それが私の御主人様

「私にふさわしい、大きく豪華な巣を作りなさい」
 それがリュミスベルンの言葉だった。
 リュミスベルン。
 古代竜直系の純粋な血を持ち、現存している竜族のうち――ひょっとしたら竜族が地に堕とされて以来、最強の竜。
 その力は魔族や神族にすら認められ、一目置かれる最強の竜。
 そして彼女は、その力を振るう事を躊躇しない。
 彼女の逆鱗に触れたもの――彼女が敵と認めたその者は悉くその命を失い、幸運な事に命を失わなかったものも、彼女に逆らうことの愚かさを知る。
 それに例外は無い。例えそれが神だろうと魔族だろうと、そして同族たる竜族であろうとも。
 彼女の逆鱗に触れて無事だったものは一人しかいない。
 それが誰かと問われればこの俺、ブラッドであり。
 何故無事かと問われると、だ。
「アナタ。今、幸せ?」
「何だまたやぶからぼうに」
「いいから。幸せ?」
「うん。まあ、幸せだぞ」
 リュミスベルン――リュミスは俺の妻だからだったりするわけだが。



 竜族には一つの風習がある。
 成人し、婚約者の決まった男の竜は竜族の村を出て、山に自らの巣を作る。
 そして妻を迎え入れるために財宝を集め、生贄たちを相手にその、あれだ。夜の営みの経験を積む。
 そして時を経て、準備が整い時期が来れば男の竜は自らの婚約者を巣に招く。婚約者が巣を見て気に入れば問題なし。めでたく結婚、レッツ子作りとなる。
 ちなみにこのとき巣が気に入らなければどうなるか。
 死して屍拾うものなし。
 竜族は絶対的に女性優位であるので、女に気に入られない男の竜に生きる権利はない。
 いや別に殺されるとは限らないが、普通殺す。
 しかもそれが『あの』リュミスベルンだとすると、確実に殺す。
 殺すついでに巣の周囲数kmは焦土と化すだろうし、多分巣のある国――今回の場合エルブワード王国は確実に滅び去るだろう。
 でも、そんなことにはならなかった。
 リュミスは俺の巣を認めてくれた。
 つまり俺の妻になってくれた。
 そして今も俺の右隣に座り、甲斐甲斐しく食事の世話をしてくれている。
 わが人生順風満帆事もなし。
 人生っつーか竜生?
 まあさておき問題は無い。
 巣の中には今まで集めた――そして今もなお周囲の町や村から届けられる貢物や、撃退した侵入者から奪った財宝で溢れかえらんばかりである。
 巣の管理は、ギュンギュスカー商会から派遣された優秀なスタッフが代行してくれている。
 巣は順調に広がり、最近では竜の間に侵入者がたどり着くことすら稀である。
「ブラッド様、本日の侵入者の撃退完了しました」
「ああ、ご苦労様」
 ちょっと寂しい気もするが、平和なのはいい事だ。
 食事だって問題は無い。
 毎日三食、栄養豊富で美味な料理をたらふく食べさせてもらっている。
 竜族は取り分けて美食と言うわけでもないが、美味いものが食えるのに越したことは無い。
「ブラッドさん、おかわりいかがですか?」
「ああ、それじゃあ貰おうかな」
 最近は山の中腹に畑や果樹園を作り、家畜も飼い始めた。
 この前遊びに来たマイトは呆れたような羨ましいような、微妙な表情をしていたが問題ない。
 竜族のプライドや歴史など、快適な生活に比べたらどうでもいいものだ。
 そして元気な子供たち。
「こら! 食事中は静かにしないか!」
「うわー、逃げろー!」
 少し騒がしいが、それもまた幸せの証明である。
 平和で満ち足りた日々。
 毎日三食美味い飯を食えて、側には愛しい家族がいる。
 そんな日々は間違いなく幸福な日々であり、だから問われれば、何度だって幸せだと答えるだろう。
「リュミス、お前は幸せか?」
 俺が問いかけると、リュミスは少し驚いた顔を見せたがそれも一瞬。
 夫の贔屓目ではなく竜族屈指の美貌を誇るその顔に満面の笑みを浮かべて俺に抱きつき、答えを返す。
「勿論、幸せよ」
 今の状況を確かめるように、一字一句を確認するかのようにはっきりと発音する。
 その言葉に嘘はなく、そこにリュミスの本心が込められている事がわかった。
「本当に幸せよ」
 今の生活に――俺との新婚生活に対する幸福と、
「この巣に私以外の女が出入りしている事を除けば」
 嫉妬とか怒りとかその他もろもろが織り交ぜられた不満が織り交ぜられたその心が。
「浮気したら殺すって言ったわよね?」
「ギブ! ギブ!」
 山をも砕くと評判だったリュミスの腕力による抱擁っつーかもはやベアハッグの領域に達しつつあるそれを受け、薄れゆく意識の中で聞いたものは。
「ブラッドさん!?」
「ブラッド様!」
「ブラッド!」
 三種三様の声を上げて俺の身を案ずる三人の娘――ユメとフェイ、それにルクルの声と。
 こきゃ、とか言うなんだか間抜けな、俺の腰骨の断末魔であった。




 全治三日。
 それがギュンギュスカー商会から派遣された医療メイド(上級士官)の診断だった。
 ちなみに負傷内容は背骨とか腰椎とかそのへん一式の粉砕骨折。
 リュミス渾身のベアハッグ――ドラゴンがやったんだからドラゴンハッグとでも呼ぶべきなのだろうか――は、この地上の様々な鉱物と比べても屈指の強靭さを誇り、武具の材料として数多の勇者たちが欲する竜の骨をいともたやすく粉々に粉砕していたらしい。
 負傷内容は腰椎とか背骨とかその辺の損傷だったらしいが、聞いていて鬱になって来たので診断結果は途中で聞くのをやめた。
 そんな重症を三日で治してしまう医療メイドと医療品も凄まじいものがあるが。
 皆様のお役に立ちますギュンギュスカー商会。お金があれば死人だって治してみせます。
 しかしまあ、三日で治ると言うことは、逆に言うと三日は治らないわけで。
 現在俺は天蓋つきの高級ベッドにうつぶせに寝転がっている。
 別に絶対安静と言うわけではないが動かないにこしたことは無い。
 そんなわけで俺は今哀れな怪我人であり、いたわられるべき立場である。
 ベッドのかたわらには俺の看病をするために女性が居てくれる。
「なによ、不満そうね」
「いえ、そんなことはありません」
 不機嫌そうな声にそう答える。
 不満は無い。
 不満は無いが、怪我をさせた張本人に看病されると言う状態なので、多少は複雑な気も地になっても許して欲しい。
 口には決して出さないが、そんなことを思っているとリュミスはさすがにちょっと罰が悪そうに弁解した。
「この前書いてあった本にあったじゃない。『夫婦には適度な喧嘩も必要だ』って」
「適度?」
「何よ。ちゃんと手加減したじゃない」
「……手加減して粉砕骨折なら、手加減しなかったらどう」
「本気でやってたら上半身と下半身が離れ離れに」
「聞きたくない聞きたくない」
 そんな疑問は生涯謎のままにしておいて欲しい。
 自分の言葉を途中で遮られたのが不服なのか、なによとかぶつぶつ言いつつ拗ねるリュミスは確かに可愛いが、さっきの台詞が誇張でもなんでもなく事実っぽいのが恐ろしい。
 そういえばリュミスに殺された竜の中には上半身と下半身を引きちぎられた竜も
「いやいやいやいやいや」
 現実から目を逸らす。
 なんだかリアルに自分の死骸が想像できたので、それはもう全力で目を逸らす。
 まあ、そんなことはどうでもいいんだ。
 例えそれが事実だったとしても、俺は無事だしリュミスはそんな俺を看病してくれている。何と幸せなことじゃないか。
 辛い現実から目を逸らしたついでに、幸せな現実に目を向ける事にする。
 リュミスはぶつぶつと言いながらも実に甲斐甲斐しく俺の世話をしてくれている。
 今は上半身の服を脱がせて、体を蒸しタオルで拭いてくれているところだ。
 さすがにこの状態では風呂に入れないし。
 ごしごしと自分の体を拭う感覚のみに集中すると、実に気持ちいい。
 リュミスもさすがに反省しているのか、今は静かに俺の看護に専念――
「まあまあ。ブラッドさんにも悪気は無いんですから」
「張本人の一人が言うなっ!」
「ぎゃーっ!」
 ユメのフォローは比喩でなくリュミスの咆え声でかき消された。
 ついでにうっかり力が篭ってしまったらしい右手は摩擦熱でタオルを瞬時に焼却させ、ついでに俺の背中をかなりの割合で抉り取った。洒落にならなく痛いと言うか下手すると死ぬぞ。
 まあ部屋の向こうでクーが実に活き活きと部下のメイドたちに医療品の手配をしているから死ぬことは無いと思うが。
 なんか最近溜め込んだ財宝のうちかなりの部分が俺の治療費に回されている気がするのは気のせいだろうか。
「何を言ってるんです。ブラッドさんは浮気なんかしてないじゃないですか」
 その咆え声だけで気の弱い人間だったらショック死しそうな竜の咆え声を聞いても、ユメは全くびくともしてない。流石は竜殺しの一族というかすいません、背中から結構洒落にならない量の血が流れてる気がします。
「じゃあどうして貴方たちがこの巣にいるのか言ってもらえないかしら」
 明らかに怒り心頭で、こめかみあたりに血管浮き上がらせつつそう問いかけるリュミスに、問われた三人は答えを返す。
「私は食事番ですから」
 ユメは平然と、当たり前のように。
「私はこの巣の警護を命じられていますので」
 フェイは誇らしげに、胸を張って。
「わ……私はブラッドのペットだからな」
 ルクルがその顔を真っ赤にしてそう答えた瞬間リュミスの右手は俺の傷口を更に抉り取った。
 もはや悲鳴が声にならねえ。
 部屋の向こうでクーがメイドたちに慌しく指示を与えていたが、外から駆け込んできた一人のメイドの報告を受けて、残念そうに肩を落とす。
 いや、そこで申し訳なさそうにこっちの方に深々とお辞儀されても困る。
 諦めるなギュンギュスカー商会! メイドたちも揃って俺に謝っている場合ではなく!
 ユメとフェイもその横でさめざめと泣いてないで止めろ!
 俺のそんな心の叫びは誰にも届かず、女の戦いは止まったりしない。
『最強の竜』リュミスベルンと、『エルブワード王国女王』リ・ルクル・エルブワードは 互いに一歩も引かず、互いに敵意と言うよりもはや殺意と言っていいほどの思念をこめて睨みあう。
 古代、邪神はその視線のみで生物を殺したと言うがあれはきっと事実だったんだろう。
 今二人の間に入ったら死ぬ自信がある。竜だろうと何だろうと、無理なものは無理。
「ペット、ねえ?」
 先制攻撃はリュミス。
 全身から隠しきれないほどの――そもそも隠す気も無いのかもしれないが、殺気を放ちながらルクルに言葉を投げつける。
「一国の女王様がペットなんて、人間には誇りと言うものが無いのかしら」
 明らかに見下した、蔑むようなその言葉。
 しかしルクルはその言葉を予想していたのか、全く臆することなく、それどころか余裕さえ感じさせる表情で言葉を返す。
「私にもプライドはある。しかし――」
 そこまで行って言葉を一度区切ってにやりと笑い――そう、笑ったのだ。
 人の身で勝つことは至難であろう竜を、しかも竜族でも最も強く、最も恐れられる竜を前にして。
 戦闘の訓練など積まず、さらには寸鉄帯びぬ、完全に丸腰の人間が。
 自らの勝利を確信した、誰が見てもわかる不敵な笑顔を。
 そんな自分を見て、苛立つリュミスを確認し、ルクルはまた一度確かに笑って言葉を続ける。
「『御主人様』に『俺のペットになれ』と言われたからな」
 ぞぶり。
 ルクルがそう言った瞬間、さっきからわりとピンチだった俺の背中からかなり致命的な音が聞こえた。
 残念ながら背中は見られないのでどんな状態なのか確認できないが、と言うか全くもって見たくないがどう考えても俺の背中には何か別のもの――そう、例えば怒りに燃えるリュミスの右手なんかが突き刺さっている気がしてなりません。
「ブラッド」
「は、はい」
「『御主人様』とか呼ばれるのはそんなに嬉しいものなのかしら」
「いえ、まあその」
「う れ し い も の な の か し ら」
 とても明るくそれでいて凄まじい迫力を込めた美しい声で俺にそう問いかけてくるリュミス。
 そしてそれと同時にめきめきめきとか何だか不穏当な音が聞こえるっていうかなんか骨の方まで達している気がするのですが、どうですか奥さん。
 しかしまあそんなことを言ってみてもこの状況は改善しないと言うか、どう考えても悪化することは目に見えているちょっと待てクー、メイドたちが運んでいるその白黒の垂れ幕は何なのか説明してみろ。
「ちょっとブラッド、聞いてるの?」
 ごりゅ、と。
 何かがとうとう骨に届いた。
「――っ! ――――っ!! ――――――――っ!」
 痛すぎて声が出ないというのはこういう状態のことを言います。
「だ、大丈夫か、『御主人様』」
 ルクルが心配そうにそう問いかけてくるのと同時に骨がみしみしと言うかめきめきと言うなんだか果てしなくピンチっぽい音が聞こえてきた。
「――――――――っ!」
 うつ伏せの状態で必死にタップする。レフェリー見てない。ていうかなんだレフェリーって。
「ブラッド、答えなさい」
 声が出ません、奥様。
 うつ伏せのままだったのでかなり無理があったが、それでも何とか精一杯上の方に顔を向けて涙目でそう訴えかける。
 色々あってすったもんだの末に結ばれた俺たちだけれど、だからこそ夫婦の絆は強いはずだ。
 そんな俺たちだったら視線のみで意思の疎通ぐらい!
「何よその目は」
 できなかった。夫婦の絆、わりと弱い。
 状況は何一つ変わらず、リュミスとルクルの睨み合いは終わろうとしない。
 ついでに言うと俺の背中の出血も。
 竜の血って魔術師に高く売れるってライアネが言っていたなあ、今日流れた血を全部集めとけばかなりの金になったんじゃないかなあ、とかそんなことを薄れゆく意識の中でぼんやり考えるしかない状況を打破してくれたのは、さっきからにこにこと微笑みながらこっちを見ていたユメだった。
「まあまあ。そろそろ夜もふけて来ましたから部屋に戻りましょう」
 ぱんぱんと、まるで小学校の教師がはしゃぎまわる生徒をなだめるように手を叩いてリュミスとルクルの間に割って入った。
「ほら、ルクルさん。子供たち、もう眠たそうですよ?」
「ああ、すまない」
「リュミスさんも、いいですか?」
「……しょうがないわね」
「はい。お二人とも続きは明日にでも」
「続けるのかよ!」
 即突っ込んだ。
 もちろん誰も聞いちゃいなかった。クーやメイドたちにいたってはとっくに部屋から出ていた。
 この巣は俺の巣で、一番偉いのは俺のはずなんだけど違ったんだろうか。
 マイトや他の竜たちもこんな生活を送っているのだろうか。
 あれか。人間の使う諺で『結婚は人生の墓場』っていうのがあったけど、あれはこういう意味か。
 そんなことを考えている間にもルクルは子供を連れて部屋を出て行く。
「ではな、ブラッド。その、少しふざけすぎてしまった。リュミス殿も」
「え……?」
「また明日」
 予想していなかった挨拶にリュミスが一瞬だけ唖然としている間に、ルクルは自分の子供を連れて部屋を出て行ってしまった。
 リュミスからの返事を待つこともなく。
「……どうして?」
 ほんの少し前まで自分と喧嘩していた相手の態度が理解出来なかったのか、そんなことを呟くリュミスにフェイが言葉を返す。
「ルクル王女は、楽しかったんだと思います」
「……どういうこと?」
「ルクル王女はあの通りの気性ですし、優秀な方でしたから。誰も王女と面と向かって口論するものなんかいなかったそうです。私の父が生きていたときは色々と言い争ったそうですが……しかも女王となった今では、そんな人は以前にも増していないでしょう」
 そんなことを言う私もルクル王女と口論できないんですけれどね、と少し自嘲的に笑い、フェイはユメとともに就寝の挨拶をして自分たちの部屋へと戻っていった。
 パタンと言う微かな音をたてて扉が閉まり、ついさっきまで騒がしかった部屋の中には俺とリュミスだけが残された。
 リュミスは何か考え込むような表情で、俺のベッドの脇に立ち尽くしている。
 ふぅ。
 そう一つ息をつくと、俺は全身に力を込めて立ち上がる。
 そしてそのまま――
「ブラッド!?」
 リュミスを後ろからぎゅっと抱きしめた。
 そしてそのままリュミスの耳元に口を持っていく。
「嫌か?」
「い、嫌なわけないけれど……アナタ、傷は」
「大丈夫。これぐらいじゃ死んだりしない」
 確かに死にそうなほど痛いし、血も出てるし骨だって見えてるかもしれないが、こんなもんじゃ俺は死なない。
 伊達に結婚までの間――いやまあ結婚してからもだが、リュミスの暴力を一身に浴びては無い。
 自慢じゃないが、リュミスの攻撃を俺以上に喰らった生物などいないだろう。いや、本当に自慢にならないが。
「フェイの話を聞いて、思い出したんだろう?」
 そう言葉を続けると、リュミスは何も言わずに俯いた。
 それはリュミスの肯定の合図。
 誰よりも意地っ張りで、誰よりも照れ屋で、そして誰よりも正直な俺の妻の肯定の意思表示。
 まだ年若く竜の村にいた頃、リュミスは絶対だった。
 古代竜の直系の血を引き、誰にも負けない美貌を持ち、誰よりも明晰な頭脳を持ち、誰よりも強かった最強の竜。
 長老たちはその力を褒め称え、同年代の竜たちは誇りに思っていたが、それと同時に恐れていた。
 絶大な力を持ち、その力を惜しむことなく振るうリュミス。
 それは例え相手が何者であろうと変わらず、リュミスを止めるためには年経た竜たちが複数で行かなければならなかった。
 そんなリュミスは、いつも一人だった。
 リュミスを頼る奴はいても、リュミスを娶って自らの力の象徴にしようと言う奴はいても、リュミスには『友人』はいなかったように思える。
 リュミスの周りにいたのは弟であるマイトと、そのマイトの友人である俺ぐらい。
 俺やマイトがいないとき、リュミスは一人だったのだろう。
 増してや、リュミスと対等に口論しようなんて奴はいなかった。
「お前だって、ルクル個人のことは嫌いじゃないんだろう?」
 またうつむく。
「たまには喧嘩してもいいけどさ。もう少し仲良くしよう」
 そう言ってまた少し力を込めて抱きしめ、じっとリュミスの言葉を待つ。
 リュミスは決してこちらを振り返ろうとはせず、多分顔を赤くして、じっと黙っている。
 俺も何も喋らない。
 ただ腕の中にいるリュミスを抱きしめ、じっと待つだけ。
 五分か十分か、ひょっとしたら数秒間だったのかもしれないけれど、リュミスは口を開いた。
「アナタが」
「うん?」
「アナタが浮気しないなら大丈夫」
 それだけ言うとまた押し黙り、俺からは決してその顔が覗き込めないように、深く深く俯いた。
 でもそんなことは全く無駄。
 確かに顔は見えないけれど、首筋から耳たぶまで見事に真赤に染まっているし。
 なによりも。
「結婚するときに言っただろう? 俺は『もう、お前以外は抱かない』って」
 俺には元々浮気するつもりなんか無い。
 ヤキモチやきで癇癪もちかもしれないけれど、美人で強くて、こんなに可愛い妻がいるんだから。
「もう子供までいる癖に」
「いやあれはお前と結婚する前に出来た子供だから……」
 痛いところをつかれて思わずしどろもどろになった瞬間、俺の腕の中にいたリュミスがくるりと振り返り、背伸びをして。
「ウソよ」
 そう言って俺の唇に軽く口付け、俺の胸に顔をうずめる。
「別に子供を追い出せとかそんなことは言わない。ブラッドの血を引いてるなら、それは私にだって大事な子供なんだから」
「……うん。ありがとう」
 思わず一瞬唖然としてしまったけれど、それだけ返してまた力を込めて抱きしめる。
「これからもよろしくな」
「うん」
 俺の言葉にそう返すリュミスの笑顔はとても晴れやかで、
「これからもよろしくお願いします――」
 これから続く幸せな日々を予感させる言葉だった。
「――御主人様」
「いや、リュミスさん」
「な、何よ」
「どうしてそこでその」
「『御主人様』?」
「ああ、うん。それ」
「……変だった?」
「いやその変か変じゃないかと聞かれても」
「アナタは浮気しないって言ってくれたけど、私はその言葉に安心して何もせずにいたりはできないの」
「いやだからって、その呼び名に拘らなくても」
「……ひょっとして、嫌だった?」
 俺の反応を見て不安になったのか、リュミスは少し沈んだ表情でそう問いかけてくる。
「ああいや、嫌とか変とかそう言うことは無いから安心してくれ」
「……じゃあ何よ」
「いやその、リュミスにそんなこと言われるとあれだ。その、ヤバいと言うかなんと言うか」
 特にこんな、夜も更けた俺の寝室で二人っきりのときにそんなことを言われると我慢が限界と言うかなんと言うか。
 さすがにそこまでは口に出せずに、しどろもどろになっている俺を見て、リュミスはにやりと笑って歩き出した。
 俺の横を通り過ぎて俺の後ろの方へ。
 そしてリュミスは、さっきまで俺が横たわっていたベッドの上にしどけなく座って口を開く。
「――よろしくお願いします、御主人様」
 ああもう。こんな嫁がいるのに誰が浮気なんかするものか。
 そんなこと思いながら、俺は誘われるままに覆い被さっていった。




「アホですか御主人様は」
「割と反省している……」
 あのあと何があったかについては黙秘権を行使させてもらうが、結果だけを報告すると朝方俺は背中の傷がぱっくり開いて大量出血で死ぬ一歩手前だった上に腰とかそのへんの骨は完全無欠に砕けきっていた。
「まあ、治療費さえ払ってもらえれば私たちは問題ありませんけどね」
 その通り。
 どう考えても俺はこのまま死ぬか良くて半身不随になりそうなものだったが、迅速に駆けつけたクーとギュンギュスカー紹介のスタッフの手によってとりあえず安静にしていれば日常生活に支障が無いレベルまでは回復していた。
 しかし疑問がある。
「この治療器具やら魔法薬、俺の記憶が間違ってなければ凄い高額だった気がするんだが」
「そうですね。失礼ですが、御主人様の現在の蓄えを全て吐き出しても払いきれないと思います」
「……そんなもん使っていいのか?」
「お支払いのことならご心配なく。リュミス様が『宛てがあるので今日中に都合つけてくる』とおっしゃっていましたので」
「……なんか悪い気がするな」
 まあ確かにリュミスにもこの怪我の責任があるのは事実だと思うが、それでもやっぱり。
 そんなことを思っていると、クーは全身にいろいろ巻かれてミイラ男寸前になっている俺に向かって諭すように声をかけた。
「他人の好意は喜んで受けるものですよ」
「そんなもんかな」
「はい。夫の危機に妻が奮闘するなんて、いい話じゃないですか」
「……そうだな」
 多分、今の俺が一番するべきなことはこの体を治すことなんだろう。
 そして快復したら、その時こそ全力で感謝の気持ちを伝えさせてもらおう。
 俺はそう心に決めて目を閉じ、安らかな眠りの中に落ちていった。





 そのころの奥さん
「マイト! 巣にある有り金全部よこしなさい!」
「いやちょっと待って姉さん。久しぶりに会って第一声がそれって言うのは」
「ブラッドのためなのよ! 早く!」
「だってまた姉さんが何かしたんだろ?」
「……」
「……」
「Die or Money!」
「そんな殺伐としたハロウィンはないから!」
「いいから出しなさい! 貴方の義兄のためなんだから!」
「姉さんはもう少し実の弟に優しく――」
 その日、どこぞの山に竜の悲鳴が響き渡ったという。
 ちなみに、それ聞いた冒険者が「この隙に」とばかりに巣を襲撃したらもぬけの空どころか銅貨の一枚すら落ちていなかったと言う。
 まあでもそれは別の話。




後書きとおぼしきもの


 そんなわけで、風原さんとこで書いた巣ドラ本の原稿を公開。
 酔った勢いで原稿依頼受けて割と後悔しつつ書いた作品ですが、割と自信作だったりしたりします。
 ゲーム自体はセイバーフェイ目当てに始めたわけですが、おまけシナリオ見た結果リュミスにどっぷり。
 リュミスは素晴らしいツンデレだと思うのです。ハーレムエンドには参加してませんが。なんでだ。
 そんな不満をこめたこの作品。裸Yシャツ友の会って言うか俺ははハーレムエンド大好きです。

 次の更新は来年か、早くて年末なんじゃねーかと。
 っていうか原稿終わるのかしらー。

2006.11.07 右近