戦いの幕が開けてから数十分。
私は台所にいた。
そう、ライダーと戦うために。
聖杯戦争の際は結局一勝一敗だった、因縁の関係に決着をつけるために。
全サーヴァント中最高と呼ばれたこのセイバーが、ライダーに遅れをとるわけには行かない。
それはライダーも同じことだろう。
結局のところ、サーヴァントは本来戦うために召喚される存在。
二騎のサーヴァントが存在すれば、その間で戦いが始まるのは当然のこと。
そして、そんな勝負の種目に選ばれたものは『料理』。
平和な今、この衛宮家で争う方法としてはふさわしいものであろう。
さて、準備は整った。
右手には、剣のかわりに包丁を。
身体には、鎧のかわりにエプロンを。
ちなみに、エプロンはシロウのものを借りた。
少しサイズが大きめだが、これを身に付けているとシロウに温かく包まれている気がする。
「見ていて下さいシロウ」
目の前に包丁をかざし、本来の担い手であるシロウに勝利を誓う。
そして、包丁は窓から差し込んだ陽光を受けて光り輝いた。
そう、わたしの勝利を予言するかのように。
装備を整えたのであれば、次に必要となるものは食材。
ライダーは外で食材を調達するつもりなのか、早々に出かけていったがそれは早計というものだ。
「ライダー、貴女は衛宮家の冷蔵庫を甘く見ている」
そう、ここは衛宮家。
桜と凛、そしてシロウが自らの技術の粋を尽くして料理をする家。
タイガの夏のボーナスで購入した大型冷蔵庫には実に様々な食材が貯蔵されているのです。
ライダーが何を作る気かは知らないが、食材の調達で時間を浪費するだろう。
冷蔵庫のことを教えなかったことをフェアじゃないと言うものもいるかもしれないが、これは戦いだ。
戦いである以上、より多くの情報を掴んでいるものが有利になることは必然。
「まずは一歩リードですね」
そう呟き、私は勝利を確信して冷蔵庫の扉に手をかける。
「さあ、料理を始めましょう―――」
がき。
扉が開かない。
もう一度引っ張ってみる。
がきがき。
やっぱり開かない。
おかしい。昨日の昼に水羊羹を取り出したときは素直に開いたのに。
がきがきがき。
尚も数度引っ張ってみたところで気が付いた。
「……鍵?」
そう。冷蔵庫の扉には鉄製の鍵が設置されていた。
「―――何故、今日に限って!」
そう、今日に限ってこのような罠が用意されているとは。
昨日、水羊羹を食べた時はこんなものはなかった。
一昨日、どら焼きを食べた時もこんなものはなかった。
一昨昨日、プリンを食べた時だってこんなものはなかった!
そう、思い起こせば再召喚されてこの家に再び住むことになってからの間、ただの一日であろうとこの冷蔵庫が開かないことはなかったと言うのに!
それがよりにもよって今日に限って。
しかもよく見てみれば鍵の横には張り紙がしてある。
『つまみ食い禁止』
あの筆跡には見覚えがある。
凛の字だ。
ああ、凛。あなたは一流の魔術師だと言うのに、どうしてこのような瑣末事にこだわるのですか。
そりゃ確かにあの水羊羹は凛が買ってきたものかもしれませんが私は二つ中一つしか食べていません。残り一つを食べたのはタイガです。
そんなことを思ってみても、鍵は冷蔵庫の扉から消えることは無い。
破壊しようかとも考えたが、目を凝らしてみれば鍵に魔術の痕跡が見られる。
恐らくは封印の魔術。
もちろん破壊できないわけではないが、手荒なマネをして内部の食材に被害を与えてしまっては本末転倒だ。
「しかしどうすれば……」
いくら料理をしようと思ったところで、食材がなくてはなにもできない。
商店街にいけば食材を売っているとは思うのですが、私はお金を持っていない。
「諦めてはいけない。考えるのです」
ともすればくじけそうになる心を奮い立たせるために、そう呟く。
そう、考えるのです。
今まで、絶望的と思われる局面に立ったことは一度や二度ではありません。
しかし、私はそれらを打ち破ってきた。
ここにいてもしょうがない。
とりあえず衛宮家の中心に位置する居間に戻ってみると、机の上には先ほどの少女漫画が置きっぱなしになっていた。
料理勝負をするきっかけになったこの書物であれば、なにか助けになることが隠されているかもしれない。
私は藁にもすがる思いで読み進めた。
『美樹。この弁当、どうしたんだ?』
『祥司くん、毎日パンか学食だって言ってたから。 ……迷惑だったかな』
『バカ、そんなことあるもんか!』
どうやら、主人公は弁当を作ることに成功したらしい。
手作り弁当を渡された男性は喜び、二人で仲良く食事を楽しんでいる。
シロウが喜ぶところを想像すると幸せな気分になれるが、この相手が仮にライダーだと思うととたんに腹が立ってくる。
だめだ。ここで冷静さを欠いている場合ではない。
考えなくてはいけない。シロウが帰って時間は、いつも通りならばあと数時間。
そんなに凝った物を作っている時間は無い。
いや、それどころではない。
食材が手に入らないのだから、料理そのものが出来ないのだ。
考えろ。食材を手に入れる方法を。
力を尽くした上でライダーとの勝負に敗れるのであれば、それはしょうがないことなのだと納得もできるだろう。
しかし、このままでは勝負することすら出来ない。
剣を交えることすらできず、ただ一方的に敗北を宣言されるなどと言うことには耐えられない。
冷蔵庫が使えない以上、この家の中で食材を手に入れることは不可能。
商店街で買おうにも、代金を持っていない私にはそれも不可能。
いけない。堂々巡りになってしまっている。
こんな時は一人で考えていてもいい結果には結びつかない。こんな時は別な方向から検討してみないと。
……そうだ。あの少女漫画を読み返してみよう。
さっき流し読んでしまった箇所をじっくりと読み返す。
何かヒントが隠されていないか。
どんな糸口でもいい。決して見逃さないようにじっくりと、しかし迅速に読み進める。
美樹と言う名のヒロインの少女は料理をしていた。美樹の友人である林檎の家で……
「これです」
自分ひとりの力で解決できない問題ならば、素直に助力を仰ぐこともまた必要です。
私は一人ではない。
自分一人で全てを行おうとすれば、最後に待つのは苦い結末です。
そう、あの悲劇を―――私一人で背負い込んだ末に滅ぼしてしまったブリテンの悲劇を 繰り返すわけにはいかない。
私は士郎たちからそれを学んだ。
あとはそれを実践するだけだ。
そして私はこの時代における数少ない、しかし頼りになる友人の下を訪ねることにした。
「おう。遠慮しないで好きなように使ってくれ」
何の予告もなしに尋ねてきた私に対する答えは、そんなあっさりとしたものだった。
それが社交辞令の表面だけの言葉では無く、本心からの言葉であることはその笑顔を見ればわかる。
とても豪快な、そして人に安らぎを与える笑顔。
藤村組組長、藤村雷画。タイガの祖父である。
そしてここはライガとタイガの家である藤村家の厨房。
衛宮家にも優るとも劣らない―――いや、作る量が多いため、スペース的には衛宮家の台所を凌ぐ料理場である。
「助かります、ライガ。この恩は必ず」
「いいってことよ。こんなことならもっと早く言ってくれればいいものを」
そしてまた大きく笑い、言葉を続ける。
「もちろん、ここを使ってくれてかまわんぞ。セイバーが料理に使うって言うなら、うちの奴らも素直に明け渡すだろうさ」
「その申し出は大変ありがたいのですが、そこまでしてもらうわけには……」
「何、気にすることはない」
「しかし……」
食材を数点借りられれば十分だったのだが、ライガは食材の全てに加えて調理場までも貸してくれるという。
そこまで施しを受けて、恩を返さないと言うわけにはいかない。
なんとかこの恩に報いる方法はないものかと考えていると、ライガもそれを察したのか妥協案を出してくる。
「じゃあ、またうちの若い衆を鍛えてもらえんか。それで貸し借りなしだ」
「引き受けましょう。ライガの部下は鍛えがいがある」
そう。以前もライガに請われてライガの部下たちを鍛えたことがあった。
私の風体を見て、始めは軽く見ているようなところがあったが、数回剣を合わせてみたところ、真剣に教えを受けるようになった。
以来ライガの部下からは『セイバーの姐さん』と呼ばれ、慕われている。
なんでも『姐さん』というのは藤村組やそれに類する組織における敬称らしい。
この話をしたらシロウは何故だか笑いをこらえているようだった。
まあ、それは今この状況とは関係ない。
今はライガの好意を素直に受け、料理に集中することにしよう。
「ありがとう、ライガ。手助けをしてくれたライガのためにも、この勝負は勝ってみせる」
そう言って包丁を目の前に掲げ、誓いを立てる。
それを見てライガも納得したかのように満面の笑みを浮かべ、答えを返してくる。
「まあ、セイバーがシロ坊のために愛情料理を作ろうって言うんだ。これを見過ごしちゃ男が廃るって言うものよ」
「ライガ! 私が料理を作るのはそう言う意味では無く―――!」
「がっはっは。まあ頑張りな」
ぱたん。
私の言葉など聞く耳持たぬとでも言うかのように、ライガは厨房から出ていった。
扉も閉められ、広い料理場には私一人。
ライガの口ぶりからすると、私の料理が終わるまでの間ここには誰も来ないのでしょう。
「ならば、私も趣向を凝らした物を作らなくてはいけませんね」
そう。ここまでして貰って手の抜いた料理を作るわけにはいかない。
もとよりこの勝負で手を抜くつもりなどありはしないが、手助けをしてくれたライガに報いるためにもより一層力を入れるべきだろう。
そう、私はライダーに勝つためにも優れた料理を作らなければいけない。
料理の経験が無く、もちろんそんな技術を学んだことは無い。
「しかし、これがあります」
そう、エプロンのポケットにあるものは一冊の書物。
この戦いの発端となった一冊の書物。
そしてそのうち一ページを再度確認する。
『でも、わたしの料理なんか食べて美味しいって言ってくれるかなあ……』
『大丈夫! 料理は愛情って言葉もあるんだし。愛情は全てに優る調味料よっ!』
確認してからまた書物を閉じ、ポケットに戻す。
そう。書物には先人の大いなる知識が記されているものだ。
『料理は愛情。愛情は全てに優る調味料』
つまりそれは愛情を込めれば料理は美味しくなるという―――
いやいや、私は凛や桜のようにシロウにたいしてそう言った感情を持っているわけではないのですが。いやしかしそれでは料理の極意が―――そう、師弟愛ってやつです。師弟愛も愛です。
愛……だからどうして赤くなるのですかっ!
何故か鼓動が早くなる心臓を落ち着け、深呼吸をしてから料理を始める。
顔がまだ火照っている気もするが、それはこの際無視する。
とりあえず種類は問わずに愛情―――ああもう。とりあえずそれを込めることにする。
「料理、開始です」
誰もいない厨房で、私は料理を開始した。
時を同じくして藤村家廊下。厨房から少し離れたそこには藤村組の若い衆が勢ぞろいしていた。
「どうした、お前ら」
雷画が問いかけるとそれぞれ互いに目配せしあい、やがて一人の組員が問いかけに答える。
「あの、セイバーの姐さんは……」
「おう。なんでもシロ坊に料理してやりたいって言うんで厨房を貸してやった。気になるんなら様子でも見て来たらどうだ」
「へい」
雷画に促されるままその組員は足音を殺しながら厨房に近づく。
そして厨房の扉の前にたどりついき、中の音を聞き取ろうと扉に耳を寄せる。
ぞぶっざくっごとっぶしゃっ
なんだか、料理と言うにはやけに物騒な音が聞こえた気がする。
いや、でもまあ肉をさばくところから始めているならこれぐらいの音は普通なのかもしれない。
そう思ってもう一度耳を寄せる。
ごきゃっぶりょっぞすっがりっめるめるめー
「めるめるめー?」
「……誰かいるのですか?」
思わず出してしまった声を聞きつけられたのか、中から問いかけられた。
しかし、しばらく息を殺していると「気のせいですか……」と言う声が聞こえ、また料理の音が聞こえてきた。
ばきーんがいんっもしゃっな、なにをするきさまー!
とりあえず組員は再び足音を殺して雷画の元へと戻ってきた。
「どうだ、納得したか?」
「へい。姐さんは気合入れて料理なさってます」
組員の答えに雷画は納得したのか、目をつぶってうんうんとうなずいている。
料理しているのは間違いないだろう。
その材料と調理方法は想像もつかないが。
とりあえず、主治医の爺さんのところに言って胃腸薬を貰ってきておこう。
藤村組若頭、井村重蔵(四十二歳、妻、娘一人)のできることといえばそれぐらいしかなかった。
学校での授業が終わり、部活も終わった夕方。
俺と桜は遠坂の家にいた。
部活と言ったが、別に正式に部に所属しているわけではない。
桜が主将をしていて、藤ねえが顧問をしている弓道部の手伝いで顔を出しているだけである。
一度辞めた部活に入り浸るのもどうかと思うが、桜の願いとあっては断れない。
まあ、大会を終えて新部長に引き継ぐまでの間という話だし。
藤ねえは「毎日来るんなら入部しちゃえばいいのに」とか言っていたが、さすがに三年になって今更入部する気もしない。
そんなわけで俺はいつも通り弓道場の戸締りを済ませ、桜と一緒に家に帰る途中で遠坂の家に寄ったわけだ。
とは言っても、遠坂の家が通り道にあるわけではない。
むしろ回り道と言ってもいいぐらいだ。
それなのに何故ここにいるのかと言うと、それは部活動を終えたころに遡る。
いつも通り弓道場の戸締りをした俺と桜は、弓道場の鍵を返すために職員室へと向かった。
そして、職員室に一人残っていた顧問教諭―――いや、藤ねえなんだが―――に鍵を返したところで、藤ねえに声をかけられた。
「あ、士郎と桜ちゃん。今日はちょっと寄り道してから帰って」
「なんでさ」
子供じゃないので『まっすぐ帰りなさい』と言われるのもどうかと思うが、『寄り道して帰れ』って言う教師というのもどうだろう。
いくら日が長くなっているとはいえ、何かと問題がある気がするのだが。
「んー、さっきお爺様から連絡があったんだけど。『今夜はセイバーちゃんとライダーさんが晩ご飯を作る』ってがんばってるらしいのよ。で、『まだちょっと時間がかかりそうだから、どこかで時間潰しててくれ』って」
「まあ、そう言うことなら」
桜のほうを見てみるが、異存は無いらしくこくりとうなずいた。
「それじゃあ、遠坂の家に寄ってから帰るよ。今日はイリヤと一緒にあっちにいるはずだし」
「じゃあ料理ができそうなタイミングで連絡してもらうようにするわね」
「うん、頼むよ」
そんなわけで俺と桜は遠坂の家で連絡待ち。
遠坂とイリヤも今日の分の研究を終えたらしく、四人でのんびりとお茶を飲んでいたりする。
ちなみに飲んでいる紅茶はティーバックなんかじゃなく、結構いい茶葉だったりする。
ロンドンにいたからってわけでもないと思うが、遠坂は紅茶にはこだわるらしく衛宮家にも遠坂専用の紅茶の道具やら茶葉やらが備えられている。
いや、それを使って紅茶を煎れるのは俺なんだが。
全員分の紅茶を煎れ、俺が椅子に座って一息ついたのを見計らって遠坂が声をかけてきた。
「で、なんで突然そんなことになったわけ?」
「さあ」
ぴき。
俺の答えを聞いて明らかに不機嫌になった遠坂からそんな音が聞こえた。こめかみの辺りから。
そうそう、ちょうど青筋が浮いてる辺り。
「衛宮くん? 人の質問には真剣に答えるものだって習わなかったのかしら?」
「いや本当に知らないんだって。朝家を出る時だっていつも通りだったし」
桜も俺の言葉に合わせてこくこくと頷く。
それを見て遠坂も納得したのか、紅茶を一口飲んでからソファーに座りなおす。
「だって、料理よ? ライダーならともかく『あの』セイバーが」
まあ、遠坂の言うこともわかる。
普段、料理にはまるで縁のない二人だ。いや、食べる方じゃなくて作るほうの話。
しかも、セイバーはもともと国王だ。
料理ができるとは思えないって言うか、料理できるのなら自分で作って食べていると思う。
俺がそう思いをめぐらせ、ふと周りを見るとみんな同じような表情をしていた。
どうも同じことを考えてたっぽい。
そして少し気まずい空気が流れていると、それを払うかのようにイリヤが口を開いた。
「いいじゃない。セイバーとライダーはこれからもこの世界で過ごしていくんだから、こういうことに興味を持つのはむしろいいことだと思うけど」
「そりゃそうかもしれないけど。何だか突然過ぎない?」
「確かにね。私とリンが家を出る時だってあの二人は―――」
「セイバーは道場、ライダーは居間でテレビ見てたわね」
「いつも通りよね」
「ええ。マクロでも組んであるんじゃないかってぐらいいつも通り」
そう言ってまた顔をつき合わせて悩む遠坂とイリヤ。
確かに、何かきっかけになるようなことは思いつかない。
そんなことを考えていると、今まで黙っていた桜に声をかけられた。
「まあ、セイバーさんはともかくライダーのすることは突然なことがほとんどですから」
「……そういやそうか」
俺がまともに動けるようになってから数ヶ月。
ライダーのやることは概ね突然だった。
詳しくは16話までを見直してください。
桜は聖杯戦争が終わってから一年ちょっと、遠坂は数ヶ月、イリヤはまだ数日だけど各人色々と思い返していると、電話が鳴った。
「ああ、俺出るよ」
そう言って席を立って年代ものの黒電話の受話器を取ると、予想通り藤ねえの家の人だった。
「士郎さんですか?」
「はい。料理終わりましたか?」
「……滞り無く」
「いや、その間がとても気になるんですが」
「失礼します」
ガチャン、ツー、ツー、ツー、ツー……
切られた。
反論を全く許さずに叩ききられた。
電話の声からすると井村さんだと思うんだけど、あの人はこういうことする人だっただろうか。
そう言えば口調も普段と少し違っていた気がする。
何だか元気がないというか、気がかりがあるかのような―――
「士郎。電話、藤村先生のとこの人だったんでしょ?」
「あ、ああ」
「それじゃあそろそろ帰りましょうか。あんまりぐずぐずしているとせっかくの料理が冷めちゃいますし」
「私もうお腹ぺこぺこー」
遠坂からの問いに答えると、口々にそんなことを言いながら席を立つ三人。
まあ確かにもうここにいる必要は無いんだからさっさと帰り支度するべきなんだけど―――
「ほら、いつまでもだらだらとしてないでちゃっちゃと帰る!」
「あ、うん。わかった」
何だか引っかかるというか気分がすっきりしないが、いつまでもここにいるわけにはいかない。
荷物を持って玄関に向かう。
「今日の晩ご飯は何かしら」
「あー、あんまり期待しない方がいいかもしれないわよ? 向こうの料理って正直あんまり美味しくないし」
「でも、セイバーさん味には五月蝿い人ですから。案外美味しいものを作ってるのかもしれませんよ?」
口々にそんなことを言いながら帰途につく。
後に思った。
一応俺だって魔術使いの端くれだし、普通ありえないぐらいの修羅場をくぐってきたんだ。
もう少し自分の勘とかそういったものを信じるべきだったと。
そして所変わってここは衛宮家居間。
衛宮家に住まう人の団欒の場所。
衛宮家の食事は主にこの場所で行われる。
部屋の中央にあるテーブルの、いわゆる『お誕生日席』には俺が座り、その両脇にはいつも通り桜、遠坂、イリヤが陣取っている。
普段と違うところといえば、ライダーと藤ねえが不在なこと。
そして、俺の向かいがわには本日の功労者であるところのセイバーが陣取っていて、こちらの表情を伺っている。
まあ、席の配置の違いなんか些細な問題だ。
別に指定席を決めているわけじゃないからたまに違う席に座ったりもするし、用事があって食事の席にいないことだって無いわけじゃない。
そう、テーブルの上にあるモノに比べれば。
それはセイバーの作ったモノ。
食事時のテーブルの上にあるモノ。
それは料理だろう。今までの話を振り返ってみてもそういう結論にしかたどりつかない。
でもそれは―――
(検閲)
そんな感じだった。手抜きとか言うな。
この世には知ってはならない外道の知識と言うものがあるのだ。
さておき、さっきの不可解な電話の理由はわかった。
さらに、そんな電話をしてきた井村さんが門のところで待っていて、俺の手にそっと胃腸薬を握らせてくれた意味も嫌というほどわかった。
でも井村さん、気持ちはありがたいですが胃腸薬とかそう言うレベルじゃないっす。
そして俺はもちろん、両脇に座っているみんなが硬直しているとセイバーが口を開いた。
いつもの堂々とした、威厳すら感じられる口調はなりを潜め、不安そうな、控えめな口調で。
「確かに見た目はよくないのかもしれません。しかし、その。『料理は愛情』と―――」
そこまで言った所で言葉を切り、うつむく。
一瞬しか見えなかったが、その顔は真っ赤に染まっていた。
ああ、普段見ることの出来ないその仕草はとても魅力的だ。
セイバーがいくら最強のサーヴァントであろうと。
セイバーがブリテンの王、アーサー・ペンドラゴンその人であろうと。
セイバーが例えどんな立場であろうと、年相応な少女のようなそんな姿を見せられてはどうしようもない。
そう、親父は常日頃言っていた。
「女の子を泣かせちゃいけないよ」と。
そうだ。セイギノミカタになることは諦めたけれど、その教えは守らなきゃいけないんだと思う。
『そうだろう、オヤジ』
心の中でそう問いかけ、意を決して箸を料理に突き刺す。
ぶちゅりとかいうなんだか料理っぽくない感触した。
「てけり・り」
……料理から何か聞こえた気もするが、そんな現実からは全力で目をそらす。
そして箸を操りソレを取り、そのまま口の中へ。
料理を口の中に入れ、箸を引き抜き咀嚼する。
口内に広がるえもいわれぬ香りと味わいと食感と何かそれ以外のもの。
そして、俺の視界が段々と黒く狭まっていく。
「シロウ?!」
「ああ、衛宮くんったらそんな気絶するほど感激しちゃって」
「そ、そうなのですか?」
「そうよ。シロウったらセイバーの料理を本当に楽しみにしてたんだから」
「本当、ちょっと妬けちゃうぐらいでした」
そんな声を聞きながら―――
「そうだ。まだ残っていますから、凛たちもどうですか?」
「い、いいのよそんな。これはセイバーが士朗のために作った料理なんだし」
「そうそう。これは私たちが食べるわけにはいかないわ」
「そうですね。それじゃあ私たちの分は何か軽いものでも作りましょうか」
ここぞとばかりに全力で保身に走る魔術師三人の声を聞きながら、俺は意識を失った。
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