寄せてあげるは女の英知の話

「それは遠野くんが悪いです」
「はあ」
 俺は今、先輩にお説教されていた。
「秋葉さんがいつも悩んでいることは遠野くんも知らないわけではないでしょうに」
 しかも、珍しいことに先輩が秋葉の弁護をしていた。
「全く、どうしてこういう時ばかり女心がわからなくなるんですか」
「いや、俺は秋葉に楽にして欲しかっただけで」
「それが間違いなんです。今日ばかりは秋葉さんの味方をさせてもらいます」
 なんで俺が先輩の家で正座しながらお説教されているのかというと。
 話は数時間前にさかのぼる。



 俺は、休みだけど特に予定も無かったので家でゆっくりとしていた。
 リビングでのんびりとお茶をすする。
 向かい側の椅子には秋葉が座り、文庫本を読みながら優雅に紅茶を楽しんでいた。
 俺が見ていることに気付くと、秋葉はにこやかに微笑み、こっちを見る。
「何かご用ですか? 兄さん」
「あ、いや。なんでもないんだ」
「くすっ。変な兄さん」
 そう言ってまた本に目を落とす。
 思わず『何でもない』などと誤魔化してしまったが、言わなければいけないことはあるのだ。
 兄として、妹に言うべき事はある。
「秋葉」
「何ですか?」
 明るい笑顔を向ける妹にこんな事を言うのは気が引けるのだが。

「無理して補正下着とかつけない方がいいぞ?」

 死ぬかと思った。
 魔眼を金色に輝かせたアルクェイドだって、あんな殺気は出せないに違いない。
 自分に七夜の血が流れておらず、幼い頃に訓練を施されていなかったら今頃この世にはいなかっただろう。
 ありがとう。思い出すら残っていない俺の父さん。
 まあさておき、そんなわけでなんとかシエル先輩の家まで逃げてきて、今に至るわけである。



「全く。何でそういうことばかり目ざといんですか」
「いや、琥珀さんが教えてくれて……」
「それはいいとしても、秋葉さんにそんな話をしたら激怒するのがわからないわけじゃないでしょう?」
「うん。でも……」
「でも、なんです?」
「補正ブラなんかつけて、これ以上育たないとさすがに可哀想かと」
 俺がそういうと、先輩はやれやれと言った感じで肩を竦め、話し始めた。
「まあ、男の人なんだから誤解してもしょうがないですが。別にブラは押さえつけるものではありませんよ?」
「そうなんですか?」
「ええ。どちらかと言うと『形を整える』ためのものですね。美しく見せたいと言うのもありますが、ちゃんとしてないと動き回る時に不便ですし」
「ほうほう」
「シエルも大変なんだねえ」
「まあ、女性として生まれた以上、いかんともし難い悩みではありますね」
「妹ぐらい小さいと悩まなくて済みそうだけどねー」
「それを言うなって。俺、それで怒られて逃げてきたんだから」
「秋葉さんの気持ちも分かりますけどねえ」
「わたしにはわかんないなー」
「……」
「……」
「あれ、どうしたの?」

 ぼすぅっ!!

 ノーモーションから情け容赦の無いレバーブロー。
「な、何するのよこのばかシエル!」
「それはこっちの台詞です! なんであなたがここにいやがるんですか!」
「いや、志貴探してきてみたら面白そうな話してるもんだから」
 アルクェイドはいつものとおり、あっけらかんとそう言った。
「入口にはちゃんと鍵を閉めておいたはずですが」
「ちっちっち。ピッキングは今日びのヒロインの必須事項なんだよ?」
「……なんだその聞いたことも無いような理論は」
「え? だって琥珀が」
 やっぱりか。
「……まあいいです。簡単にピッキングできるような鍵をしていたのは私の不注意ですし」
「じゃあ、さっきの話のつづき聞かせて」
「さっきの話?」
「うん。『形を整える』とかどうとか」
「……ああ、下着の話ですか?」
「そんな話聞いてどうするんですか?」
「うん。わたし、下着ってつけたことないから」





「はい?」
「下は掃いてるけど、胸はほら、服着ると隠れるじゃない。だからいらないかなーって」

 ……のーぶら。
 今着ている服を一枚脱ぐと、そのすぐ下にはなまちち。
「遠野くん!遠野くん!」
「あ、ああ。ごめんごめん」
「どしたの志貴?」
「いや、何でもないから気にするな」
 まさか服の下を妄想してたとは言えない。
「でも、さっきも言った通り下着をしていないと、胸の形が崩れますよ? まあ、あなたの胸がみっともなくなって遠野くんに嫌われれば万々歳ですが」
「大丈夫」
「何がです?」
「わたし、年取らないから」
「……何が言いたいんですか?」
「いや、シエルは年取って胸垂れてきたかもしれないけどわたしは」

 ザクザウザクザウザクザクッ!!!!!

「な、何するのよ!」
「誰が歳をとったと言うんですか、こんな現役高校生を捕まえて!」
「シエルみたいなのを『なんちゃって高校生』って言うらしいよ?」
「消えてなくなれぇっ!!!!!」





「で、兄さんはいつのまにか居なくなったと思ったら、シエルさんの家にいて大怪我して帰ってきたわけですか」
「……面目ない」
「でも珍しいですねえ。志貴さん、普段あの二人が戦い始めたらすぐに逃げるじゃないですか」
「いや、今日はちょっとね」
……まさか言えまい。
 縦横無尽に暴れまわるアルクェイドの胸をじっと見てて逃げ遅れたなんて。
 だってそう言われてみるとのーぶらだから跳び回るたびにほら。

「まあ、自業自得でしょう。しっかり養生して早く回復して下さい」
「うん。申し訳ない」
「お礼なんて結構ですから。じゃあ琥珀、あとはよろしくね」
「はい、かしこまりました」
 そう言うと秋葉はドアを開け、部屋を出て行く。
「あ、そうそう」
「ん?」
「今朝の件は怪我が治るまで保留とさせていただきますので」
「……秋葉?」
「琥珀、兄さんのことを頼むわよ」
「お任せ下さい」




 遠野志貴の受難はまだ続くっぽい。

初出:2002.11.20  右近