えーと、とりあえず『実体を持っちゃったんでお腹が空く』って話はしましたよね」

 「うん。それで?」
 「はい。まあそんなわけで私は実体を持っちゃったんですけど、精神的には特に影響はなくて、食べ物の好き嫌いとかは全然変わらなかったんです」
 「……ニンジン?」
 「うわ、当りです。さすが、『普段は鈍感なくせに、無駄な時に妙に鋭くなる』とか言われてるだけはありますね」
 「……それは、有彦が?」
 「いえ、マスターが言ってました。ため息つきながら」
 ……返す言葉も無い。
 「あと、『おとなしい顔をして何又かければ気が済むのやら』とか『趣味がマニアック』やら『中学生はおろか幼女まで』」
 「……すいません。話をそろそろ戻していただけないでしょうか」
 とりあえず、今度の休みに先輩をメシアンにでも連れて行こうと決意しつつ、嘆願する。
 「あ、そうですね。それで、実体化歴が短い私の体はすぐにお腹が空くらしくて、ご飯はたくさん食べたくなっちゃうんですよ」
 「……ニンジンを?」
 「はい、ニンジンです。っていうか、志貴さん来てない時のあの家の食事はカレーしかありませんから」
 「で、思わずカレー用のニンジンを食べ尽くして先輩に追い出された、と」
 「うわ、また当りです。さすが『女性が困っているとすぐに察知して』」
 「ごめんなさい。もう勘弁して下さい」
 涙が出てきた。
 「と、まあそういうわけで。これからよろしくおねがいします」
 「あ、こりゃどうも」
 深々とお辞儀をしてくるななこにつられて、思わずお辞儀を返す。
 「お願いされるかあっ!!」
 「お願いしますー!もうマスターのとこには戻れないんですよー!!」
 やっと復活してきた有彦に対し、泣き付くななこ。
 やっぱり凄く息が合ってるぞこの二人。
 「マスター、今回はいつにも増して怒り狂ってて、箱詰めに抵抗する私に第七聖典を五発も打ち込んだんですよ!?五発も」
 「いや、っていうかなんで無事?」
 「ほら。フグは自分の毒で死んだりしませんから」
 そういうもんなのか?
 まあ、さておきそう言われてまじまじと見てみると、ななこの服は所々破れている。
 破れたところから白い肌が見えてちょっぴり挑発的。
 「あー、もういいや。とりあえず着替えてこい」
 「あ、有彦さん照れてますね?だめですよ欲情しちゃ」
 「誰が蹄付きの生物に欲情するかっ!!!」
 いや、本当にいいコンビだと思う。
 「でも、わたし着替え持ってませんよ?着替えなんか持ってないですし」
 「とりあえずその辺の服勝手に着とけ」
 「えー、有彦さんの服って汗臭そうだしー」
 「姉貴の服でも着てろっ!!!!」
 「怒ってばかりじゃ駄目ですよ有彦さん。ちゃんとカルシウム」

 ぶちん。

 あ、切れた。
 「ぐだぐだ言ってないでとっとと着替えろこの馬があっ!!」
 「きゃー」
 血管が切れそうな勢いで怒る有彦の顔を見て、ななこはなんだか楽しそうに奥のほうへ走っていった。
 速い速い。四つの蹄と馬しっぽは伊達じゃない。
 ぱからっぱからっと軽快な音を立てて走り去った。
 どうでもいいが、やっぱり全力疾走する時は四本足になるらしい。
 「ぜはー、ぜはー、ぜはー。あ、あのバカ馬……」
 「楽しそうだな」
 「……お前の気持ちがちょっとだけわかった気がする」
 そう言って有彦は崩れ落ちた。


 チッ、チッ、チッ……
 ななこが奥のほう(おそらく一子さんの部屋)のほうに走り去ったあと、二人はなんとなく二階の有彦の部屋に戻る気もわかず、一階の居間にいた。
 一応テレビはついていて二人で正月番組を眺めているのだが、内容はちっとも頭に入ってこなかった。
 壁にかかっている時計の秒針が刻む音だけが妙に響いて聞こえる。
 お互い聞きたいことは山ほどあるのだが、どちらも口を開こうとはせずに、みょうに緊迫した空気をかもしだしていた。
 お互い隠し事をしているので、下手な話題は振れない。
 『先に口を開いたほうが負け』
 まさにそんな感じである。

 「おまたせしましたー」
 そんな緊迫した空気なんぞ気にすることも無い、能天気な声が扉の向こうから聞こえてきた。
 「おう。入っていいぞ」
 緊迫した雰囲気はそのままで、有彦がそう告げる。
 「はーい。失礼しまーす」
 そういってななこは蹄になっている両手(前足?)で器用にノブを回して扉を開ける。
 「一子さんの服、ちょっと丈があいませんでした」
 そんな事を言いながら入ってくるななこ。
 上は一子さんが良く着ているYシャツ。
 確かにななこが言うようにサイズは大き目で、袖もかなり余っている。
 そして、下は蹄。
 ではなく、生足。
 じゃなくて、Yシャツが大きいので裾に隠れて何も見えない。
 いや、もっと違くて。




 ……まあ、つまり。
 上はYシャツで下は何も履いてなかった。
 『……今年は当たり年か』
 そんな訳の分からないことを考えつつ有彦のほうを見てみると、ものの見事に固まっていた。
 どうやら、今の状況を把握しきれてないらしい。
 「いや、有彦さんの服は汗臭そうでしたけど、一子さんの服も煙草臭いんですよー」
 ななこはそんなことを言ってたりするが、有彦の反応はない。
 「有彦さん?」
 さすがに有彦の様子がおかしいことに気づいたのか、ななこはとてとてと近づいていく。
 「おーい。生きてますかー」
 有彦の目の前で蹄を振るが、反応はない。
 「どうしたんですか?」
 「ああ。現実に脳が追いついてないだけだから大丈夫。しばらくすれば復活するよ」
 「はあ。志貴さんは大丈夫なんですか?」
 「俺はほら。最近異常な出来事が多いから、ちょっとやそっとじゃここまでは」
 「さすがですねー。やっぱり頭悪い人は脳の働きもはうっ!」
 最後まで喋ることなく、ななこは有彦の右ストレートで吹き飛んだ。
 「はうー。痛いですー」
 「人がおとなしくしてると思って好き勝手言うなっ!」
 「いや、あくまで厳然たる事実をはわっ!」
 続けて有彦の左フック。
 あまりの状況に手加減をいまいち忘れてるっぽい。
 「ブレイク、ブレイク」
 なおも追撃に入ろうとした有彦を押さえ、そう告げるとやっと落ち着く。
 とりあえず目から攻撃色が無くなったことを確認して、有彦から離れる。
 「で、なんだその格好は」
 「裸Yシャツです」
 「いや、そうでなく」
 「だって一子さんのタンスって、Yシャツしかありませんでしたよ?」
 「いや、それは知ってるがズボンとか」
 「試したんですけど、履けなかったんです」
 そう言ってななこは自分の足元を見る。
 それにつられて志貴と有彦もななこの足元を見る。
 そして納得。
 まあ、世間のズボン職人さんも蹄持ちの娘が履くズボンなんぞ開発するまい。
 「と、いうわけで裸Yシャツです」
 まあ、良く考えてみたら一子さんはYシャツとズボンでいつも生活してるし。
 前にそのことを聞いたら「馬鹿にするな有間。ドレスもあるぞ」とおっしゃっておられたが。
 まあ、どっちにしろ蹄付きの手が通るドレスもあるまい。
 「と、いうわけで理論的に考えても当然の結果なのですよ」
 えっへんと胸を張るななこ。
 っていうか、よく見たら前のボタンはされてなくて結構大変なことに。
 「えーと。とりあえずもういいから、さっきの服に着替えなおせ」
 「えー。なんでですか?楽なのに」
 「いや、いいから」
 「えー。なんでですかー?」
 何だか困った顔をしつつも比較的まともな服に着替えさせようとする有彦と、それを嫌がるななこ。
 こういう状況は端から見ている分には面白いことを今発見した。
 いや、そう言う状況に立つのが嫌かと言われたらコメントに困るのだが。
 「つか、どこで『裸Yシャツ』なんて単語覚えた」
 「マスターが『男の人は裸Yシャツに弱いんですっ!』と言ってました」
 「いや、それは一概にそうとは」
 「えー、でも志貴さんは裸Yシャツなマスターを見て、興奮のあまり前では飽きたらず後ろ」

 どがああっ!!!

 七夜の血、発動。
 ノーモーションで跳躍し、ななこに対して容赦の無いジャンプキック(しかもインパクトの瞬間に捻りつき)
 聖霊と言っても人外の範疇には入るらしく、体はいつになく良く動いた。
 「あうー。志貴さんまでひどいですよー」
 「五月蝿い黙れ」
 まだ七夜の影響から完全に脱しきれてはいないので反論に容赦はない。
 「っていうか遠野」
 「ん?」
 「前では飽きたらず後ろって」
 「あ、もうこんな時間だ。帰らないと秋葉に怒られる」
 「ちょっと待て」
 「じゃっ!」
 さわやかに歯を光らせながら微笑み、去る。
 「いや、待てってば」
 去るの失敗。
 「帰せっ!帰らせろっ!」
 「こんな状況に俺一人ほっぽって行く気かっ!!」
 ぽん。
 志貴は親友の肩に手を置き、言った。
 「据膳食わぬは男の恥」
 そして去る。
 「ちょっと待て遠野っ!」
 「あの、私一応始めてなので初めから後ろはちょっと……」

 ……時が止まった。
 ななこは部屋の中でちょっぴり顔を赤らめたりしていた。

 「誰が襲うかっ!!」

 がごす。
 前の瞬間まで目の前にいた有彦が、瞬時にななこの前に移動して容赦の無いラビットパンチ。
 有彦も段々に人間離れした動きをするようになってきた。
 「はうー、ひどいですよ有彦さん」
 「だから、俺はケモノに欲情する趣味はないっ!」
 「有彦さん。素直にならないと体に良くないですよ?」
 「だ、か、ら。お、れ、は、の、お、ま、る、だ!」
 一言一言はっきりと発音しながらななこの胸座を掴み、ゆさぶる有彦。
 「はわ。あ、有彦さん。そ、そんなに、ゆすられたら」
 「いいからお前は黙っておとなしくしてろっ!」
 「いや、ですから」

 ぺろ。

 そんな音が聞こえた気がした。
 まあ、当然の話である。
 大き目のYシャツを、しかもボタンを全然留めてないYシャツの襟口を掴み、ぶんぶんと力任せに揺さぶるとどうなるか。
 Yシャツは有彦の手によって固定され、ななこの体はYシャツごとゆさ振られる形になる。
 そして慣性の法則によって、そもそもサイズが合ってなかったYシャツからななこの体がはみ出る。

 まあ、ひとことで言うと、脱げた。
 見事に脱げた。
 しかも下着を着ていなかったので見事に丸見え。


 「有彦。とりあえずするなら自分の部屋でやってくれ」
 「「おわっ!!」」
 突然、予期しない方向から声をかけられて驚く志貴と有彦。
 その声をしたほうを見ると、まあ予想通りと言えば予想通りなんだが、一子さんがいた。
 「あ、姉貴。いつ帰ってきたんだ?」
 「ついさっきだが」
 「えーと」
 「具体的にいうとお前が劣情に押し流されてななこのシャツを剥ぎ取ったあたり」
 「あ、姉貴。あのな」
 有彦が何か言い訳をしようとするが、完全に無視。
 「まあ、仮にも私の弟が犯罪者になろうとしてるのなら骨の一二本へし折ってでも止めるんだが……」
 そう言ってななこのほうを見る。
 ななこは顔を赤くして、なんだかもじもじしていた。
 「まあ、合意なら邪魔する理由も無い」
 それだけ言って、一子さんは奥の部屋に向かう。
 「あ、姉貴。俺の話を」
 「ほら、有間も。出歯亀してないでとっとと帰れ」
 「あ、そうですね」
 「ちょっと待て遠野!お前も」
 「お邪魔しましたー」
 志貴、やけに手際よく退出。
 「こらぁぁぁぁぁっ!!!」
 「あ、そうだ有彦」
 「え?」
 「人のYシャツ使って特殊な趣味を満足させるのはいいが、へんなシミつけるなよ?落ちにくいんだから」
 「変なシミって何だあっっ!!!!」
 有彦の絶叫をよそに、居間の扉は閉められた。
 部屋の中には有彦と半裸のななこ。
 「……」
 「……」
 「……」
 「……」
 「優しくして下さいね」
 「違ううぅぅぅっっ!!!!」
 乾家に、有彦の絶叫が響き渡った。





後書きとおぼしきもの

と、いうことで正月SS第二段です。
……とりあえず、今日が何日かは気にしないってことで。
このSS、各地の月姫サイトにななこの絵が飾られてるのを見て、「午年っていうとやっぱりななこか」と思って急遽書くのが決定したSSだったりします。
んで、なんか途中で見事に停滞してこんな時期に。うー。

まあ、なんだかオチがいまいちな気もするんで、改訂するかも知れません。オチだけ。
以上、次回作は一応他作品とのクロスオーバーもの(と、言うほどたいそうなものでも無いけど)にしようと思ってる右近でした。

2002.01.25 右近