赤桃緑青、そして黒

 ローゼンメイデン。
 伝説の人形師ローゼンに生み出された、人形と言うには余りに精巧すぎる人形たち。
 彼女たちは確かに人形であるが、一度ゼンマイを巻かれれば、ゼンマイが切れるまで自分の意思で動き続ける。
 そして動き出した彼女たちは戦いを始める。
 彼女たちはそれぞれが『ミーディアム』と呼ばれるパートナーと契約を結び、その戦い――アリスゲームを戦い抜く。
 完全なる乙女『アリス』となるために。
 自分たちの産みの親、ローゼンに再び会うために。

「私は必ずアリスに、アリスになって、お父様の、完璧な人形に……。お父様……」

 それはアリスゲームで起きた一つの戦いの結末。
 一人の人形が戦いに敗れ、一人の人形と一人の人間が勝利を掴み取った。
 ドールズたちの戦いの歴史、アリスゲームのほんのひとコマ。
 そしてこれから語られるのは、その少し後のお話。



 人知らぬところで行われたドールズたちの戦い、アリスゲーム。
 その熾烈な戦いから数日たった今、ドールズ五人によって行われた戦いを生き抜いた気高き薔薇乙女たちがどうしているのかというと。



 騒いでいた。
「わーい、お花畑なのー」
「何度言われても同じことですぅ。今日という今日はあのおじじにはウンザリですぅ!」
「確かにお爺さんも悪かったかもしれないけど、元はといえば翠星石が悪いんじゃないか」
「騒がしいわね。もう少し静かに出来ないものかしら」
 数週間前まではこの部屋の主だったって言うか今現在だってこの部屋の主であるはずの桜田ジュンが全てから目を逸らして久しぶりに怪しげな通販サイト巡回などしてる横で、どんな花よりも気高くどんな宝石よりも無垢なはずのドールズたちは、これでもかといわんばかりに騒いでいた。
 ふと気づくと人間より人形の方が多いこの人口密度ってどうよと言うかそもそも問題はそんな異常な環境に慣れつつある自分こそが恐ろしい。
 そんなわけで桜田ジュンはネットの世界に没頭する。
「ジュン」
 しかしそれすらも許されなかった。
 ディスプレイにはいかにもな背景の上に『あのお菊人形を完全再現!』とか書いてあって、日ごろのストレスを解消する意味でも『購入する』ボタンを押したかったんだけれど、それは許されないらしい。
「ジュン、騒がしいわ。何とかなさい」
「なんで僕が」
 一応そう反論してみるものの、無論そんなものが受け入れられるわけはない。
 でもしないわけにはいかない。
 だって人間なんだから。人間は人形より偉いはずなんだから。
「いいから早くして!」
 偉いはずなんだけど。
 一般的には偉いはずなんだけど、少なくともこの桜田家においてはその法則は適用されないらしい。
 とりあえず、ジュンが目の前でぷりぷり怒る真紅に逆らえないことだけは間違いない。
「なーに、真紅。またジュンに無理言ってるの?」
「まったく毎日毎日同じようなことを。よく飽きないもんですぅ」
「翠星石も毎日毎日家出するのやめようよ……」
「そうよ。薔薇乙女ならばもっと淑やかでいなければ。そんなことではアリスゲームの舞台に上る資格すらないわね」
 ついでに言うと、他の人形にも強く出れないあたりどうかと思う。
 しかもさりげなくフォローされてるのは人としてどうか。
 まあフォローされて真紅が態度を改めるのかというとそんなことは全くなく、むしろより一層声を荒げる。
「五月蝿いというか貴女にだけは言われたくないわっ!」
そしてその細く美しい指でびしっと指差す。彼女が不機嫌であることの元凶を。
「水銀燈!」
 そう、そこにいるのは水銀燈、黒い羽と銀の髪を持つローゼンメイデンの第一ドール。
 彼女はジュンの目の前に優雅に座り、いつもと変わらぬ笑顔を浮かべていた。





 空は快晴、風はそよ風、季節は春真っ盛り。
 春は出会いの季節とか、新生活シーズンとかテレビのCMでよく聞くけど。
「第一貴女がどうしてここにいるの」
「あら、この部屋の主でも無い貴女にそんなこと聞かれる筋合いは無いわね」
「確かにこの部屋はジュンの部屋かもしれないけれど、ジュンは私の家来よ。家来のものは私のものなのだから、つまりこの部屋も私のものということ」
 こんな出会いや新生活は要らない。
 ちなみに言い争う真紅と水銀燈から目を逸らして振り返ってみると。
「二人とも、またやってるの」
「昔から二人とも仲悪かったからね」
「よくもまあ飽きないもんですぅ」
 残る三人――雛苺と蒼星石と翠星石は既に観戦モードだった。
 お茶まで用意されていた。
 どう贔屓目にみても止める気は無いっぽい。
 そして、当然のごとく僕の目の前で言い争う二人も止まる気は無い。
「ジュン! 貴方からも言ってやりなさい!」
「うえっ!?」
 しかも巻き込まれた。
「そんな潰れた蛙のような声を出していないで。貴方の部屋に部外者が入り込んでいるの だから、それに対応するのが貴方の役目でしょう?」
「いや、それを言うなら毎回欠かさずガラスをぶち破って突入してくる翠星石の方が」
「う、五月蝿いですこのメガネ! 毎回しっかり直してるんだから文句を言われる筋合いなんざありゃしないですぅ」
「いや、毎回直してるのは僕なんだけど」
「蒼星石も大変なのね」
「そ、そんな細かいことなどどうでもいいのです。今はこのチビ人間がふがいないと言う話をしているのであって」
 矛先を逸らそうと思ったけど失敗した。
 このまま続けてると真紅vs.水銀燈に加えて翠星石vs.蒼星石のダブルタイトルマッチを見られそうな気がしてきたけど、そんな物は見たくない。
 僕はただ静かな日常を取り戻したいだけなんだ。
 心底面倒な上に関わりたくないのだけれど、しょうがないので真紅の言う通り水銀燈に声をかけてみることにする。
「えーと、水銀燈」
「何かしら」
 声をかけると、水銀燈は思いのほか素直にこっちを向いてくれた。
 真紅との口喧嘩なんかどうでもいいとでも言うかのように。
 いや真紅。お前の言う通りにしたのにどうしてそこでいかにも不機嫌そうに僕を睨むのか。
 ともあれ、素直に話を聞いてくれるんならそれにこしたことは無い。
 少し恐る恐る言葉を選びつつ、質問を続ける。
「お前、なんでウチにいるんだ?」
「そうね。雛苺と同じ、ということではどうかしら?」
「ふぇ?」
 また素直に答える水銀燈の言葉を聞いて反射的に雛苺の方を見ると、当の雛苺はポッキーを両手で持って食べようとしているところだった。
 しかも今まさに口をあけてかぶりつこうとしていたところだった。
 じっと見られてちょっと困ったような顔をしていたけれど、結局食べた。
 そして幸せそうな顔。
「……おやつをたかりに来たと?」
「違うわよっ!」
 真紅の突っ込みに、水銀燈が始めて声を荒げた。
 でもそれも一瞬。
 水銀燈はいつものような冷静な表情に戻り、言葉を続ける。
「口惜しいけれど、私はアリスゲームに敗北した。だから勝者の下にいる。ただそれだけのことよ」
 ああ、そういえば雛苺って真紅に負けたからうちにいるんだっけ。
 あまりに自然に居ついているので、もうその理由とか経緯とかすっかり忘れてた。
 まあさておき、これで疑問は解けた。
 それがアリスゲームのルールなのか、自らに課したルールなのかはわからないが、水銀燈はここにいる理由を答えた。
 理由がわかったからか、真紅もさっきよりは若干落ち着いた表情で一つ息をついて声をかける。
「貴女なんて要らないわ。何処へなりとも失せなさい」
 落ち着いて冷静沈着に欠片ほどの容赦もなくそう言った。
「ごきげんよう、水銀燈。もうあなたに会うことはないと思うけれど、余計なちょっかいを出してきさえしなければそのローザミスティカは奪わないでおいてあげるわ。せいぜい静かに過ごすことね」
 真紅は立ち上がり、優雅にそのスカートの両端をつまんでぺこりと礼をしながらそう告げる。
 そこまで言われた水銀燈はと言うと、
「何を言っているのかしら。貴女にそんなこと言われる筋合いは無いわ」
 いつものように小馬鹿にしたような笑みを浮かべて、真紅を見下ろしていた。
 えーと、ちょっと待て。なんだか話がつながってない気がするんだけど。
 水銀燈はアリスゲームに負けたからここにいるわけで、それはつまり勝者に従うとかそういう意志の表れだという話じゃなかっただろうか。
 わからない。
 それは真紅にとっても同じことらしく、一瞬面食らったあとに苛立ちすら露にして言葉を続ける。
「勝者の言葉に従えないと?」
「いいえ、私は確かに勝者に従うためにここにいるわ。勝者の言葉に背くことなんてありえない」
「だったら私の――」
 真紅も水銀燈の言っていることが理解できないらしく、苛立たしげに声を荒げる。
 でもそれを遮って言った次の台詞は、今までにも増して意味がわからなかった。
「何を言ってるのかしら、真紅。私は貴女に負けたつもりはなんて全く無いんだけど」
 本当に意味がわからなかった。
 僕は当然として、真紅も水銀燈が何を言いたいのか理解できないようで、さすがに言葉を失っている。
 そんな僕らをみて水銀燈はまた楽しそうに笑って言葉を続ける。
「私はあの時、翠星石と蒼星石、そして雛苺には勝ったわ。多少苦戦したことは認めるけれど、それでも間違いなくそこの三人には勝った」
 そう言ってもう完全に午後のお茶会モードに入っていた三人を指差す。
 三人は何か言い返そうとしたけれど、それよりも早く何とか復活した真紅が口を開く。
「だけど貴方は私に負けたじゃない」
 紛れも無い真実を突きつけるために。
 確かにあの三人と戦って水銀燈は勝ったけど、最後は負けた。だからここにいる。
 それは水銀燈が自分で言った通り、紛れも無い真実で。
 だというのに、それでも水銀燈は変わらず笑顔を浮かべて言葉を続ける。
「いえ、私が負けを認めたのは」
 そして黒い羽をなびかせて机の上に降りて、すたすたと歩き。
「この人間によ」
 僕の目の前に立って、水銀燈はまるで当然のようにそう言った。
「うぇっ!?」
 僕は驚いた。
 真紅も驚いた。
 他三人も無論驚いた。
 そんな僕らを見て水銀燈は満足そうに微笑む。
「何を驚いているのかしら。私に壊された腕を元通り直したのも、私の渾身の攻撃を防ぎきったのも、この人間――ジュンの力があってこそでしょう?」
「それは……」
「それに、ジュンはこの私まで直してくれたのよ。にっくき敵である筈の――自分の心を侵した憎い相手のはずの私を。アリスゲームに敗れ、後は炎に焼かれ燃え尽きるしかなかった私の手を取って、その魔法の指で直してくれたから」
 水銀燈は何だかうっとりと歌うようにそんなことを言ってくれていたけど、それを聞いて喜んでる暇はなかった。
 っていうか水銀燈の言葉を聞きつつこっちを睨む真紅の視線が超怖い。
 だってしょうがないじゃないか。
 さすがにあの状況で直さず放っておいたりしたら寝覚めが悪いと言うかなんというか。
 そんなことを思っている間に水銀燈の言葉は終わり、を迎えようとしていた。
「例え誰が相手であろうと、そこまでしてもらった以上恩は返さなければ薔薇乙女の名に傷をつけることになるわ」
 そして水銀燈はくるりとターンして僕のほうを向く。
「ジュン、そういうわけで受けた恩は返させていただくわ」
「いや、別にそんなこと言われても……」
「ほほほ、聞いたわね水銀燈。ジュンは貴女の恩返しなど必要としていないわ。今すぐ何処へなりとも消えなさい」
 僕が言いかけたとたんに勝ち誇った高笑いをあげる真紅。
 前から思ってたんだけど、実はこの二人って似たもの同士なんじゃないだろうか。
「貴女には聞いていないわ、真紅」
「見苦しいわよ水銀燈。ジュンは貴女のようなものに何かされても迷惑だと言っているの」
「いや何もそこまでは」
「お黙りなさい」
 そして当然僕の話なんか聞く気ゼロ。
 僕はやっぱり要らない子なんじゃないだろうか。
 そんなことを考えてると、水銀燈はふぅ、と一つ息をついてその口を開く。
「そう言うことなら、私の目的を果たさせていただくわね」
「目的?」
 半ば反射的にそう問い掛けると、水銀燈は胸を張って堂々と、埃を込めて答えを返す。
「勿論、アリスゲームよ」
 そう。それはローゼンによって作られたドールズたちの存在意義であり、彼女たちの最後の目的。それは何があろうと揺るぎはしない。
 『アリスゲーム』と言う言葉が出ただけで、先ほどまで弛緩していた部屋の空気が一気に張り詰める。
「私が一度負けたことは事実だけれども。ローザミスティカが奪われていないいのだから、私の参加資格は失われていないと言うことでかまわないのでしょう?」
 そう言って水銀燈は挑戦的な笑みを浮かべる。
 それを受けた真紅も冷静な声で答えを返す。
「そうね。今ここで戦うと言うのも無粋な話だし、貴女はせいぜい優秀なミーディアムを見つけて挑んでくることね」
「いいのかしら?」
「ええ、私たちの邪魔をしなければあなたのパートナー探しを邪魔するつもりもないわ」
「それはどうも、お気遣いいただきありがとうございます。皆さんの期待に応えるようなミーディアムを用意させていただきますわ」
「あまり無理しなくてもいいのよ? 分相応と言う言葉があるのだから」
 まさに一触即発と言う感じの、何かきっかけさえあればすぐにでも命をかけた戦いが始まるのではないかと思える空気の中、真紅と水銀燈はそんなやり取りをする。
 そして一呼吸か二呼吸する間か、長く感じたけれど、多分数秒したころに水銀燈は口を開く。
「それでは」
 そう言って水銀燈は僕のほうを向き、
「契約しなさい、ジュン」
 そう言った瞬間真紅の手にあったティーカップが高速かつ一直線に水銀燈に直撃した。
 平たく言うと真紅が水銀燈に投げつけた。
「痛いわね。しかも大事なお茶の道具を投げつけるなんて。薔薇乙女としての自覚はないの?」
「言った先からなにをしているの?」
 真紅、お冠。
 うん。お冠ってのはまさにこういう時に使う表現なんだな、とか軽く思考の世界に意識を飛ばしている間にも争いは続く。
「貴女が言ったんじゃない。『貴女はせいぜい優秀なミーディアムを見つけて挑んでくることね』って」
「どうしてそれがジュンになるの!」
「あんな反則技使える人間なんて他にいないわ。壊れた人形を直すなんて、お父様以外にそんなことの出来る人間なんかこの世界中探しても数人もいないわよ。それに」
 そして水銀燈は僕のほうを振り向き、
「ジュンは、ジャンクになるしかない私を救ってくれた」
 そう言ってとても幸せそうに微笑んで、僕もつられて微笑もうとしたところに凄まじいプレッシャーを感じた。
 どこからかって言うのは今更言うまでも無いと思うけれど一応確認のために言わせて貰うなら、真紅。
 何も言っては来ないけれど、その瞳は口よりも雄弁にものを言っていたっていうか誰がどう見ても不機嫌だった。
 もう描写するのもすっかり忘れてた三人の方からは『修羅場』『二股』『相変わらず優柔不断なダメ人間ですぅ』などといった声がって言うか全部一人が言っていたが。
 絶対いつかぎゃふんといわせてやる.
 しかし今はそれどころじゃない。
「さあ、ジュン。契約を」
「ジュン、貴方は私のミーディアムよね」
 この状況をどうやって打破したらいいものやら、と。
 えーと、とりあえず水銀燈はアリスゲームのために契約相手を探すことにしたらしくて、その相手が僕で、でも僕は……。
「そうだ! 僕はもう真紅と契約しているから水銀燈と契約することは」
「別に出来るわよ。めったに起こりえない出来事だけれども、それが可能か不可能かと問われれば、可能だわ」
 逃げ道は即刻潰された。
 真紅はちょっと怖いので三人の方を見ると、三人ともそれぞれ微妙な表情を見せてはいるけど『出来ない』と否定したりはしない。
 つまりそれは水銀燈の言葉が真実だと言うことで。
「『力』を使われる心配なら、安心していいわ。私は今まで一人で戦いつづけてきたドール。真紅と比べれば気にならない程度の消費量よ」
 さらに逃げ道を一つ一つ潰されて行く。
 恐るべし水銀燈、敵にしてた時から思ってたけど、悪巧みさせたら翠星石だって目じゃないんじゃないだろうか。
「ジュン!」
 とうとう堪忍袋の尾が切れたのか、真紅も立ち上がってそう叫ぶ。
「水銀燈と契約をするつもり? アリスゲームを共に戦う薔薇乙女とそのパートナーとして」
 そして僕の方へとステッキを突きつける。まるで突き刺さんばかりの勢いで。
「いや、その」
「どうなの!?」
「いや、そんなつもりは無いけど……」
「ほらごらんなさい、水銀燈。ジュンにそんなつもりは無いみたいよ」
 僕の答えに満足したのか、真紅は僕の喉元からステッキを引く。
 もしあそこで違う答えをいったらどうなったのかとかそう言うことは考えちゃいけない。絶対に。
「さあ、水銀燈、用が無いのなら早くここから立ち去りなさい」
 まあさておき真紅は容赦なく追撃をかける.
 その攻撃には容赦も遠慮も慈悲もない。
 恐るべし真紅。最初会った時から思ってたんだけど、こいつって一本外れると悪役になれる資質を持ってるんじゃないだろうか。
 って言うがやっぱ似たもの同士だろう、こいつら。
 そう思って今度は水銀燈のほうに目を戻すと……
「真紅」
「まあ、さっきも言った通り貴方のミーディアム探しを邪魔するつもりは無いわ。せいぜい――」
「おい、真紅!」
「……何かしら、ジュン。話の途中なのだけれど」
「いいからちょっと!」
「何よそんなに慌てて……」
 話を遮られ、不機嫌そうな声を出していた真紅も途中で言葉を失った。
 水銀燈を見て。
 真紅と言い争い、僕に契約を迫っていた水銀燈を見て。
 そう、水銀燈は――あの、いつも自信満々で真紅と互角以上に渡り合う黒衣と銀髪のドールは、何も喋ろうとしていなかった。
 ただ俯き、肩をかすかに震わせ、その拳をぎゅっと握り締めていた。
「おい真紅、さすがに言いすぎじゃないのか?」
「な、何よジュン。貴方は水銀燈のかたを持つと言うの?」
「いや、そうじゃないけど……」
 小声でそんなことを言い合うが、状況は何も変わらない。
 それどころか真紅は不機嫌そうにぷいっと顔を逸らして、こっちを見ようともしない。
 言うまでも無く観戦モードの三人は目をそらしている。
 ああくそわかったよこのやろう。
 正直逃げ出したくてたまらないけれど、さすがにこの状況を放置してこの部屋を出るの は後味が悪すぎる。
 僕は椅子から立ち上がると少しかが見込んで、自分の視線を水銀燈の高さににあわせる。
「おい、水銀燈。その……」
 何を言えば言いのかわからないけれど、とりあえず声をかけながらそっと近づく。
 こんな時――自分の気持ちが落ち込んでる時に無神経に声をかけられるのは辛いことだけど、それでも誰にも声をかけられずにいるよりは辛くないはずだから。僕にはそれがわかるから。
 あの時、学校に行くのをやめて引き篭もった僕にいろいろ声をかけてきたのりが鬱陶しいと思ったけれど、きっと誰にも相手にされないよりは救われていたと思うから。
 だから僕はそっと水銀燈に近づいて、その顔を覗き込む。
「……ジュン」
「うん」
 少し震えているような気がするけど、それでも思ったよりしっかりとした声で呼びかけてくれる水銀燈にそう応える。
 そして、照れくさいけど我慢してそのままの体勢で次の言葉を待つ。
「ジュン」
「うん」
 さっきよりも大分しっかりとした声でそう呼びかけてくる水銀燈にそう声を返し、そのままの体勢で待つ。
 すると水銀燈は気持ちが落ち着いたのかにっこりと微笑んで。
「ふっ!」
 その左拳が唸りを上げた。
 まるで閃光のような左ストレート。その速度は正に疾風迅雷。
 そしてその左拳は狙いたがわず、僕の唇に直撃した。
「何を――!」
 するんだ、と言おうと思った水銀燈は紅く輝いていた。
 紅く紅く、美しく清廉で、気高く無垢なその光はまるで光り輝く薔薇のように。
「水銀燈――!」
 何かに気づいた真紅が叫ぶけど、それでも光は収まらない。
 これでもかといわんばかりに光り輝き、部屋中を溢れんばかりの光で埋めて。
 やがて光は一点に集束して行く。
 それは水銀燈の方に。
 もっと詳しく言うなら水銀燈の左手の方に。
 さらに詳しく言うのなら、水銀燈の左の薬指にはめられている薔薇のリングに。
 そして光は収まり。
「いい子ね、ジュン」
 僕の左手薬指には二つ目の薔薇のリングがあったりした。
「これからよろしくね、ジュン」
「ああ、う……」
「ダメに決まってるでしょう!」
 思わず返事しそうになったところで真紅に止められた。
「何を騒いでいるのかしら。これから同じミーディアムを持つ姉妹として過ごすことになるのだから、少しは落ち着いて欲しいんだけど」
「落ちつけるわけ無いでしょう!」
 真紅、大激怒。
 その服とか名前とかに負けないぐらい真っ赤になって怒っている。
「ジュン、貴方も何か言ってやりなさい!」
「ああ、うん。えーと」
「これからよろしくお願いするわね、ジュン」
「あ、ああ。こちらこそ――」
「挨拶してる場合じゃないでしょ!」
 真紅の怒りは止まらない。
 そりゃそうかって気がしないでもないけれど、だからと言って僕にどうしろと。
 そんなことを思っているとノックの音が聞こえ、部屋のドアが開く。
「ご飯よー」
「はーい」
「お腹ぺこぺこですぅ」
「いつもいつもすいません」
 のりに言われて雛苺と翠星石、それに蒼星石は口々に色々言いつつさっさと食堂に向かった。
 終始一貫してこっちに一切関わらずに過ごしやがったなコンチクショウ。
「水銀燈ちゃんのぶんも用意したんだけど」
「ありがとう、頂くわ」
 水銀燈もそう言われてさっさかと部屋を出て行く。
「のり!」
「だめよ真紅ちゃん、みんな仲良くしないと」
 怒る真紅に「めっ」って感じでそう言うと、のりは「ジュンくんと真紅ちゃんも早く降りてきてね」とか言いつつさっさと部屋を出て行った。
 しかも階段の方から「これからお世話になります」「あら、水銀燈ちゃんもジュンくんのところに来たのね。こちらこそよろしく」とか微笑ましいやり取りまで聞こえてくる。
 ふと気づくと、部屋に残されたのは僕の他には怒りに燃える真紅だけ。
「さて、それじゃあ僕も」
「待ちなさい」
 逃げようと思ったら当然呼び止められた。
「なんで水銀燈と契約したのかしら」
「しょうがないだろ。あんなの避けられるかよ痛っ!」
 答えた途端に髪ビンタが飛んできた。
 ああ、なんか懐かしいけどこんなもんは一生涯味わいたくは無かった。
「第一あの時だって僕じゃなく真紅が話に行けばこんなことには痛っ!」
 髪ビンタ再び。
 そして三度四度五度六度以下略。
 そんなことをしている間も下では和やかに食事が進んでるらしく、声が聞こえてくる。
「ジュンくんと真紅ちゃん、ご飯要らないかしら……」
「じゃあ真紅の分は私が貰うわね」
「チビ人間の分は私が」
「待ちなさい!」
「ちょっと待て!」
 なんか物騒な声が聞こえたので走り出した――
「ジュン!」
 ところでまた呼び止められた。
「なんだよ」
「抱き上げなさい」
「……」
「早くしなさい!」
「わかったよ」
 そう言って僕は真紅を抱き上げる。
「今日のところは勘弁してあげるけれど、全てを許してあげたわけではないと言うことを理解しておきなさい」
「はいはい。わかりました」
 そう応えて、まだ何かブツブツといっている真紅を抱き上げたまま階段を駆け下りる。
 確かに色々問題は山積みだけど、全部をいっぺんに解決したりは出来ないから。
 一つ一つ解決するしかないと言うことがわかったから。
 だから――
「真紅の分のケーキもらってもいい?」
「食べないで置いておくのももったいないものね」
「待ちなさいッ!」
 とりあえず、食事とデザートを確保するために階段を駆け下りた。





後書きとおぼしきもの


 TVで無印ローゼンが終わった直後の作品。
 あの当時は続編やるなんて思いもしなかったし、増してや水銀燈復活なんて考えもしなかったからなあ……
 まあ、今読むと突っ込みどころ満点ぽいがそんな言葉に耳を傾ける気はありません。
 とりあえず、俺は水銀燈が大好きです。 

2006.07.01  右近